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18歳から22歳まで、多感な時を過ごし、多くのものを得た学生生活。
振り返り、そして記憶に留めるため、ここに記す。
荒削りの青春時代に自分の原点を見出すため、その地と共に紹介。
学生生活回想録 
駒澤大学

世田谷区駒沢に位置するこの大学が、我が母校。
ここで自分は育てられ、大きく成長したから、心の底から愛してますよ。
駅伝、野球、サッカーと様々な場面でその活躍を見せてくれる後輩達を、遠く山口から見守ってるとこ。
そんな場所を、思いと共にここで振り返る。
大学正門から200m近辺に宿を借り、まさに4年間のベースとなった、駒沢という地。
さて、どこから触れたものかね。
やっぱり駅から順にと、その辺からいかせてもらいます。




大学経路
JR渋谷駅、ハチ公を横手に見ながら田園都市線・半蔵門線の入り口を進む。
ここは、毎度待ち合わせの場所でもある。
JRと地下鉄の出口となるハチ公前入口は、場所も広くわかりやすいしと。
ハチ公自体は入口そばにいるんだけど、あまりに目立たないからこいつの存在を知ったのは、後々のこと。
地下3階まで下りたとこが、東急田園都市線の乗車券売り場&改札となる。

  


大学最寄り駅・駒澤大学駅まで、渋谷駅から田園都市線で所要7分。
新玉川線の名称がなくなったと気付いたのは、数年前のこと。
二子玉川までは新玉線、以降が田園都市線ってのが相場だったのに、勝手に変えてもらっちゃ思い出もね。
池尻大橋→三軒茶屋→駒沢大学駅と道程、急行止まらずもこの近さじゃ不便なし。たまに乗り間違えて二子玉川までいっちゃうとさすがにやり切れんけど。
玉川校舎に、サークルの体育館利用に、免許取得にと通った二子玉川までは、大学駅→桜新町→用賀→ってな具合に続きます。
246号線をすいすい進んで環八先からは下り坂で自転車で20分程度。使い勝手面からも普段は自転車利用が多かったとこ。

さてさて電車を降りて、階段をあがる。
うーん、この出入り口は懐かしいなと。

  


改札抜けたら、まっすぐと長い通路を進む。
突き当たりにある大学宣伝看板は当時のまま。
この駅が昔あったの場所は、正門から国道246号線に抜けたとこだったとか。
駅移転に伴い、大学から場所も離れ、駒沢駅だとか駅名変更がほぼ決まってたらしい。
そこから巻き返したのが、大学挙げての政治活動だったんだってさ。
教授が当時を懐かしがって話してたな。
名称は本当に重要、よく名前を残してくれたよと愛着ある駅に思ったりする。

  


駅の出口にあるのが、マクドナルドへ。
ここは試験時にかなりお世話になったとこ。
当時も変わらず、勉強は、図書館・自習室と併せてファミレス・ファーストフードが主で。
よくこんなざわついたとこでやるねなんていわれつつ、いやいやこういうとこが集中力増すのよと。




駅でて松屋横から小道に入る。
道案内なんてないから、学生以外わかんない裏道。
この道知ってりゃ受験に遅刻せずにすんだのに・・なんて話もあるが、住宅街抜けるため近隣住民からの苦情も多いとか。
なにやら今は使われてないような気がするけど、その辺はまた後で触れるとして。
この松屋は本当によく利用してね、隣にある吉野家より定食嗜好だからこっちが一押し。
タイでの屋台の味を思い出させるハンバーグ定食、牛カレーなんて松屋うりのカレーが引き立ち、お気に入り。
って、このメニュー山口にできた松屋メニューにないんですけど。数年前になくなったのだとか、う〜ん、残念。

  


駅に近い裏門から入るのが、大学への正しい入り方。
5,6分はかかろうかっていう距離を住宅街を何度か曲がり、行き着く先。
正門なんて形ばかりで、学生の2割程度しか利用してなかったんじゃないかね。
ちなみに我が家が正門方面にあったから、普段は正門利用者だったけど。
ところが、現在裏門に柵が立てられ、原則利用禁止になっててね。
北口の門も、12時まで使用できますとか看板付いてたり、正門以外の利用を禁止した風。
こりゃ駅まで遠くなったなと少々同情。
でも、住宅街通るから発展しなかった、学生街と通称される商店街が形成されつつあることはいいこと。
246沿いは、お店も増えてなかなか盛り上がってましたよ。

  





大学構内

いやいやようやく大学に到着、さて中へと足を踏み入れる。
9月頭は夏休みかな?と振り返るが、よく思いだせん。(9月半ばまで夏休みでした)
裏門の厳重警備に、時代が変わり管理が厳しくなったのかと少々不安になるも、まだ22歳でいけるでしょと学生当時に気持ちを切り替え、普段どおりに正門を通過。
ほら、違和感ないでしょ、と変わらずののんびり警備に安堵しつつ構内へ。

写真は正門手前から。
ちなみに写真が真正面じゃないのは、目立って入口で尋問されちゃ元も子もないと、びびった結果です。




・・・・・
図書館
正門を入り、まず右手にある建物が、図書館。
図書館の機能としては疑問符が付くが、まあ調べ物するにはそれなりの書物が並ぶ。
テスト前なんか生徒が多いのはいいけどガヤガヤうるさく勉強には適さず。
まあ、駒大生のマナーの悪さは諦めたとこだから、すいてる時に適度に利用してました。
図書館入館には学生証の認証が必要。いざ卒業してみるとその効果を実感するよと入口付近の撮影に留まったわけで。

  


・・・・・
本館(本部棟)
正門の突き当たりにあるのが、本館。
この景色を見ると、学校に来たなって気になるよ。




本館1階は、事務室(左写真)がある。
入学手続きや、授業料等の支払い関係も。学割の申請に休み前に訪ねてたとこ。
年に1度のイベント、3月末の授業選択がこのホールに人があふれる、唯一の機会。
確実に優をとれる授業、友達と一緒に受ける授業、自分の興味がある授業と取捨選択し選んだもの。
定員があるから、人気(楽な?)授業を抑えるのは大変だったりしてね。

本館2階は、ちょっとした広場と体育館への通路(中)がある。
体育館下はホールがあり、サークルの溜まり場になってるけど、この場所はほとんど利用せず。
体育館は、選択でバスケ授業とってたからその時利用。途中から卓球に切り替わり、そこからサボって単位とれずでね。
通路となる広場は、授業後の待ち合わせで使われたり、ちょっと便利なとこ。

本館2階のATM(右)。
郵便局が仕送りの入金先だったから、ここがメインバンクでね。
よく並んだもんだよと。

  


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パオ(軽食喫茶)

本館2階から見下ろすと、4方を建物に囲まれた真ん中に、広々とした広場がある。
そこは各サークルが居場所を構える出店(でみせ)と呼ばれる数多くのテーブルと椅子が存在し、その一角に軽食店「パオ」がある。
きっと駒大生にとって、パオってのは特別な存在じゃないかと思う。
「とりあえずパオで」ってつい最近まで友達としてた会話が、その場に立つとよみがえってくる。
イタリア料理系の店なの?なんて簡単にまとめられると、いやそうでもないなんて返答苦しむとこ。
スパゲッティ系がメニューの大半占めるが、ありゃ創作というかファーストフードというか。
でも、手頃な価格でそれなりにうまく、なんか食べちゃう。今でも経営続けてんのは支持されてる理由だろうね。

  


さてさて、パオの中を詳しく紹介。
本日(9/2(金))夏休みらしいけど、授業もあって生徒もまばらに存在。
パオは14時までやってたから、久々利用しましたよ。
黄色のメニュー表もそのまま。懐かしのメニューを少々紹介。

ホワイト(270円)・コンソメ(300円)・クリーミー(400円)・ポパイ(300円)、大盛は+50円。
ナポリタンやらペペロンチーニ(共に300円)なんてなかったのにと思いつつ、メニューを検証。
浮気してコンソメまで、毎度同じメニュー食ってたから、他の味はよく知りません。
で、そのメニューってのが、写真ね。
ミート(270円)+ホットドック(150円)+バナナジュース(100円)の王道セット。
あらかじめ大量に茹でてある麺を注文が入るとフライパンで炒めるという独特の方法も、濃厚ミートソースとよくあってね。
これにタバスコ5振りくらいで、やみつきになること受けあい。
ここのからしは異様に辛いから、ホットドッグに付けすぎないことが肝要なんだよね。

  


2限の授業を受けた後、パオでごはんを買って、側の出店で仲間と食べるってのが日常。
サークル単位で年度始めに場所取りがあり、夜中から並ぶという大イベント・・だとか。
家がそばにもかかわらず、実家に帰ってるからとの理由で、一度も出てないからな。
時間が空いた時、とりあえずここに来れば誰かいたもんで、昼食べたり、だらだら話してたりと。
ここでいろんな話が決まったもんで、飲み会やバーベキューのイベントなんてことから、その日の午後の予定なんて気軽なものも。
麻雀のメンツ集めとしてもよくね。後一人って時は、まず出店、いなけりゃ雀荘いきゃ誰かいるだろって感じでさ。
携帯普及期であり、連絡手段がそうない時だったから、こういう場所があることはよかったな。


・・・・・
サークル
そう、まずはサークル紹介を。
大学1年5月から引退の3年夏まで、正確には我が物顔で利用し続けた4年春の卒業までを過ごした場所。
大学公認サークル「駒大ボンバーズ」という、バスケットサークル。
週2から3の定期的な練習が主で、夏と春には都外へ数泊の合宿でバスケ漬けの日々。
冬の合宿は、毎度長野の雪山でスキーを実施。
スポーツ好きの集まりだから、オールラウンドの要素あり、テニス・サッカー・野球といろいろ手を出してたもの。

全体公式?飲み会は、春の新歓コンパに合宿時の飲み、そしてOBを集めてのってのがあったけど、基本は同じ学年同士や仲間同士で飲みに行ってたな。
数十年と伝統あるサークルだけど、締め付けを弱めたうちらの代から崩壊へと向かいつつあったから、あまり触れん。
今いる人が楽しめればいいんよ、そんな体育会系みたいなことはちょっとねと。

大学生活がなんだったのかって振り返れば、その8割はこのサークルでの思い出で埋まる。
学部の友達とは、仲いいグループで授業情報交換したり、麻雀したり、飯食い行ったりしてたけど、どうしても会う機会が少ないからね。
なにせ自分含め皆授業に出てこないからさ。
それに活動の中心がサークルだと、学部の友達との必要以上の付きあいは減るもので。

活動の3年半、かなり優秀な成績でバスケ練習に参加してたのは、不思議なこと。
なによりバスケが好きってことが根底にあるけど、一緒に行ってた友達がいたからだろうね。
そう、何度かここでも出てきたもりもりね。
練習の行き帰りから、普段の昼飯、授業後の遊びなんていつも一緒に動いててな。
1年の時は100人超いたサークルの人数も段々と減り、友達もやめてったりしたけど、最後までいてほんと良かったと思うもの。

しばらくいたら自然と仲いいもので固まるもので、いまでも結婚式へ呼んでくれる彼らとは、同じ時を同じ場所で過ごし、同じ楽しさと同じ喜びを共有した仲間だから。
もりもり・小池達とけいこ誕生会に千葉まで出かけたあたりから仲間に入ってけたような気がする。
終電過ぎて、どこかの建物外の階段に朝まで座って語ってたあの時にね。

もりもり・小池・けいこ・なおこ・ちのってこの6人で、いったいどれほどいろんなとこ行っただろうね。
カラオケ・飲み会はさておき、今やなき屋内施設ザウス・冬スキー・ぶどう狩りツアー・千葉でのキャンプ・幻の鎌倉観光?・小池実家福島訪問等々々。
充実した学生生活の最小単位は、ここに見出すことができてね。

・・・
とそんな時を過ごした場所を写真で。
右は、3年次の出店位置。風通しよさも冬は逆効果で寒さに耐え切れず不評だったね。
長時間の滞在を念頭に考えなきゃと、翌年は左写真の辺に戻ってたな。

  


・・・・・
学生食堂
軽食喫茶紹介ついでに、学食案内を。
昼はもとより、ともすれば夕食もここでたまにとってたという、学生食堂。
普通定食が450円程度とそれなりの値段ってのと、食べ飽きてってことから、2年目になると利用回数減ったけど。
でも、便利だからちょくちょくと通ったとこで。

数年振りに寄ってみたら、食堂が清潔感あふれるフロアに改装されてるし、メニューも増えてるし、心なしか安くなってる。
懐かしメニューは、そのままでしたよ。
簡単メニュー紹介
揚げ鶏(330円)、カレー(300円)、駒大ランチ(290円)等々。
どうも揚げ鶏はライスが付かなくなった模様。前2つがお気に入りの定番メニュー。駒大ランチなんざ見たことないな。

  


・・・・・
講義棟を紹介

・・
とまれ、まず我が大学の特徴から。
授業が厳しくない。
少なくとも法学部法律学科は、情報持てば優、悪くても可がいける授業が多い。
唯一の例外が、必修に3科目。その難易度から単位をくれず留年者が毎年出るって有名なものだったけど、試験はかなり力入れるほうで、無事履修年度に単位を取得。この試験を翌日に控え、成人式の帰省を諦めたなんてエピソードあり。

学校に縛られないこの自由さが、なによりうちの大学のいいとこだと当時から思ってたこと。
遊びたい奴は遊びを、バイトしたい奴はバイト、資格とりたい奴は専門学校にと。
高校まであらゆるものに束縛された雁字搦めの生活を過ごし、その4年後には逃げるに逃げれない社会・会社という縛りを受ける。
人生で唯一自由に過ごせるこの時期に、わざわざ縛りを受けるなんて愚はない。
この期間に、いろいろ物思いにふける時間を得たこと、アルバイトに熱中する時を過ごしたこと、時間を気にせず友人と過ごせたこと、思いっきり自分の思うまま自分の限界にチャレンジできたことが、今の自分の礎になっているから。
大学は勉強するとこなんてのは、それを極めたい人にできる環境をってのが求められることで、選択の余地は与えてほしいと思うとこ。
それなりの時は過ごせようが、少なくとも今の自分はないからね。
・・

1号館
本館と併設され、数ある講義室の中でも施設が新しいのが特徴。
上の階は、小さな単位の部屋もあるから、語学の授業はここで受けてた。
下の階は、大講義室。
数百人規模もいける程の。

ここの思い出は、なにより英語Cっていう3年次に受けた授業。
英語は土曜朝一(9時〜10時30分)の授業で、なにせ学生時代9時に起きるなんて奇跡のことで、1限授業はなるべく避けるも必修だから仕方なし。
毎度小テストあり、授業で当てるから予習必須で、それは大変。
英語ってのは、落とせば翌年度出席だけすればいい楽な先生とればいいという考えあり、逃げがちでね。
こりゃ、きついなと最初何度か休んだもの。

でも、先生がおもしろい人でね、だんだんその魅力に引き込まれていって。
劇団をプロデュースしてる変わった人で、大学の経営にも関わり、教授の中じゃなかなか力持ってる雰囲気。
年を感じさせない溌剌とした人で、その先生に気に入られたく小テスト等頑張ったもの。
君は前期でもう来なくなると思ったけど、途中で変わったねなんて指摘されたけど、まあその通りで。

ゼミとってないし、教授等先生との関わりはほとんど大学生活通してなくてね。
基本誰かしら先生には気に入られ、こっちもその人好きになり深い付き合いになるって生き方してたけど、そういう人に会えずにね。
ちょっと変わった視点で信念持つ主張をぶつけてると結構かわいがってくれる人もいてね。
長い期間関わる機会のない大学じゃ、積極的に関わることなく、自分を出す機会がなかったこともある。

語学ってのは、20人程度のクラスでするから、数少ないアットホームな機会。
だから先生ともお互い認知できる関係を築けてね。
たぶん評価してもらってた。英語という勉強面じゃなく、人間面をね。
英検準1級とったら、日テレの就職世話してやるっていわれたのは、そのことからだと思う。(制作系かな)
勉強面で優れた人は友達にも他にいたけど、そう声かけてもらったの自分だけだったし。
参考書くださいっていったらくれてね。なんで彼にだけ参考書あげるのかって優等生っぽい女の子が問いただしたら、彼は目が本気だからだってさ。あっ、人を見抜けるってのはこういうことなんだなと妙に感心して。
確かに、あの時はまじだった。
マスコミ業界英語必須とはいえ、準1級までなら頑張ればなんとかなるでしょ。うちの姉さんとってたしなと思ったもの。

結果はご存知。あの頃は、同時期に始め専門学校に通ってた勉強に集中しだし、英語勉強は諦めたけど。
あの言葉はどこまで本気だったのかと、最後に聞いてみたかったけど、授業以降会えずじまいで。
でも、それだけの力持ってた人だから、話自体は思い付きじゃないと思ってるけどね。
演劇に関わる人だから、人を見る目は違ったね。常に好奇心持った純粋な目をしてた人だった。
人を見抜く点から、その育て方まで、いろんなこと学んだ先生でね。
これが、大学で教授とお互い認識し関わった数少ないことだったから、いい思い出の一つ。

  


そうそう、1号館1階には、就職センターが。
いまやキャリアセンターとか呼ぶんだとか。
こんなとこ当てにしてたまるかと、変な意地から全然使わなかったけどね。
どうしても出せっていうから適当に書いたプロフィールを見れんもんかと聞いてみたけど、なさそうだね。
頼りにならなきゃ協力しませんって、こういうとこは今よりも・・。




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9号館
出店の南を囲う建物。
500人入れる教室って聞いて授業受けてたけど、嘘か真か。
そんな大規模教室要するとこだから、学生時代通してよく授業受けてたとこ。

基礎ゼミなんての2年次受けてて、ゼミに自動であがれるんだけど肝心の希望受付時に風邪で休んで漏れたっていう、当時は衝撃的な事件も。
どうしたものかって悩んでたら、別にゼミとらなくても問題ないよと情報を得、まあいいかと。
それこそ勉強に関しちゃ何の跡も残さず出たのは、この出来事が全てなのよ。
いや、就職時は何勉強しましたか?って問いの理由に困ったもの。
その分打ち込むことができたとこもあり、良し悪しは未だわからんけどね。




・・・・・
2研(第2研究館)
9号館の西隣に位置する、上の階に教授の個室がある棟。
授業は1階にある2部屋で。
テスト前だと外に溢れる学生が、普段だとまあがらがらで。
外で久々見かけた友達とだらだら話して・・って、溢れる側の人でして。




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物販店

2研建物北、体育館の西にある伝統ありそうな古めかしい建物の地下が物販店。
大学生協入ってたはず。
授業で使う本を中心とした本屋、スポーツショップ、軽食や筆記用具等扱う簡単な小売店と、なかなか便利なとこ。




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8号館
心理学や社会学等人文系ここで受けた記憶が多いな。
ちょっと遅れて後ろのドアからこっそり・・ってなことも何度か。
高校時代の友達3人と一緒に受けた数少ない授業もここ。
学部が違うから、なかなか一緒になることないけど、一般教養でまれにね。




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7号館
社会保障学ってのは、今の社会保障制度に関する基礎となる考え方を学んだとこ。
法政から講師で来てたこの先生の授業はおもしろく、毎度出て、持ち込み不可の論文試験もそりゃ勉強して優とったもの。
ゼミとってないからこれで売り込んだりと、いろいろ役に立ったもので。


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なんか足りないとこもありそうだけど、ベースはこんなとこでしょ。
なにせ学生一人当たりの面積が他大学に比べかなり狭いとかで有名なとこで。
構内もこじんまりしてて、非常に動きやすく、お気に入り。
山大(山口大学)この前行った時、その広さに少々引いたもの。
都内じゃまあ、こんなもんでしょ。

学生皆が学校来たらそりゃ動きづらくてたまらん。
テスト中なんてそれを実感してあまりある。
でも、他の320日程度は適度な人がいるくらいで、全く問題なし。
大学は、面積の狭さを気にして校舎面積増やしてるみたいだけど、今後の経営考えても無駄だと思うけどね。

で、最後に本館から正門方面をパチリと。
入学式じゃここで新入生を勧誘するサークル連中でいっぱいになります。
入学時警戒しすぎてちっとも話を聞かなかったことは、今考えても未熟なときだった。
サークル入ってからは、知らない人に自由に声をかけられる数少ない機会で、楽しい日だったな。
新入生に間違えられて楽しんでたりと、まあいい思い出だね。




駒澤大学



駒沢公園

駒沢の愛称は、この公園の方が世間じゃ有名だろうな。
大学と隣接し、広大な面積と多数の施設を持つ公園。
新歓コンパは、公園一角の桜の木の下がその場所となる。

授業の合間に散歩がてら行って友達と話してたり、昼食を食べたりと癒しの空間。
思い立ったように周回2km近くのランニングコースを走ったり、公園内の公共トレーニングジムを利用したり、サッカー場でサッカーしたり、バスケットゴールでバスケしたり、毎夏プールで泳いでたりと、お世話になったよ。
バイトの通勤経路で、朝じいさんばあさんがラジオ体操してるとこ、太陽のまぶしさで痛い目をつむりつつ自転車で疾走してたもの。
そういや、友達のスクーターで乗る練習してて、見知らぬおじさんに禁止だって怒られたことも・・。

  




駒沢邸

学生時代4年間過ごした家は、大学正門から西へ徒歩3分、距離にして300mもない、そんなとこ。
とにかく近いとこに住むってのは、今でも続く宿選びのテーマ。
なにせめんどくさがりやなもんでね。

・・・
余談
全然駒大行く気なかったのがそもそもの始まり。
明学補欠通知に受かったものと、宿を取ろうと神奈川戸塚の不動産屋を訪ね、上京。
駒大も一応探しとけって親の意見に渋々了承し、大学を訪ねたのが戸塚訪問翌日。
大学で紹介してる宿を見てみようとこれにも渋々従い、大学事務室を訪ねて初めて知った事実。
事務員さんの、「合格者は今日までに手続きしなきゃ取り消しです」って、恐ろしい言葉に凍りつく。
行く気ないから全然書類なんて見てなくて、急いで近場の写真屋で写真を撮り、用紙に記入し、足りない書類を後日送付する旨了解を得、必要な金を払い込むという大慌てなことをやってね。
たまたまこの時東京に来て、たまたま大学訪ね、たまたま事務に寄ったからわかったこと。
法学部入学試験の遅刻事件と併せ、来るべくしてここに来たんだと確信させられた出来事でね。
駒大滑り止めで結果見事ここだけだったから、危うく・・・ね。

そんな訳で、この時点じゃまだ行く気のかけらもないまま宿探し。
いろいろあって疲れたし、どうせ行かないんだからさっさと決めようと、適当に入った不動産屋で近いとこを条件に紹介を受ける。
前の人入ってて、中見れないんだとかも、さいさい東京これないしと、決断。
かつての安アパートでいいでしょなんて流れを、前年の阪神大震災が大きく流れを変えてね、鉄骨作りじゃなきゃ地震耐えらんないと親の心配を逆手に条件アップに成功。

マンションタイプで、家賃一月6万+共益費5千円。
1ルームタイプで、部屋は5畳、キッチンは玄関から部屋までの2m程度の廊下ぞい、バス・トイレは同じ部屋って感じ。
1階は、荷物の出し入れ楽でいまだ探す際の条件だから、問題なし。

江戸間5畳ってのがなんとも気になって。
実家の自分の部屋は、本間(京間)6畳。京間4畳半が、江戸間5.3畳と言われるなか、その大きさに。
ベースにある、どうせここに住まないんだし、さっさと決めたいって思いが優先し、手付け払って帰ったけど。
・・・

結果、ご存知の通りこの部屋に住むことになってね。
ベッド置いたら、申し訳ない程度しか空間が残らない。
こたつなんざ夢のまた夢で、2年次からはロフトベッドを購入し、ベッドの下を押入れ代わり使いどうにか落ち着く部屋らしく。
そう、収納スペースが全くなかったのも結構不便だったとこ。
ベッド時はベッドをまたぎ、ロフトベッド時はそれをくぐり部屋に入る形で、そりゃ大変。
冷蔵庫は置くとこないから、玄関入ってすぐの廊下に置いてて、入る時は体を横向きにしなきゃ入れないということに。
見えないとこに荷物を置けば気にならないと、まあ気質をよくあらわしてることで。

適当に決めたのも、2年後は好きなとこ引っ越していいからというお墨付きをもらったから。
2年終わり頃は、不動産屋でいろいろ探してね、せめて6畳、押入れ付きを。
とまれ、時間がたてば話も変わり、自分で礼・敷金だせっていうから、立ち消えたけどね。

いろいろ書いた不満はネタみたいなもんで、そりゃ愛着&思い出いっぱいのとこでね。
夜な夜な考え事したのもここだし、朝までダビスタに燃えたのも、深夜のお笑い番組制覇してたのも、二人鍋パーティーやったのも、酔っ払ったなおこが押しかけてきたのも、徹マン打ったのも、悔し涙にくれたのも、なついた野良猫と過ごしたのも、全部ここでの出来事だから。
色気ある話を書けないのが残念なとこだけど、自分と向かい合ったあの時がここにはそのまま残ってるから。
外から見るだけだけど、一瞬にして当時の自分に帰らせてくれる、そんなとこです。

  
左:全景。246ちょっと入ったとこにある、スカイコート駒沢第2なるとこ。
中:家前の道。ここの突き当りが駒沢通りで、右に30mも行けば正門へ。
右:中写真の道を途中で曲がると、この道へ。この先が正門で、これが通学路でした。まあ、気分的なもん。

 
左:1階は庭?付き。ここに野良猫がよく集まってね。白猫は4年間可愛がってて、通称シロ。突然いなくなって、3ヵ月後に艶やかな毛並みで帰ってきた時は少々寂しかったなと。餌買ったり、またたび買って遊んだりと、いい相手でした。
それと庭の左に見える木々が大問題。なぜこの都心住宅街に?って程鬱蒼とした林があり、年中蚊が出て洗濯物など干せたものじゃない程の。
右:部屋前の廊下。天井が低いんだよな。4年間このマンションの住人誰一人知らずに終わったな。




大学界隈

正門筋の駒沢通りは、家の周辺ってことで利用したとこ多くてね。
なくなってる店も結構あり、残念なとこ。
でも、まだやってる当時の店見かけると、なんとも嬉しいもので。

・・・・・
雀荘
正門でてすぐの雀荘。
1時間一人200円の値段が良心的で、1階じいちゃん、2階ばあちゃんがやっててね。
ここで1年の夏前からモリモリ・小池達から麻雀を習ったのよ。
筋ってなんぞやと思いつつ、授業料だなんて、最初はしっかりとられたもんだな。
腹が減ったらペヤングor勝ってたら店屋物とね、平気で5時間程度は。
試験中しか会わない人多いから、雀荘行っとくかなんてことになり・・ってことも。
ここの2階に来れば誰かがいた、そんなとこです。




続いて、もう一つの雀荘「ジャンリーグ」。
正門から246号沿いにある店。
1時間250円と少々高めも、内装がきれい、機械が最新で牌がよく交じる、フリードリンク、おいしいカレーがあるってことが気に入って、段々こちら傾向に。
時間によるポイントや役マン賞があるってのも、いいところだったり。

麻雀ピークは2年夏から冬にかけて、負けて帰ったことが一度もなく、財布持っていかなかったもの。
学部の友達と打つこと多かったけど、一時期ギャンブラーからお前が一番強いと称号をもらう。
ちなみに打ち方は、東大出身井出プロ著の本をバイブルにした理論派麻雀でね。
運の強い奴ってのはいるもんで、そういう奴と対峙する時が自分の限界に気付かされる時。
基本、集中してりゃまず振らない。そして流れが来た時大物であがると。
引っ掛け多いから、同じメンツで打ち続けると、だんだん読まれるのが問題。
麻雀ってのは素の自分が出るから怖いものよ。

まあ、リーチに毎度期待かけるとこからも、仲間内素人麻雀の粋を出ないんだけどね。
2年冬を過ぎると、6,7時間かけ勝っても8千円弱の取り合いに疑問を持ち、距離を置くことに。
徹マン等々、これを通した思い出・人間関係も多く、いい経験だったよと。




・・・・・
食事所

左:蕎麦屋
大学正門隣の蕎麦屋。今や隣の洋食屋だけ残り、道路拡幅でなくなったのが残念なとこ。
ここの蕎麦屋で1日1食ざるそば生活なんて何度かしてたから、入学後5ヶ月で−10kg、50`を切ることに・・。
右: 中泉(中華料理)
家と学校の間にあり、一番利用した飯屋。
ここの肉野菜炒め定食(600円)は、うまいんよね。

  


左:フレッシュネスバーガー
読書がてらよく利用してた店。駒沢公園目の前にあります。おいしいよね。
右:モスバーガー
駒沢公園を下がったとこにある、モス。ここは勉強で毎日のように通ってたとこ。
飲物は水で、ってけちなこといってたよ。まあ、毎日行くんだから安上がりでと。

  


左:かっぱ(牛煮込み料理)
煮込み&ご飯の小・中・大のみ選択肢があるという、お店。
ここは旨いよ。カウンター数席で、並ばなきゃ入れない。私語禁止なんてのは、どこかの雑誌で見て後で知ったこと。
サークル帰りにもりもりと寄って散々喋ってたから、怒られず良かったなと。そういや、皆しんみりしてたな・・。
中:八橋(うどん)
246沿い。西友をニコタマ方面に数メートル行った先にある。
関西系のうどん屋で、ここはまじおすすめのおいしいとこ。
ランチタイムは、炊き込みご飯セットをよく食べに行ってたもの。
ピリ辛うどんは、絶対やみつきになること受けあい。近場の人は、ぜひに。
右:BOTERO(カレー)
246号線沿い。ローソンの辺かな。
ここ近辺、いや東京滞在を通し一押しのカレー屋。
洋風カレーで、煮込んだソースがたまらず旨い。
タコライスなんてのも旨かったな。

  


・・・・・
その他
左:愛用コンビニ。家の真裏で、徒歩3分。ここの弁当はよく食べたな。プレステソフト買ったり、立ち読みにと。
中:日の丸カラオケ。なんか新しくなってて驚き。この系列都立大店で1年間バイトしてました。
右:コヤマドライビングスクールの車立派になってたな。ニコタマのこの学校で免許をとって。のんびり通って、ぎりぎり1年で取得。卒検前2ヶ月タイ旅行で車に乗ってなくて、さすがに緊張した記憶が。世田谷の住宅街を走り回ってたな。坂道発進で、後ろにベンツがいた時はさすがにびびった。1cmも後退させちゃだめだって気合を入れてね。

  



こんな感じで、大学生活送ったわけでした。
end



余談:バイト
バイトをしたのは、数えるほど。
これも、しっかりした仕送り貰ってたのが理由で、親には感謝してるとこ。
自分のしたいことに打ち込めたのも、これが大きな理由だし、その経験からある程度の仕送りはすべしと思うとこ。
そんなに浪費家じゃないし、それなりに貯めてたから、金で困ったことはそうなし。
そんな中でしてたバイトを紹介。

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交通量調査
まず初バイトは、1年夏休みの交通量調査の短期もの。
そろそろバイトというものをと、フロンムAで探した結果。
2週間程度の連続もので、レンタル店TUTAYAが三軒茶屋のキャロットタワー出店に併せての調査というものだった。
20分カウントして、10分休憩という作業が4〜5時間程度だったかな、仕事的にはかなり楽チン。
2人一組で、話しながらの作業だったから。
委託じゃなく直だから、優しいツタヤ社員の方ってこともあり、まあ自由度高く。
千葉大2年って人と仲良くなり、計測傍ら小さな将棋セットで将棋を打つってなこともやってたな。
駒大の2年生の女の人は、すっごいいい人でね、なんて大人なおねえさんなんだって思ったものだけど、今考えりゃ一つ上の19ってとこだもんなと。自分のサークルの女性先輩と仲いいよって聞いて、3歩くらい引いちゃったけど、いや楽しい思い出でね。

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バイト模索
夏バイト後は、新宿に英語&パソコン習いに行き始めたから、しばらくバイトせず。
何かしようと探しちゃいるけど、昔から出来上がった輪に入っていくってどうも苦手でね。
新規オープンの店を中心に探してた。

大学1年の秋からバイトをする気がわいてきて、探し出す。
皆バイトしてるし、家にいても日々の生活が何も変わらないことに気付き、こりゃいかんと。
近くのパチンコ屋は、時給千円で人の入りが少ないとこにひかれ、応募。
面接に行って、パチンコしたことありませんってのが決定打だったらしく、落選。
この頃から、バイト面接6連敗位の記録が続いたような。

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警備員
こりゃまずいと、手っ取り早く短期バイトに申し込んだのがこの頃。
日当8千円近く稼げる、警備員のバイトを。
このバイトのネックは、5日間の研修が義務付けられてることで、その間のバイト代も1日5千程度出るとはいえ、その中身が。
もう体育会系でね。
革靴履いて来いっていうから、入学時に使った唯一の茶系靴履いていったら、黒じゃなきゃだめって怒られ、まず萎える。
代々木公園で、ずっと敬礼練習や、右向け右、前ならえなんて練習させられて。
いちいちどなってさ、いわゆる軍隊形式みたいな感じ。
なんでバイトでこんな目あわなきゃいけんの?っと率直な疑問が。
終わった後はまた来いよなんていわれて、その気になって帰りに三茶で黒い革靴買ったんだけどね。
いざバイトの日が近づくと・・、はい、あたしゃ嫌なものに対し無駄に頑張らないことにしてますから。
手元に残ったのは、用途のない白い手袋だけだったよと。

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カラオケ
12月半ば、再びフロンムAでバイトを見つけ面接に出かける。
そろそろ落ちなれた感もあり、いつもの調子でお出かけ。
時給とか週2,3日とか、条件つけるからなかなか決まらんのだろうなと思いつつ。

都立大駅前の本社ビル2階で、日の丸カラオケってとこの面接を受け、結果合格。
22時〜5時の7時間で、時給千円。週3日でOKと。
家の近くってことで、渋谷店に配属されることに。

渋谷店のバイト店員は、同世代なのにロン毛の茶髪で、まあ渋谷系。
明らかに浮いた存在でいてね。
まあ始めたからにはおとなしく生きてこうとマイペースでぼちぼちと。
年明け実家から戻り再びバイトに行ってると、都立大店に移らないかとの話をもらう。
渋谷店でのそれなりのポジション見出し、やってこうかなって時だっただけに、いろいろ悩んで。
聞くと、都立大店の店長以下バイトがクーデター起こし皆やめたとかで、これはチャンスに違いないと移籍を決意する。

これが自分にとって大きな出来事だった。
22時以降夜の部は、入ったばかりの社員2人とバイトの自分一人。
一人は昔カラオケ店で店長してた人でやりてだけど、もう一人の社員は初めての経験みたいで。
二人1階のレジにいるから、4階の厨房及び3・4階のフロアは一人で仕切ることに。
自前のカクテルがうりだから、レシピを必死で覚えて作る作る。
人がいないから、休みなしの2週間連続出勤の記録を作ったのもこの時。
その後もしばらく、1日休んでまた連続出勤といった感じで。
役目を与えられて頼りにされた時のやりがい、自分が中心に動くことの楽しさを知ったのはこの時。
社員の人にバイト後は近くのサンデーサンで食事を奢ってもらい、信頼関係をどんどん深めてね。
自分達がここを切り盛りしてるって使命感が、たまらなく充実した日につながったもの。

それからどんどんバイトを雇って、人も増え落ち着いてくる。
自分が一番の古株だから、皆にいろいろ教えるという役割を担う。

この時期、日の丸カラオケは過渡期でね。
元々日の丸パチンコという本業を持つ有限会社で、売り上げは業界トップを担う規模。
ただパチンコという産業が下落傾向で、新たなエンターテイメント事業をもう一つの柱にしようと模索していた時期。
元々遊び程度で手を出していたカラオケ事業に将来性を見出し、本業の柱にすべく歌広場っていうカラオケグループから幹部を引き抜き、部長にして改革に乗り出したというもの。
合理主義に反発し、元店長一派が皆でやめたという都立大店の事情もこれが根っこにある。

しばらくして大改革が断行されてね、カラオケの値段は週末1時間1000円で飲み放題ってメニューを導入。
カクテルもバーで見かける本格タイプから、業務用格安タイプに。料理も安く量多いがまずくなってね。
業績に厳しい人だったから、都内10店近くあったけど、元いた店長は皆やめることに。
渋谷店のバイトは、ほとんどやめてって、そう思うと移ってよかったなと考えさせられた。

移籍以来一緒に働いてる都立大店の店長さんは、歌広場で部長の下で働いていた人。
都立大は本社地の店ってことで実験店かつ結果が求められるとこで、本当に休みなく17時ー5時シフトで働いてた。
この人の下で、一緒に働いたから勉強することも多くてね。

厨房任せる人が出てくると、レジに移って会計を担当。
店長がエリアマネージャーを兼ね外出る機会が多くなると、レジ締めから全般を任される。
都立大店は一番忙しい店で、ここで仕事こなせるようになるとどこでも通用するってのが特徴。
店舗拡大期でどんどん新入社員が入り、1,2ヶ月でどこかの店長として出ていく。
彼らを教えつつ、その生き方をいろいろ聞けたのも面白かったこと。
テレクラの店長してたとか、いわゆるフリーターで30後半になったって人が多く、いろんな業界の裏話聞けてね。

他の店もバイトの入れ替えが進み、半年もたつと他店派遣によく行くようになる。
仕事はなんでもできるから、店長いないとことか、人が少ないとこに。
これが結構楽しくてね、2,3週間の派遣だけど、いろんな人と仲良くなるし。
行った店で、新丸子・下丸子・駒沢・渋谷店といった感じ。それぞれの店に思い出ありでね。

バイトの内容は、まあ、とにかく楽で。
なんで時給変わんないのかってぶつぶつ文句言いながら皆やめないのが、この理由。
22時から24時までがピーク。これは廊下を走り回り、厨房で叫びあい、まあ忙しかった。
でも、後はだらだら5時まで過ごすだけ。
週末は人が多いから、厨房に集まって、好きなジュース飲み、お菓子食べ、ご飯食べつつ、話しをする。
週末ってこともあり、競馬予想は皆燃えてね。新聞持ちこみ、ずっと考えてたもの。
本を持ちこみ読むとか、まあ好きなことをね。

バイトは、週末は客が多く人気ないから、率先して。
学校もあり、あまり平日やりたくなかったから。
金曜飲み会あっても、その後22時からバイトってのは、頼まれてよくやってたこと。
金から月の週4日が基本のシフトで、月10万以上は稼いでた。
深夜の仕事って、寝るのは朝8時頃で起きるの17時過ぎって生活。
夕食食べいったらもうバイトって感じで、ちっとも金使う時なく、たまりまくってたよ。
2年夏に、春休み東南アジア旅行に行くと決めてたから使わないよう意識もしてたけど、大きな買物は競馬の負け計20数万くらい。
100万近く貯まり、これで残りの2年間楽して生き、2回行った卒業旅行で使い切るまでもったもの。


よく続いたもので、結局やめたのが2年時の1月半ば。
ちょうど1年と一月たったとこだった。
やめた理由は誰にも言ってないから、軽く触れる。

まず、第一は深夜生活を一年続け生活のリズムが狂うことに嫌気がさしたこと。
いくら1日7時間寝てもやっぱりなにかリズムが違う。
1日バイトしかせずに終わる日にも疑問を持っていたこともある。
第二。2月から2ヶ月近く旅行に行こうと決めてて、その間籍だけ置くってのは難しいだろうなと思ったこと。
だから、1月末でやめますって事前に一緒に働いてきた店長にはいっていた。
第三は、人間関係。
都立大店は、人があまり変わらない。
これは、古い人がやめないこともあるが、新しく入った人がすぐやめるから。
日体大の剣道部の溜まり場でね、5人程度深夜のバイトにいて、縄張りのようにしててね。
体育会系の上下関係持ちこむから、皆やめちゃう。
彼らを教えた身だし、派閥を作らず入らずで、独特のポジション持ってたから気楽にはいたけど、そのボスとちょっとやりあってからは、いまいち関係もね。
働かない上偉そうでね、そういうのほっとくのあんまりできないのよ。まあ、嫌いってのは態度で伝わるみたいで。
年2こ上で、がたいよく喧嘩の自慢話してるような奴だったけど、そういうのは自分の喧嘩基準になし。
力勝負に持っていかないやり方で、それなりにやっつける。
体育会系ってのは、部下を使うからめんどくさくて、しょうもないチンピラの相手にしなきゃいけなくなってね。
チンピラは頭でやっつからんないし、そういうのに疲れたってのが大きい。
やめた時は、やめる日の数日前だったけど、ちょっとまじでぶつかってね、これ以上無駄にいてもと思い。
それで、その日の帰り際店長に、「今日でやめます」って言ってね。

ずっと一緒にやってきた店長は、その内情知ってたから、予定より早くやめる理由は察してたはず。
バイト間の問題に口出してもらわず助かったけど、最後の別れ際「おつかれ」っていつもの一言で終わってね。
潰れそうなとこから一緒に二人で盛り立ててきたって思いがあったし、それこそ店長の手足となって仕事に打ち込み、事情を知っててその言葉はないでしょと。
信頼してた彼との関係はなんだったのかって自転車での帰宅中も家でも悔し涙にくれてたよ。
まあ、その場にもめてた奴がいたから、配慮してとは思ったけど、ちょっと寂しくてね。

後日駒沢店を利用した時会って、もう一度働いてくれって頼まれた時は、嬉しかったけどね。
店長としてずっといないだろうし、もう深夜で働く気ないからと断ったけど。
でも、1年間のバイトを通し、人の管理の仕方から、仕入れ・販売・売り上げの感覚が学べ、お金以上に得るものがあった。仕事に対する自信ができたこともよかったこと。
結末がかっこ悪いから、人には楽しいとこの話しかしません。ここで見ても、触れないようにね。


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東京タワー
3年夏、特に金に困ってないけど、減る一方だからと再びバイト。
1ヶ月の短期。場所は東京タワーで、モリモリと一緒に。
東京タワーの展望台土産物売り場でバイトしてたってのは、話のネタになってやってよかったと思うとこ。
お土産の値段と場所は全部覚えた、ってこれ覚えなきゃ仕事にならなくて。
女性だらけの職場だから、なんか陰湿で雰囲気は好きじゃなかったけど、お客さんとの会話が楽しかったな。
関西の小学生にえせ関西弁で会話してね、すっかり関西人だと思わせたまではいいけど、どこに住んでるなんて聞かれるともう言葉につまり。大阪の西の方なんて、まあ山口の位置としちゃ間違ってないしななんて。
1億3千万人目の来客イベントが行われたのも、バイトしてたとき。
この日のこの時刻の家族連れをだって、その該当者選びの裏側を知り、世の中というものを理解する。
隅田川花火大会をタワーから見たし、地震での揺れも経験したし、いろんなことあったよ。
なにより東京の夜景が見放題ってのが、夜景好きとしちゃ嬉しかったことかな。

以上、バイト録。
また何かあれば、継ぎ足していこうかな。