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いや、やっぱり座敷から向こう岸まで見渡せる光景は絶品。
庭もいいけど、穏やかな川が流れる光景が他の屋敷にはない魅力。
実は口羽家は防長バスの創業者でもある。
なにそれ?って人も山口じゃ有名なバス会社。
株式会社化して権利はないっていうけど、米みたいにもう少し創業者一家を大事にしてあげてねと思うとこ。
左写真
座敷と奥座敷の間には、2畳ほどの相の間がある。
来客中ここに家来が隠れており、主人に何かあった時にはここから飛び出してくる武者隠しの名残。
右写真
座敷の襖は一見すると押入れのようなつくりだが、開けると外との通路となっている。主人に何かあった時、すぐに裏へ逃させる役割があった。
広い庭の少し不似合いなこじんまりした建物がぽつんとある。
建物内部もシンプルだけど、その作りとそこから見える景色は感心するところが多い。
管理しているおばさんの話を聞きながら見るといろんなことが知れておもしろい。
口羽家は、寄組(家老に次ぐ重臣)で、禄高は1千18石余。
もとは石見国(島根県)口羽村の領主だったが、関ヶ原敗戦後、毛利氏に従い萩に移った。そういう口羽家を毛利氏は厚く遇し高い石高を与えた。
口羽家は石高は高かったが、暮らしは質素で、主屋にもそれが現れている。
口羽家