東南アジアを放浪記 7

〜思い出を残して    ・・・バンコク


バンコク再訪    3/19

ついにバンコクへ戻ってきた。結局3時間遅れの到着となったが、無事で何より。バンコクの中心駅・フォアラーポーン駅に
荷物を預け、サームスクエアに行こうと思ったが、バイクタクシーの兄ちゃんのしつこい勧誘に負け、先に大学に行くことに
した。
危険な走りをするバイクの後ろに乗り、大学に到着。みんな元気かなと思いドミトリーに行ってみると、やけに静まり返って
いる。予想通りというか、ファイナルテストが終わり春休みに突入、大半の学生が実家に帰ってしまったという。出発前、フ
ァイナルテストが3月半ばにあるというので、あまり早く帰ってきては邪魔になるかと思い、遅らせるつもりだったが、いろい
ろあって遅れすぎたようだ。テストが終われば暇になるだろうから、どこか遊びに行こうかと思っていたのに、大失敗。

どうにか泊まるドミトリーだけは確保できたが、いつも一緒にいたバスとパングがいないし、彼に預けておいた荷物はどうし
ようかと思いさらに不安がつのる。ついでに、午後はお土産を買いに一人で買物に。まず手始めに、スーパーで、食品など
日本で手に入らないものを入手。

夜は1人で過ごしていたら、バレンタインの時などいろいろと仲の良かった友達ウィーが、タイ東北部から帰ってきて、自分
がいるという噂を耳にし部屋に遊びに来た。ようやく、聞かせたかった旅の話で盛り上がっていると、もう1人男性が入って
きた。一瞬学生かと思ったが、よく話を聞くと体育の先生で、以前日本に4回行ったことがあるという。日本のことなどにつ
いて話した後、彼がシャワーを浴びに行き、写真を持って戻ってきた。

彼は、かつてタイ代表の野球選手で、広島で行われたアジア大会に参加していたという。今はひざを壊して、ソフトボール
のコーチをしているらしい。文化施設や料理のことを二人で話し、周りの学生に説明をした。お好み焼きだけは、どうしても
あわなかったといっていた。また、写真を通して、日本についていろいろ教えることもできたので、本当に良かった。彼には、
その時出会った学生とまた交流がしたいので連絡をとってほしいと頼まれ、学校名と相手の名前が分かったら橋渡しでき
るよと伝えたが、それ以来部屋に来なかったのでどうすることも出来なかった。

タイ人は、見た目無表情でとっつきにくい感もあるが、話をすると皆いい人ばかりだと改めて実感した。


バンコク中心街へ    3/20

今日はお土産探しにバンコク中心街へ出かけた。昨日、バスの乗り方や品物の売ってそうな場所を聞いておいたので、
そこへ向かうことにした。
基本はサーヤムスクエア周辺。通称バンコクの原宿。人気のエリアというだけあって、若者をはじめ、むちゃくちゃ人が
あふれていたし、周辺デパートも半端じゃない規模だった。とりあえずタワーレコードなど見つつ、ワールド・トレード・セ
ンターに行き、タイシルクなどを購入。広いデパートの観光を楽しみ、マーブンクローン・センターへ移動。ここは一転大
衆的な品物を売っているショッピングセンター。服や、PSのコピーカセットを買う。こちらのほうが性にあっていて、だだっ
ぴろい店内を歩き回る。

やっぱりバンコクは見てまわるだけでも楽しく、予定としては余った時間でチャイナタウンやお寺に行こうと思っていたが、
この周辺での買い物だけとなってしまった。結局、友達と遊ぼうと思い少し余裕をもって帰ってきたのに、買物だけで潰
すこととなった。


最終日    3/21

そして最終日を迎えた。最後の買物地に選んだのは、チャトチャックウイークエンドマーケット。前回面白い品をたくさん
見かけたので、もう一度訪れようと心に決めていた場所だ。
5週ぶりのチャトチャックは、予想を裏切らずに、すごい数の人々でごった返していた。そして、デパートにはない、自分
好みの品が大量に出回っていた。さすがに3時間近く歩き回り疲れたが、大衆雑貨の宝庫であるここほど興味の尽きな
い場所もない。タックローというスポーツ用のボールを買い、ブーメランは思ったほど値引けず諦めたり。
タイ語で買物や値引き交渉をしてたから、自分も楽しめたし、相手にも喜ばれた。やはり、現地語での会話は、喜ばれる
ものだ。また、タイ人と間違われ、タイ語でいろいろ話しかけられたが、全然理解できなかったのは、本当に残念だった。
このウイークエンドマーケットは、観光客を対象としていない、地元の人メインの場所だから、要注意。タイには珍しく、英
語を話せないばあちゃん達が物を売ってるから、多少のタイ語知識は仕入れときたいとこ。電卓があれば、事足りたりも
しはするけど。
最後だから、金を使ってもいいやと思っていたが、予想以上の出費となった。


思い出    

長かった旅行も今日で最後。旅行中、正直、楽しいと感じることよりも、辛いと感じることのほうが多かった。帰りたいと
思ったことも何度もあった。でも、日本に帰れば、楽しい思い出になるはずと思い、乗りきった。
どこで知らせを聞いたか、パングが戻ってきて預けていた荷物を渡してくれた。学校にいた、自分とかかわった人達に
お別れをいった。いつか日本に行った時は案内してよと言われたので、もちろんと答えた。

タイにおいて、大学へ進学する割合は6%程度。特にこの大学は、東北地など田舎からの学生が多い。お金持ちの学
生は少なく、お世話になったパングも決して裕福ではなかった。でも、自分に対する親切に限りはなかった。毎日の食
事から、そとでの外食、電車賃まで、すべて彼らが払ってくれた。断ればいいのかもしれないが、彼らの親切を素直に
受け入れることだけが自分にできることであった。仮に彼らが日本にくることがあったら、僕は支援を惜しまないだろう。
彼らはそれ以上のものを自分に与えてくれた。

本当にいろいろな経験をすることができた。偶然が重なり、夢のような体験ができた。彼らとはいまでもEメールで連絡
を取り合い、2000年3月に再訪する予定だ。まぎれもない親友だ。

いろいろなことを感じながら、明日の出発に備えて、早めに寝ることとした。


TOKYO JAPAN    3/22

朝8時半の便に乗るため、5時前に起きた。昨日酒を飲みに行っていたらしいルームメイトが、床にもどしていた。自分の
バックにもビールが少しかかっていたが、気にせず用意にとりかかった。パングには旅行中借りっぱなしだった短パンを
洗えずに返すことを後悔しつつ、部屋の椅子にかけておいた。そして、朝のラッシュを気にして早めに学校を後にした。

バンコクの朝は涼しいくらいだ。2月末の照りつけるような暑さがなくなり、昼も過ごしやすくなっていた。ドム・ミアン空港に
行き、チャイナ航空に乗る。空港で、お土産と新聞を買った際に、タイ語で対応したら、店員さんもタイ語で答えてくれ、少し
親しくなり最後の思い出を作ることができた。7時間後、台北を経由しついに東京に到着した。

東京は3月の終わりだというのに、異常な寒さだった。外では小雨が降り、景色全てが灰色に見えた。人も町も冷たいとこ
ろだ。素直にそう見えてきた。皆が無愛想に、自分のことだけを見て生きている。もうここは、青や緑の原色に彩られ、降り
注ぐ太陽で光り輝いている景色も、街中にあふれる陽気な人々のほほ笑みもない、日本の国なんだ。目の前に広がる景
色に現実を突きつけられた。なんとも寂しい町に思えてきた。


総括

こうして、自分の旅は終わった。
自分の感じたこと、旅での出来事をここに書き記した。
もっと早く完成させたかったが、時間の都合から、1年半遅れてしまった。
これを読むことで、自分の人間性も見えてくると思う。
ただ、この細かい文章を最後まで読み通した人には、ご苦労様の一言である。
これを読んで、東南アジアへ興味を持ち、旅の選択肢の一つになってくれたら本望である。
ヨーロッパやハワイになど年をとってからも行ける。
アジアの熱さを感じ取れるのは、若いうちだけだ。
人間を感じてほしい。一生懸命生きている、純粋な人達を見てほしい。
いつか、どこかの町で皆さんに会えることを楽しみにしている。
きっと自分は、hiroの名で、どこかの宿に滞在していることだろう。
それでは、また会う日まで。
SEE YOU AGAIN!!


END


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