東南アジアを放浪記 4

〜一人旅開始    ・・・シンガポール、クアラ・ルンプール、ペナン、ランカウイ


旅立ち    2/23

朝6時半に起き、皆が寝静まっている時間帯に寮を出て、8時前に空港に着いた。シンガポール航空を利用してのシンガポー
ル行き。この日は空港を利用したこともあって、初めて日本の新聞を入手。どうやら日本では長野オリンピックが終わったらし
い。日本人の活躍が紙面を踊っていた。

ここで、旅行初めて日本の人と話をした。20台半ばの女性で、喫茶店で新聞を読んでいると、オリンピックはどうでしたかと、
話し掛けられた。久しぶりに日本語を話し、今まで言いためていたことを一気に話した。電話番号を交換して日本で会おうと
話をしたが、その後会うことはなかった。やはり、外国にいる時の自分と日本にいる時の自分は違う。会えば盛り上がっただ
ろうが、旅行での出会いはそんなものでいいと思う。

午後3時ついにシンガポールに到着した。どこに泊まるか決めていなかったため、とりあえず観光案内所へ行きパンフレットを
多数入手し、ホテル案内に載っていた最も安く、設備の整ったホテルへ向かうことにした。
とにかく、暑いタイでクーラー無しの生活、夏ばてになっていた。タイでは、何も用事がない昼間は、ただクーラーにあたるため
だけに、大学の近くのスーパーに行き、飲み物を注文して時間をつぶしていたりもした。自分のペースですごせるシンガポール
では贅沢をして、自分に休養を与えようと考えていた。

ただ、シンガポールは東南アジアらしからぬ落ち着いた町で、着いて早々自分が求めるものへの期待感をなくしていた。道に迷
い、地下鉄で迷い、目的ホテルに着いたのは日が暮れる頃。疲れきって達成感に浸っていると、ホテルの姿はそこになく。すで
に潰れたらしい。突然路頭に迷うことになった。

地球の歩き方には、安宿街が紹介されていたが、未だ未経験の安宿は避けたいという気持ちがあった。しかたなく中心地に戻っ
て、パンフレットに載っていた第2候補の安そうな宿に向かった。そこは立地条件最高のホテルビクトリア。どこへ行くにも最適な
場所。宿賃は、パンフレットの値段と違い結構高かったので粘って交渉したが、疲れていたため妥協。3日で1万6千円を支払い、
クーラー・テレビの付いた部屋で快適な夜を過ごした。

シンガポール観光    2/24、25

慣れていない体にクーラーはきつかった。昨夜は、あっという間に体調を崩し、さっさとクーラーを切っての睡眠に変更。テレビも
つまらないし、電話付きの部屋だったので実家に電話できたことだけが救いだった。

今日はシンガポール観光の日。とにかくマーライオンを見てみようと、地図を頼りにうろうろ。しかし、見たことのある人なら分かる
だろう。あれほどショボイ観光スポットはない。もう少し大きく、りりしいものかと思っていた。レプリカじゃないかと、何度も疑ったが、
集まってくる日本人観光客に確信を持ち、さっさと他をまわることにした。
結局その日は特別見たいものもないので、町をぶらぶら歩き、シンガポールの流行を研究しながら、CDなど日本で買えないもの
を手に入れた。元来新聞好きだから、日本の新聞の売っている本屋に行き、ファーストフード店で読んだりしていた。


これマーライオンよね?指写っちゃったけど、とにかくしょぼくて。


25日は、明日乗る予定の列車の時刻表を手に入れるため、朝からシンガポール駅に向かった。なんといっても今回の旅行のメ
インは、シンガポールからバンコクまで1本で走る、マレー鉄道の旅。とりあえず旅行者が始めに通ると言われる道に参加しにき
たのだ。相変わらず道に迷いながら駅に着いて目的達成後、中華街を散策。

シンガポールで感じたこと。
いろいろな人種を見たが、中国人には魅力というか、ひかれるものがない。みんな性格きつそうだし、自己の利益のためだけに生
きているような気もする。タイで親切を受けてきただけに、道を尋ねた女性に話しさえ聞いてもらえず軽くあしらわれたのは、少々
参った。シンガポールはきれいだったが、特別なものは何もなかった。シンガポールはどこか東京の冷たい部分の完成型のような
感じだった。東南アジアに求めていた喧騒を感じられなかった自分には、あわなかった。

暇な時間の過ごし方

人にはいろいろなタイプがある。その中でも大きく分けると、この二つ。ぼーっとして過ごすのが好きな人、絶えず何かをしていな
ければ落ちつかない人。そして、間違いなく自分は後者。
ゆっくり時間が流れていると言われる東南アジアでは、のんびり過ごすのがベストの過ごし方。結局、何もせずにのんびりすると
いうのが苦手なため、旅を通じて日本の新聞を探して歩いていた。駅のある町には、思わぬところに日本語新聞が売っているか
ら、いろいろな本屋をのぞいた。
特にお勧めなのが日経新聞。これなら平気で2時間近く読み続けることができるし、一番よく売っている新聞でもある。新聞を手に
入れたら、ファーストフード店へ。クーラーが効き、食べなれた食事は、安心感がある。こうして、暑い昼間の時間帯を過ごしたもの
だった。

マレー半島上陸    2/26、27

いよいよシンガポール出発。価格交渉の時は喧嘩腰だったホテルのおばさんともお別れを言い、駅へ向かった。当初国境の町
ジョホール・バルヘ立ち寄るつもりだったが、列車の到着駅と、時間的な都合からクアラルンプールに直行することにした。調子
に乗って2等列車を選んだため、またまたクーラー攻めにあったが、午後8時半に無事到着。

クアラルンプールは、マレーシアの首都。駅はモスクをかたどった豪華建物で、町も近代的だった。とりあえず落ち着き先を決め
ようと旅社という看板を頼りにいろいろあたるが、なかなか空いていない。ようやく空いていたところは、インド人のおじさんが店主
をつとめる、一泊800円の典型的な安宿。初めての安宿体験に嬉しくなり、すぐOK。バネの効かないスプリングベット2つと扇風
機・スタンドの付いた部屋。もちろんバス・トイレは別である。

シンガポールはタイほど暑くなく、食事も自分にあっていたため、体力が回復し、初日は深夜徘徊となった。マレーシアには深夜
屋台が大集結する。服屋から、時計売り、VCDとなんでもそろう。高層の建物があるかと思えば、人間くさいところも持っている。
近代化についていかない、庶民の生活がなんともおもしろい。明日からのマレーシア観光を想像しながら、宿で眠ることにした。


クアラルンプール駅


2日目は、いよいよ本格的にマレーシアを歩いた。マレーシアは意外にも、華僑の町だ。多くの華僑が生活の中心で関わってくる。
余計なことを書けば、人数的に少ないマレー人は、政府によって厚遇され、どうにか優秀な華僑から身を守ってもらっているといっ
たところだ。

朝屋台でカレーを食べて、ぶらぶらと町を歩いて人の様子を観察。午後からは、回教寺院に行くことにした。
パンフレットに書いてある時間に行ってみたが、観光客の姿一つない。どうしたことかと中に入ろうとすると、警備員に止められ、
「お前は、モスリムか?」と詰問。どうやら、金曜日はイスラムの日らしく、多くのマレー人がモスクに入っていっていた。しかたな
く、楽しみにしていたモスク参拝をあきらめ、宿に帰って休むことにした。
夜はチャイナタウンに行くなど、有意義にマレーシアを満喫した。


宿のおじさんと。


危機一髪    2/28

旅行最大の危機が訪れたのはこの日。
昼、ホテルをチェックアウトし駅に向かっていると、突然2人のおばさんに声をかけられた。日本人かと聞かれ、自分の娘が来週
日本へ留学するから、日本語を教えてくれという。話すといい人で、タイで人にお世話になったお返しとばかりに、喜んで家に行
くことにした。
途中のタクシーでも、日本通らしく、キムタクなどテレビの話題から、自分がそごうで働いていることや、自分の娘が山口県の大
学に留学するということなど、話しが合って、盛り上がった。

彼女の家に着くと、叔父さんや娘など家族に迎えられ、昼食をご馳走してもらった。異様に上手な日本語を話す娘に少し引き、
なんかいやに空気を感じ取り、警戒を開始。そして、予感が的中。食後、彼女の父親がブラックジャックを教えてやるという。これ
はやばいと、ようやくその状況を認識した。
何度もガイドブックで読んだ、最近の犯罪の手口。親切な振りをして近づき安心させる。そして、言葉巧みにポーカーに誘い、結
局身ぐるみを剥がされるという、そのままの展開が繰り広げられていることに。

否応なく、家の2階へ連れていかれ、机の前の椅子に座らされた。彼はカジノで働いていて、日本にもたくさん友達がいるという。
そして、その友達は皆自分のおかげでお金を儲けて日本に帰っていったという。しかし、これに乗ったら最後だと思い、机の前で、
「I don’t play. I don’t like gambling.」と必死でアピール。

彼は、自分がいかに公式なところで働いているか、その場に来たら必ず勝たしてやるなどと説明するが、習うだけならうとか中途
半端な妥協をしたら必ずやられると思って必死で拒否。娘も部屋にきて、意気地のない奴だと馬鹿にされるが、そんなことはどう
でもよかった。数十分のやりとりの後、あまりの固い信念にさすがにあきらめて、そのまま一階に戻された。

自分が彼らを悪者として扱わず、怖がるわけでもなく、ただギャンブルは自分の信念でやらないんだという意思を貫き通したため
か、何事もなくタクシーで駅まで送ってくれた。彼らは最後まで善人を強調し、偽者のサダム・フセインの写真を見せながら、(日
本人に逆効果とは知らないようだが)友達だといったりもしていたが。
とにかく何もされなかったし、運がよかったのだろう。(昼食をただで食べれたし)


この車に乗せられ・・。帰りは結局駅まで送ってもらいました。


この日の午後、ファーストフード店で九国大の人と友達になったのだが、この話をすると、それはまじでやばかったよと驚かれた。
最近日本人が、詐欺で200万支払わされたというのが旅行者の話題になっているという。それに、平気で出されたご飯を食べた
ことを指摘されて、最近は、「飲み物に睡眠薬を入れられて気付いたら身ぐるみをはがされ知らないとこに放置される」という事件
がよくあると教えてくれた。
そう思うと、2階にあがっている間1階に置いた荷物も、無事だったので本当によかった。(荷物にかけてた鍵位置とダイヤルがず
れていて、開ける努力はしたらしかったが。)

犯罪に直面したとき。やはり最後まで犯人を追い込まず、逃げるという選択肢を残すような行動をとるべきである、と経験を通じて
確信した。

首都出発    

いろいろあったが、駅に着き22時発の夜行列車のチケットを取った。出発までまだまだ時間があったので、国立博物館に行きマレ
ーシアの伝統に触れた。夕方にはインド人街の歩行者天国をまわりながら、偽ロレックスやコピーVCDなどを買い、セントラルマー
ケットを覗いた後、伝統舞踊の路上ライブを鑑賞し再び駅に戻った。


マレーシアにはインド人街があり、多くの人達が住む。


明日は、夜行列車でバタワースに明朝到着、そこで船に乗換えペナン島を経由しランカウイ島へ行く予定。
ペナン島は有名な観光スポットだが、会う人皆があそこの海は汚いというので敬遠。海好きの自分は、一度エメラルドグリーンと
呼ばれる南の海を見てみたかった。それだけのために、今後きれいな海探しの旅となるのだが・・・。

出発予定の22時、気合を入れて電車に乗りこむが数百メートル動いた後停止してしまった。理由も分からず、なんの発表もない
まま1時間後どうにか無事出発となった。椅子が変形して2段ベットに変わる寝台列車は、風の入りもよく、快適だった。


ペナン滞在    3/1

出発時間一時間の遅れが、旅行の計画変更を余儀なくさせた。もともと予定などなく、気分の向くまま動いていたので、どうでも
よかったのだが、海に長期滞在するという計画は変えざるおえなくなった。

ランカウイ島への船便に乗り遅れ、明日の便を予約して今日の予定を考えることにした。ただ、船に乗れなかったショックはでか
く、思い入れのないペナンで何をしようかと悩み、とりあえず、近くに砂浜があったのでその上の道路に座ったぼんやり時間を過
ごした。そこでは、砂浜に打ち上げられた木材やごみをおじいさんが片付けていた。せっかくだからと、おじいさんと一緒に1時間
あまり掃除をすることにした。
しばらくして日本人団体客が浜辺付近に到着。きれいな浜を見る日本人観光客しり目に優越感に浸っていた。掃除が終わると、
ごみを回収に来たお兄さんがうちに泊まりにこいと誘ってくれたが、明日出発するため、軽く断り、静かにその場から立ち去った。

結局その日は、一泊800円で窓のついた快適な部屋に出会い、安心してペナンの町に繰り出した。ペナンの中心にあるデパート
を見学し、街中と人間を観察。ペナンにはいいイメージを持っていなかったが、のんびりとしていて良いところだと分かった。この
日は、電話ボックスで困っている日本人を発見し、彼と同様電話がかけられず困っていたから声をかけ、夕食をとりながらお互い
に旅について話をした。彼は大阪国際大の人で、卒業旅行とのこと。旅で人と出会うのは楽しいことだ。

ランカウイへ    3/2、3、4

今日こそはと、早起きして朝8時の船でランカウイへ。ペナンの海が汚いと聞きランカウイへ向かっただけに、エメラルドグリーン
の海を期待して出かけた。
船が着くとさっそく客引き。初めは断ろうと思ったが、値段もそう高くないし、結局頼んだ。3つのビーチのうちから1つを選び、バ
イクのレンタルを断った後、車で送迎。海の目の前のバンガローを1泊1200円×3泊。海でのんびりしたかったので長居を決意
した。

さっそく着替えて海へ。人は誰もいなかった。なんとも寂しいビーチ。海水には細かい喪のようなものが混じっていて、透明度が
低く期待はずれ。ただ、砂浜だけは異常にきれいだった。とはいえ大の海好きとして久しぶりの海を満喫し、明日はきれいな海を
求めて近くにある別のビーチを求めて移動することにした。

翌日、朝からレンタルサイクルを借り、サイクリングがてら違うビーチへの移動。結構移動したが、ビーチがあるのはどうも歩いて
10分とかからない場所にだけ。つながっている海が特別きれいであるはずもなく、しかたなく砂浜を歩き人間観察。ここは結構
栄えていて、多くのビーチボーイが呼び込みをしていた。人も多く、卒業旅行らしい日本人女子大生の群れが騒いでいたりもした。
しかたないから、サイクルを借りた意味もなく、元のビーチに戻りまた泳ぎつづけることにした。

日にあたりだして2日目だが、一気に焼こうと思ってサンオイルを塗ったのが失敗。人より肌が弱いため、体がひりひりし始め、
とてもじゃないが絶えることができなくなり、海水浴を中止。部屋にいるのも暑いだけなので、近くのショッピングセンターに行き
涼しみつつ時間を過ごした。
ところで今日は、国際フォンカードというものを手に入れ、ようやく公衆電話から実家に電話をした。1週間に1回のペース。電話
するたびに、心配をかけているのが分かるが、かけれないものはかけれないのである。

ランカウイ3日目。3泊宿を予約したことを後悔しつつ、最後の海だと思って泳ぐ。午後に泳ぐと日差しが強くて体が痛くなるので、
日焼け止めを塗って午前中に泳ぐことにした。午後からは近くの水族館に行って、見たこともない魚を鑑賞しつつ、その後浜辺の
木陰で休み、18時位から夕日を見るべくまた泳いだ。

夕日というのは何か人をひきつけるものがある。その時間になると近くに住んでいる人が集まりだし、何を言うわけでもなく沈むま
で静かに見守りだす。自然の尊さを感じながら、ランカウイの海を見つめた。

この日の夕食は、オーストリア人のおじさんと一緒にとることになった。いつも見かけるおじさんで、今日写真を撮ってもらおうと思
って話しかけた後仲良くなったのだ。彼はオーストリアのホテルで働いていて、シーズンオフの1〜3月は休みだということ。2ヶ月
かけて、台湾・香港・バンコクなどを旅行しているらしく、その過程でここに寄ったのだという。ビール好きの彼から、ビールを一本
分けてもらい、飲みながら話をした。

話の途中、近くにいいレストランがあるから一緒に夕食を食べようという話しになった。そこの店主は彼の友達で、自分でも料理を
作ったりするという。しかし、この話を聞いた瞬間思ったのが、あやしい。クアラルンプールでのことから、親切に誘われるとそう思
ってしまう。また、少なくともレストランで食べると120円以上はしそうだと思い断るが、そこも安いという。

悩んだ末、場所が分からなければよそうと思い出かけると、すぐ目の前の店。店に入ってメニュー表を見ると、ウエスタンフードの
店で、また高い。しかたなく、安そうで、量もありそうなフライドライス200円を注文。飲み物も頼めずにいると、少し酔っ払った彼
が来てスプライトを奢ってくれた。
それでも、明日のタクシー代及び船代を考え、出費の大きさを痛感しつつ、飯をたいらげた。ところが、勘定を頼むと、お前は彼の
友達だから無料でいいよと200円を返してくれた。当然貧乏な自分は断ろうともせず、彼と握手をして感謝の言葉を連呼し、また
会おうと言って店を出た。

彼はただのいいおじさんだった。人の親切を受け入れなかった自分に恥じ、一期一会の偉大さを感じながらランカウイ最後の夜を
過ごした。


オーストリア人のおじさんに撮ってもらった写真。いつも泳いでた海をバックに。


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