東南アジアを放浪記 6

〜苦楽    ・・・クラビー、ピピ、プーケット、スラーターニー


エメラルドグリーンを夢見て    3/10

今回の旅で一番悩んだ分岐点はここだった。マレー鉄道に乗りつづけるか、脱線してきれいな海を見に行くか。いろいろ
悩み、マレー鉄道完全制覇の夢は捨て、エメラルドグリーンの海を探すことを決意した。場所はピピ島。ここは、タイの大
学生に素晴らしいところだからぜひ行ってみろといわれた所で、どうしても立ち寄ってみたかった場所だ。

朝9時に来いという昨日訪れた代理店の言葉を信じて行くと、チケットがないいわれる。これ以上ハジャイに泊まるのも嫌
なので、他の店に行き、午後1時発の便を予約。しかし、この便もピピ行きではなく、クラビー行きだった。結局ピピ手前の
港クラビーまでのバス旅行となってしまった。
バスとは名ばかりの小型ワゴンに乗せられ、4時間の移動。今日は朝から疲れていたし、めんどくさいので誰とも話す気に
はなれなかった。

このバスで出会ったのは2人の女の子。年は17歳だという。彼女達は終始元気で、話しをしたり歌を歌ったりしていた。正
直うざいと思いながら横でボーっとしていたが、流れ的に隣に座っていた自分にも話しかけてきた。ただ、やはり話すといい
人達で、いい人達と接すると自分も素直に影響されるありがたい性格なこともあり、それまでのストレスみたいなものが吹き
飛び、一気に和んだ。

彼女達は歌手で、チェンマイ出身。クラビーのバンガローに歌いに来ていると説明してくれた。写真を交換しようというので、
バンコクで撮った写真をあげ、裏に偉大な歌手になって日本に来てくださいと日本語でメッセージを書いた。本当に明るく
純粋な子で、もっとたくさん話をしておけばよかったと思った。
盛り上がっているところで到着し、2人の写真を撮ることができなかったことも、後悔の一つだ。後で聞けば、彼女達のよう
に東北出身の貧しい女の子の多くが、歌手として働いているという。彼女達の明るさがあれば、きっと成功すると信じるば
かりだ。

到着後は、明日の船の予約と宿泊地を決め、町をぶらついた。なんとも落ち着いた港町で、それなりに栄え外国人も見ら
れる。夕日を眺めた後、久しぶりに見る海を見つめのんびりと時を過ごした。


いざピピへ    3/11

今日は、ついにピピ島に到着。クラビーの港でサンドイッチを売っている日本人に話をしたが、現地で働く日本人はかっこ
いいものだ。ピピでは、到着と同時にあふれる客呼びの一人について行き、宿をとった。ランカウイでの失敗もあり、とりあ
えず2泊を予約、気に入れば延長ということで話をした。
バンガローは、海から2、3分の、値段の割に立派なものだった。さっそく海に泳ぎに行く。そこには、まさにエメラルドグリー
ンの海が広がっていた。嬉しくなり、水中眼鏡をつけて泳ぎ続けた。ただ唯一の不満は、あまりに海が浅いこと。どこまでい
ってもほんとに浅い。構造上そういう形だから仕方がないが、泳ぎ好きとしては納得できないところがあって。
もう少し金を出して、もう1箇所のビーチに行ったほうがよかったかなと思いつつ、海を満喫していた。とにかくこの海は南国
の隠れたリゾート。ほとんどが外国人だし、タイ人は働いている現地人が主。浜辺には、映画でしか見かけないトップレス
の女性が歩いている、まさに南海の楽園であった。


ツアー参加    3/12

昨日は最後まで悩んでいた。シュノーケルのツアーの参加料1200円、値段的にはぜんぜんOK。ただ、ツアーといのが気に
かかる。知らないグループとの余計な心労を避けたいと思いながら、こんなチャンスは2度とないと無理やり自分を納得させ、
参加料を払った。
朝8時半に集合して船に向かった。そこで、昼の弁当や、ジュース、足ひれ及びシュノーケル道具一式を渡され船に乗りこん
だ。白人グループなどもいたが、唯一の1人身を考慮してか、タイ人グループに入れてくれた。ピピ島を離れ、無人島のバイキ
ングケーブを見学し、そこにあるというツバメの巣を見せてもらう。かつてテレビで見た場所だと感動しつつ、船で仲良くなった
タイ人グループに写真を撮ってもらう。

乗った船には2つのグループがあり、1組はカップル、最後まで2人だけの世界を作っていた。もう1組は、スコータイ(北の方)近
くに住む社会人で20歳の女の子5人組。彼女達とは仲良くなり、孤立せずほっとした。その後、ポイントでシュノーケルをし、きれ
いなサンゴ礁を見たり、魚達が泳ぐ姿を観察。とにかく海自体がきれいだから、ほんとに楽しい。
タイ人といえば仏教徒。どうやらあまり肌の露出はよろしくないらしく、皆シャツに短パンという普段着のまま海で泳いでいた。つ
いでにカップルの1人、男もシャツを着て泳いでいたのには、少々驚いた。
昼は離れ小島である無人島に行き、昼食をとる。とにかくほんとに透き通った海に乾杯である。ここでは、6ヶ国語を操る中国人の
機長さんを通じて、彼女達と深い会話をした後、もう一度シュノーケルをして港に戻った。

ピピ島
リンク(ピピ島シュノーケルツアー)


ついでにここでは、もう一つの初体験。皆さんは海で小をしたことがあるだろうか。自分の記憶にある限り、そんな体験はなかった。
別にそんな切羽詰ったことはないし、我慢しようと思えばできないもんではない。だいたいそんな勇気がない。ところがここでは我
慢の限界。朝から船に乗ってジュース一本と水をあけ、十分環境ができあがり、港まではまだまだ時間がかかりそう。しかたなく、
スノーケルしながら船から離れて、液体を海中に放出した。
一つ思ったのは、あれって絶対水着につくよね、つくものなのかな?当然自分は、波の流れを計算して、しばし外出させての実践
となったのだが。

夕方は、潮が引いた後できる広場で毎晩やっているサッカーに参加。現地人が中心だが、旅行者も混じり結構真剣な試合。
毎日やっているだけあって、やけにうまい中年のおっさんがいたり、ブラジル人とイタリア人が張り合っていたりと久しぶりに
汗を流し楽しく充実した1日となった。


再び来襲    3/13

タイ料理で思うこと、それは基本的に量が少ない。暑いのであまり食欲が無くなり、いつもは少量でいいのだが、泳いだ後などは、
腹が減って仕方がない。まあ、その量のおかげで女の子は皆小柄だし、男もやせてるんだろうけど。

と思いつつ、ついにまたまたやってきた。これさえなければタイはほんとにいいとこなのに、何が原因かわからない。昨日はいろ
いろ食べ過ぎた。もらった水か、夕食の魚か、そのとき飲んだオレンジジュースの氷か、そう、腹を壊したのだ。
とにかく朝から止まらない。このため、今日は何をすることもできず、無駄な時間が経過していく。このこともあり、時間的なことか
らも21日に帰ろうと決意するが、電話する力もない。最終日に予定したタイ式マッサージも、1時間耐える自信がないため取り消
し。気持ちも悪く最悪の1日だった。


プーケットへ避難    3/14

朝3時、吐いた、死にそう。朝になるまで、下痢と嘔吐の連続。これはやばい。もう一泊この島に留まることをあきらめ、プーケット
の病院に行こうと決意。いまいち胃はぱっとしないが、下痢は止まったようなので、プーケットで数日休養をとることにし、少し贅沢
なホテルに泊まることにした。
ついでに、パキスタン航空に電話。オープンチケットなので、帰りの便を予約しなければならないのだ。しかし、相変わらず電話が
つながる気配がしない。その家につながるし、いったいどうしろというのか。
午後からようやく食欲も出てきたので、無難なファーストフードを食べて過ごす。しかし、食べれば出るもので、まだ下痢が止まっ
てないことが分かった。体力的および精神的な辛さは変わらず、1日を過ごす。


これぞタイ    3/15

今日も昼間いろいろと試したが、パキスタン航空に電話が通じないため、弱気な自分に活を入れ、スバルという日本食屋で相談
することにした。しかし、今日は店長さんが出かけていて、明日戻ってくるということ。かわりに、おじさんが話しかけてきて、仲良
くなり遊びに連れていってもらうこととなった。
すでに都庁を中途退職して、タイ暮し2年目というおじさんは、行きつけのクラブに連れて行ってくれた。しかし、そのクラブは、タ
イ語しか話せない子ばかりで、楽しそうにしているのはおじさんだけ。いまいち会話が盛り上がらず、お酒を飲まずにコーラばかり
をすすり、雰囲気だけを楽しむこことなった。

その後もう一軒連れて行ってくれたのが、ホステスさんのいるビアガーデンといった感じの場所。ところが、ここもほんの少しの
英語が話せる人がいるのみで、いまいち会話にはならない。ステージでは歌を歌っている子がいて、客からチップをもらっている。
クラビーであった女の子もこんなとこで働いてるのかなーと心配しながら、コーラを飲んでいた。

問題はこのおじさん。かなり酔っ払っている。いつもここから帰ると、お金がなくなってるんだよといい、どうやらぼられてるらしい。
この人にも問題があるようで、チップの花束を巡って、ボーイともめだした。なんかいきがったボーイだったので、自分も参加して
一発触発。まともな人が出てきて場をおさめようとするから、それにこしたことはないとお互いの問題点を洗う。酔っ払い過ぎ意識
の不確かなおじさんをなんとか諌め、お店の人と話をつける。

会計自体明朗だったのは、初めて来た自分に好印象を与えるためか、元々そうなのかは不明。このおじさんとは、彼の生き方や
考え方を聞いたり、今の日本の現状について語ったりと、久しぶりに熱い時を過ごした。ただ、本気で蛇行運転するこのおじさんの
酔払い運転を体験したため、帰りは気持ち悪くなってしまったが。


三度来襲    3/16、17

今日の朝になってぶり返した。いろいろ悩んで、病院に行くことを決意。そこまで酷くなかったが、いつまでたっても治らないし、
保険で無料というので。病院の施設は立派で、ホテル暮らしよりよっぽどいいと聞き、一度体験することにした。
日本人職員のいる病院を選び、タクシーで移動。ほとんど食事をしていなかったため、1日入院して点滴を受けることに。部屋
はきれいでバス・トイレ付き、冷房も効いているし、テレビもあるのでいうことはない。入院グッズ一式を渡され、着替えた後部
屋で休養を取ることとなった。

しかし、楽しかったのもここまで、直後に点滴が始まった。なんともいやな感触、どうもしっくりこない、違和感を感じる、痛い。落
ち着いてテレビも新聞も見ることができずに、なるべく寝て、時間が早く過ぎるように努力した。夕食も朝食も、人間の食べ物で
はなかった。途中で目が覚め、その度にいやな感触を思い出しつつ、ようやく朝を迎えることができた。
朝の検診。もう1日入院したほうがいいと言う先生の意見など無視して、必死で退院をせがむ。ようやく脱出。ベビーパウダーや
ブラシ等、少々の付属品を失敬して部屋を後にした。

ここで会った日本人の病院関係者えみこさんには本当にお世話になった。帰り際、パキスタン航空に電話してもらい、予約につ
いて聞いてもらった。外国語を上手に操る女性。かっこいいものである。結局4/3日まで席が埋まっていて、乗ることはできな
いという。60日オープンであることと、大学の都合から、遅すぎると判断し、他の航空会社を探すことにした。

プーケット市街に戻って、明日のバスと新たに中華航空の席を予約。この日は、ホテルに帰っても、点滴後の腕の痛みが取れな
いので、ひと寝入りした。その後回復しても、食欲はそんなにないし、買物する気もおきず、何もすることが無いまま時計と睨めっ
こをしながら暇なときを過ごした。


移動    3/18

今日は、朝8時にホテルからミニバスに乗り、長距離バス乗り場に連れていかれ、そこを9時に出発。欧米人の御一行で、この旅
初めて見た本格的な大型バスにらしさを感じつつ、つまらないバス旅に。プーケットからはバスでバンコクまで戻れるが、長時間
のバスは嫌だし、今回の楽しみは鉄道旅行なので、遠回りになるがスラーターニーという駅に向かうことにしたのだ。どこか冷た
さを感じる欧米人とは打ち解けることなく、13時ごろスラーターニーの町についた。

しかしここで話はこじれてきた。このバスはバンコクへ直行だと言う。ここはただの休憩所。バンコクへ行く方が安いし、ここで下り
るなと言う。こっちは、そんなことお構いなし。自分には自分の計画があるとさっさと荷物をバスから下ろしてしまう。
ここでまたまた問題。バス乗る前にチケットを店の人に渡したのに、運転手がチケットを見せろと言う。当然持っているはずがない、
それを説明。しかし分かってくれない。
だんだん腹が立ってきた。怒鳴りあいになる。少々朝から機嫌が良くないのに加え、こっちが正しいのは確かだから、言い放題。
本気で英語でどなりまくり、日本語で言や「ふざけんな、冗談じゃない」って感じできれきれ。さすがに向こうも引いてしまい、それ
なら駅まで遠いから、タクシーに乗っていけと言う。
しかしそのタクシー代が900円。ここまでのバス代が750円なのに、ここぞとばかりにぼってきたなと思い、他のタクシーを捕ま
えると言い突っぱねる。ところが、それでは引き下がれないとばかりに言い寄ってくるので、しかたなく妥協。そんなに距離はなか
ったが、お金を払い、ようやく駅にたどり着いた。

バンコクまでの夜行列車が出るのは4時間後。何もない町で暑い中での時間つぶし。飯を食ったり、コンビニに入って涼しんだり
して過ごし、ようやく電車に乗りこむ。15分遅れて発車したと思ったら、当然のごとく停車してしまい、そこから2時間動かなくなっ
てしまった。それも慣れたもので、いつかは出るだろうということでのんびり休憩。その後は、順調に走り、快適な寝台生活を送る
こととなった。


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