東南アジアを放浪記 3

〜学生生活を満喫中    ・・・バンコク、ロブリー


ウイークエンドマーケット    2/15

6日目、タイに来て初めての週末。パングから一緒にウイークエンドマーケットに行こうと誘われ、昼過ぎ、2人でバスに
乗り込みチャトチャックマーケットに向かった。

週末だけに開かれるというこのマーケットは半端な広さではない。食べ物は野菜から魚・肉まで、動物はペット用にか哺
乳類から爬虫類、鳥類までひしめき合っていた。服屋はもっと多い。ジーパン屋だけで、何十軒とあり、Tシャツから海パ
ンまであらゆる物が売っていた。
他にも、お土産屋から宗教グッズ販売店、カセットテープ屋と見かけただけでものすごい数。当然すべてを見ることが出
来るはずも無く、たまっていた疲れもあり、休み休みに観覧。ものすごい人と店の数に圧倒されながら、いつか役立ちそ
うな海パンとパングが買ってくれた彼の好きな歌手のカセットテープを持って帰宅した。

       
左写真:チャトチャックウイークエンドマーケット中央広場にて
右写真:タイの楽器をパングの部屋で練習。同部屋のイーサンクラブのポックに教わる。


この日の夕方は、バスが自分の友達と一緒に外の屋台で食事をしようと誘ってくれ、外出。学校の前の屋台で、ジョイと
レックを紹介され、いろいろ話をした。
ジョイは、明るくさっぱりとした女性で、彼女の笑顔は場を和ませてくれた。タムはひょろっとした長身の男。話の雰囲気
では、タムはジョイと付き合ってるよう。タイの女性の魅力は、小柄な体型に加え、優しさ、笑顔、そして時々見せるシャ
イな部分にあると確信。楽しい会食を終え、翌日から始まる悶絶の前の静かな夜を過ごした。


女の子がジョイ。むっちゃかわいく、はい、惚れてましたよ。


悶絶    2/16,17,18

楽しい旅行が、辛く厳しいものへと変わる。旅行者が語る通過儀礼という奴がやってきた。間違いない、昨日屋台で飲んだ
水の中に入っていた氷だ。
何度トイレに行っただろう、いつ終わるとも分からない腹下しのため、部屋から1歩も出ることができず。以前約束した買物
の予定は、約束した本人が来ず、中止。これで安心して養生できると、どこかほっとした。出すもの出せばなんとかなると思
い、一日中ベットでタイ語の勉強&睡眠に費やした。

翌日、今日も最悪のコンディション。昼頃になっても治る気配さえしないので、日本から持参した薬を飲んだ。腹下しが止まり、
安心したとこで、タクシーで15分のところにある大型ショッピングセンターに出かけた。到着から1週間。いつまでも大学に滞
在するわけにはいかないと、前から考えてたことの準備に。そう、シンガポール行きの航空券を買いに行ったのだ。そして、店
内のレコード店で、この出会いを導いてくれた女性オレに何かプレゼントしたくて、最もいけてるタイタニックのサントラ盤も併せ
て購入し、帰宅した。

安心したのもつかの間、その5時間後、新たな危機に襲われた。腹下しを無理に止めたため毒素が腸で止まったようで、そこ
から味わったことのないような痛みがお腹に走った。タイより日本の薬のほうが効くというが、その土地の病はその土地の薬で治
すべきだった。さすがに辛くて、翌日治らなかったら医者に行くことを決意し、早めに就寝した。

ついに腹をこわして3日目。やはり治らなかった。医者に行く気力さえない。とりあえず涼しいところでぐっすり寝たくて、空港近
くのホテルのデイユーズを利用することにした。
病の時は気が弱いもの。
ホテルを利用したもう一つの理由、それは電話をかけること。到着翌日ホテルから電話して以来、2回目の電話を実家に入れた。
「腹をこわして死にそうだ、もうすぐ帰る」、そう伝えた後、予約した23日シンガポール行きのチケットをキャンセルして、24日のパ
キスタン航空で日本に帰ろうと思い、航空会社に電話した。

60日オープン。その期間、いつでも飛行機を利用できるけど、当然予約を入れる必要がある。ここで役立ったのが、英語力。
電話で話す英会話、さっぱり聞き取れないのである。結局あきらめ、クーラーの効いた部屋で夕方6時まで寝ることにした。

そしてこの日の夕方、オレ・バス・その他2人と夕食を食べに行った。オレは始めに声をかけ、この出会いを導いてくれた女の子。
あの時以来会っていなかったから、会いたいと以前からバスに伝えておいたことがようやく実現。ところが、さすがにこの体調で
は楽しめるはずもなく、あまり盛り上がらずに、アイスだけ食べて別れることになった。

とはいえ、休養のおかげでこの日の夜から回復の兆しが見え始め、夜は現像に出しておいた写真が出来あがったこともあり、今
まで撮った写真を見ながらみんなでさわいだ。

             
左写真:イーサンクラブに、観光行った時の写真を見せに行く。
右写真:現像ができたって噂を聞きつけ、いつもいるパングの部屋に皆が訪ねてきて。


観光    2/19

完調と言えないまでもだいぶ回復してきた。今日は、この前食事をしたジョイとタムが観光に連れていってくれるという。
どうやらバスは授業があって行けないということだ。ジョイの事を少々気に入っていることに気付いたのか、バスに、「タ
ムの彼女だから手を出すなよ」とやんわりくぎを刺された後、出かけることになった。

相変わらず天気がいい。というか、乾季らしく、タイに来て雨が降ったところを見たことがない。バスで乗り換えポイントま
で行くと、もう一人参加者がいた。名はレック。ビジネスの大学で勉強中とのこと。どうやらジョイの友達で、彼らとちょく
ちょく遊びに行ってるらしい。相変わらずタイの女性は小柄で、cuteという言葉が似合う人達だと思いつつ。

この日は、2度目のワット・プラケオ参拝を始め、ウインマーメーク宮殿、ドゥシット動物園と観光地を見て回った。いかん
せん病み上がりで、腹の具合を尋ねながらの行動。ご飯も食べる気がしないと相変わらず。ここ3日ほとんど食事をして
いなかったこと、30度を超える暑さのためから、かなり疲れてしまった。せっかく連れてきてもらったのに、休んでばかり
であまり歩こうとせず、悪いことをしたと思う。

動物園では足漕ぎボートで遊覧するなど楽しんだが、この日のメインは別のところにあった。それは、ラマ9世を見たこと。
彼の偉業はガイドブックを通じて知っていたし、タイ人皆が尊敬してやまない国王に会えたことは本当に嬉しかった。動物
園の隣が国王の住む宮殿なのだが、外でバスを待っていると警察が集まってきて交通整理が始まった。国王が通るとい
うので、興奮してじっと待つ。しばらくして、一般車が完全に止められ、何台か連ねた黒塗りの車が入ってきた。周りの人も、
そして自分も、手をあわせて尊敬の念を表す。数十秒後、何もなかったかのようにもとの喧騒とした世界に戻ったが、あの
瞬間は空気が張り詰めなんともいえないものがあり、タイにおける最高の出来事の一つとなった。

観光
リンク(ジョイ達との観光)


ロブリーへ里帰り    2/20、21

今日は朝から、シンガポール出発に向けてリコンファームをするためセントラルプラザに向かった。前回電話で聞き取れなかった
教訓を活かして代理店まで行ったけど、どうやらリコンファームは必要ない模様。この後バスと約束があったから、急いで大学に
戻る。

午後2時、予定通りバスと一緒に大学を出発。目指す先は彼の故郷ロブリー。
彼が自分の実家に連れて行ってくれるというので、喜んでついて行くことにしたのだ。大学そばの駅から電車に乗りこみ、硬い板
の座席に座りつづけること2時間、ロブリーに到着。そこからバスで移動。彼の通った高校や、遺跡を紹介してもらいながら、実家
に向かった。


ロブリー到着直後にバスと駅プラットフォームで。


彼の父親の職業は軍人。家は、軍関係者が住んでいるというだだっぴろい団地の一角にあり、入り口にはバリケードと物々しい
警備員が備え付けられていた。
彼の家は、二階建ての一軒屋。2人で母親手作りの遅い昼食を食べた後、彼の弟2人と近所の子供を混ぜて、サッカーとなった。
タイで最も人気のあるスポーツといっても過言ではないサッカーは、あちこちで行われている。久しぶりのスポーツだったこともあ
り、熱くなり日が暮れるまで楽しんだ。
しばらくして彼の父親が帰ってきて、家の横に散髪屋を併設しているほどの自慢の腕を披露ということで、中途半端に伸びた髪を
切ってくれた。

夜は、家族皆での食事。家庭料理はさほど辛いというわけでもなく、久しぶりに腹いっぱい食べた。食後は、皆でプレステ大会。
タイでは普通にゲームソフトのコピーが売られてて、一枚150円足らずだから、家には大量のゲームソフトが山積みされている
状態。すべて日本語で表示された文章の解説をしながら、朝5時まで、ゲームに打ちこむこととなった。


バス一家。朝出かける前のワンショット。


翌日朝食を食べた後、彼の両親が近くの古城に車で連れていってくれた。そこは、かつてロブリーが栄えた時代のお城らしく、
崩れかかった建物や、歴史資料館を見学した。また、この日はお祭りで、民族衣装を身にまとった人達や、いろいろな屋台など
でにぎわっていた。タイに来て12日目。タイに着いた時より日差しは強くなり、気温も高くなっていた。まさに夏ばての状況。
あまり観光を楽しめないまま、大学へ戻ってくることとなった。


ロブリーの旧城にてバスの両親と。


初めての買い物    2/22

いよいよ明日はシンガポールへの出発日。「まだいるんだろ?」と聞かれる度に少しずつ伸びていった滞在期間も、後少しとな
った。今回日本から持ってきたのは、タイのガイドブックだけだったから、シンガポール・マレーシアの情報を手に入れるため、
旅行者の集まるカオサン通りへ行くことにした。

一度行ってみたかった人種のるつぼカオサンは、少し違った雰囲気をかもし出していた。いかにもっぽい安宿やカフェを見つつ、
古本屋を探して歩く。今までスーパーでの買い物をしたことはあったけど、食事などはほとんどおごり。まだお金の感覚が分か
っていなかったため、店で見つけた波打っている地球の歩き方東南アジア編を、定価並みの価格で買ってしまった。一応値切っ
てみたが、所詮腰が引けての価格提示。60円程度の違いでは、悩むことなくあっさり売ってくれた。帰って後悔したが後の祭。
いい勉強になったなと。

また、この日が最後とあって、いろいろな人と話をした。お互いあまり打ち解けなかった相部屋のアートからは、自分の写っている
写真がなかったことから、過去に撮った写真をもらい、ちょっと嬉しかった。
バスとパングとは、3人で別れの挨拶をし、日本から持ってきた長野冬季五輪のバッジをプレゼントした。彼らも、自分の宝物や、
記憶に残るようなものをくれた。バンコクに戻って来た時はこの大学を訪れる事を約束し、余計な荷物をパングに預けた後、明日の
朝にむけて就寝した。


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