東南アジアを放浪記 5

〜国境横断     ・・・ハジャイ、スンガイ・コーロク、コタ・バル


タイ再入国    3/5、6

ついに戻ってきた、タイランド。この日は朝9時半のフェリーでランカウイ島を出発し、サトゥンの港に到着。そこから、
バイクタクシーと乗合バスを使ってハジャイに向かった。
やっぱりタイの女の子は魅力的だ。バスの待合室でいまいち状況のつかめない自分に話しかけてくれて、バスに乗る
まで仲良く世間話。バスの中では運転手の計らいで席の広い助手席に乗せられ、彼女の隣で深い話が出来なかった
のは、本当に残念だったこと。

ハジャイは観光名所などないが、国境の町というだけあって、いろいろな人と物があふれていた。屋台で食べるタイ料理
と、タイ人の優しさに触れ、タイに戻ってきたことを実感する。
ここでは、立派で安い宿を見つけることができ、さっそく昼から町の散策に。普段日本人を見かけても声をかけないけど、
今日は道に迷っている2人組を見かけ、声をかけた。彼女達はガイドブックに書かれていた宿を探している様子。はじめに
道を教えていたタイ人がえらく熱心なので、邪魔しちゃいかんかなと、現在地と方角を教えて、その場を立ち去った。
とはいえ、いい事をしたと満足しながら町を歩き、新聞などを手に入れのんびり過ごした。夕食後、音楽を聴ける環境を作
ろうとウオークマンを買いに行くと、そこの店員さんと気があいしばし談笑。ついでに、この日から日焼け後の皮がむけ始
めた。

2日目は、本格的に顔の皮がむけだし、人前に出れる状態ではなくなってしまった。しかたなく人間並みの顔になるべく皮
をむき、昼から次の訪問地コタバルへの行き方を知ろうと、観光センターへ行った。ここでは、あっさり教えられたので、急に
することがなくなり、また新聞を読んで過ごした。この日の夕食は麺類。しかし結局腹が減って、ケンタッキーに行くという結
局2重の出費に。


日本人との関係

旅を通じて日本人と話しをしたのは数少ない。第一に、一人でいる人に声をかけても集団でいる人の中に入って行こうという
気はなかった。
よく言われることだが、日本人というのは外国にいると自然と集団を形成し、一緒に行動したがる。人と同じことをやっている
と恥ずかしくないという習性からか知らないが、見かける日本人も、ほとんどが2人以上のグループで行動していた。当然話
しかける気もせず、マイペースで自分勝手に一人で行動し続けた。

ついでに、旅行を通じて気付いた事は、自分が日本人顔でないこと。話をした日本人には韓国人かと思ったと言われ、現地
人には中国人・現地人と間違えられることが多かった。クアラルンプールで連れてかれた日本人を狙っていたおばさん2人
組にも、日本人であるかどうか自信がなかったらしく、目が小さいからそうかと思ったよとやけに喜ばれた。
華僑の人に声をかけられたのも数知れず。道案内まで頼まれるんだからよっぽどのことだろう。タイでも、買物をタイ語でし
ていたこともあり、突然タイ語の会話を浴びせられるたりもした。タイ人かと思ったと言われ、悪い気はせず、いつものように
微笑みをかえすわけである。

そういう理由で日本人に声をかけられなかったこともあるが、日本人と思われないことは何かと便利だった。値切り交渉は楽
だし、へたな犯罪にも巻き込まれにくい。日本じゃ意味無いことだけど、海外では役に立つことだった。


国境横断    3/7

いろいろ悩んだが、どうしても国境を歩いて渡りたくて、もう一度マレーシアに行くことにした。ホテルを出て昨日聞いたバス
乗り場を探したが見つからず。案内所にもう一度行って聞くが、教えてもらったとこにはやっぱり何もない。周りの人に道を
尋ねてようやくバス停にたどり着いた。

タイ人は真剣に適当なことを教えるから辛いものがある。結局正確に場所を言った人は一人もいなかった。だが、皆自信ま
んまんに答える。そのルーズさが良いところでもあるが、おかげで予想以上の時間と体力を費やすことにしてしまった。

ようやくバスに乗り込み、4時間かけて国境のある町・スンガイコーロクに到着。入国カードを記入し、念願かなって歩いて国
境の橋を渡った後、宿泊予定地コタ・バルに向かおうとバスを探した。待っても待ってもコタ・バル行きのバスは来ないはず
で、壁の時刻表に書かれていたのは、既には時間を過ぎてる最終バスの出発時刻。近くには宿もないし、外国人などほとん
どいないため、へたしたら野宿かなと思いながら大通りを歩く。しばらく歩くと人通りがなくなり、宿探しをあきらめた頃に、よう
やく宿を一つ見つけ、宿泊を決定。今旅行初のドミトリー(大部屋)利用となった。
一泊400円。さすがに安く、ただ結局泊まる客が自分一人なため8人用の部屋を独り占めとなり、いろんな人が入り混じるド
ミトリー気分は味わえずに終わる。とにかくこの日は、あまりの疲労と精神状態から、本当にきれそうな1日だった。


タイとマレーシアの国境線となる橋の上で。


コタ・バル突入    3/8

朝早くからバスに乗り、待ちに待ったコタバル行き。コタバルは期待通りマレー人の多い町で、クアラルンプールとも
ペナンとも違う落ち着いた雰囲気があり、非常にゆったり時が流れているような気がした。
町を徘徊した後、「気分が落ち着いた時に、マレーシアほど自分にあうところはない」と実感。どこか日本のようである。
話せば親切でいい人だが、普段はお互い干渉せず、つんとしている。なんとも居心地がいい。人間の純粋さというとこ
ろでは田舎のような感じでもあり、気に入っていた。
昼間は、市場が入った建物を見てまわり、夜はナイト・マーケットでお祭りのような雰囲気を楽しんだ。ただ、マーケット
といってもほとんどが飯屋。明日はこの町を出る予定なので、ここぞとばかりに多くのマレー料理をおなかにいれ、腹
いっぱいになった。


時差    3/9

東南アジアはご存知のように日本のほぼ真下。そのため時差はほとんど無い。タイで−2時間、シンガポール・マレー
シアで−1時間。
この日は、朝7時半に起きてスンガイコーロク発の電車の時間に余裕を持って出かけた。今日はスンガイコーロクから
ハジャイに電車を利用して戻るというのが目的。ハジャイの町を気に入っていたので、もう一泊しようということで。結局
1時間の時差を考慮に入れなかったため、スンガイコーロクで時間つぶしを余儀なくされた。ここは本当に国境というだ
けで何もなく、食事をしたり、適当に町並みを見たりして時を過ごした。

ハジャイに着いてからは、疲れをとるため部屋で休養。夜からは、電池を買いにウオークマンを買った店に。ここの店員
さんとは前回仲良くなっていたから、今回も長々と店締めまで話をして、その後食事に行こうということになった。
彼女は、中国系タイ人で年は25、大学に行った後おばさんの店を任されて働いているという。勤務時間は、毎日朝10時
から夜9時半ということ。とりあえず彼女のスクーターの後ろに乗り、少し離れたところにあるおしゃれなレストランへ。店に
来る前にご飯を食べていたため、あまり食欲はなく、カクテルを注文。店内は明かりは薄暗く、机においてあるろうそくがぼ
んやりと輝いている、いい雰囲気。店内でジャズバンドが演奏をしていて、リクエストに応えていた。

もう少し会話を盛り上げればよかった。ろうそくの明かりに包まれた幻想的な世界と音楽のため一杯のカクテルでほろ酔い
気分となってしまった。ぼーっとしてきていい気分、一人で音楽に聞き入っていた。あんまり自分の世界に浸っていたため
か、彼女は「先に帰るからもう少し聞いていけば」という。やばい、そのときはもう一つの悩みがあった。金がない。日頃から
多くても1500円位しか持ち歩いてないのに、バッテリーとカセットを買ったため、残り600円。そりゃこっち持ちだよな。もし
かして割り勘かと期待した自分が甘かった。どうにか店に金を払え安心したのもつかの間、もしこれで彼女に帰られたらホ
テルに帰れない。彼女が「タクシーがたくさん走ってるから大丈夫だよ」というなか、どうにか引き止め連れて帰ってもらった。

今考えれば、最初自分の泊まってる宿で一緒に飯食おって誘われてたんだよな。相手の真意が読めない段階で、積極性を

出すタイプじゃなく・・・。何事も無いまま、ただの思い出として記憶に刻まれることとなった。


バーの前で、帰りの会計後に。


next


旅行記の表紙