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トコトコ越後旅日記 

いざ、福岡空港へ

早朝4時、予定通り起床、シャワーを浴び出発の準備を始める。
昨夜準備済みの荷物を持って、4時35分予定より5分遅れて許容範囲内の出発。
飛行機出発は確か8時前、博多空港まで所要2時間と見、余裕を持って+1時間&初車で博多ということでさらに30分をみる。
万が一にも遅れれんと、万全の体制で。

真っ暗な中を車で走り、小郡ICから高速道路に乗る。
早朝だし、まあとばす気なくのんびり巡航し、1時間経過後朝もやの中、海を眺めつつ関門海峡を通過。
眠気と格闘しつつ、6時40分博多IC到着し、都市高速代600円と併せ4,250円の支払う。。

さてそこから乗り込んだ都市高速で全く無意味な行動してね。
変わらずナビ頼りの運転なんだけど、都市高速って基本一般道の上を通ってて、ナビが戸惑ってね。
初都市高速ってことで勝手もわからず、いつの間にか出口に案内され一般道に下りる。
ここからが大変。
ナビはいつまでも高速乗ってると思って道案内するから、道なき道を走る我が車に処理能力が追いつかずフリーズ。
頼りのナビが止まって、まぁ大弱りで迷いに迷って空港着が7時05分。
数百メートルで高速おりるし、全く無駄な費用だったなと。

空港中にある駐車場をうろうろし驚いたこと。
駐車場1日2400円だとか。
ってことは、3日で7200円・・。
それじゃ、宿泊費ケチるために早起きして車で来た意味ないじゃんと、他の駐車場探すことに。
少し住宅街に入ると、ほらあるもんでしょと民間駐車場を探し当て。
場所が少々遠い1日700円のとこから、相場は800円といったとこ。
外に置かれていたずらされたんじゃかなわんと、金網で周りを囲った&管理人付きの1日1000円の場所を選択。
空港まで距離があるけど、車での送迎ありで、こりゃ助かるなと。





福岡発 → 新潟着


空港着いて気付いたこと。
福岡発便の出発時刻が、7時35分だったこと。
7時50分くらいかなって思っていたのは、帰りの便が59分発だったからそのイメージでいたからかな。
とまれ、十分時間に余裕を持ってきたから、許容範囲内とね。

出発ロビーでサンドイッチを購入し、軽い朝食。
率はかなり悪いようで、3列の席にお客は自分だけで、通路側の座席もさっさと窓側に移動し景色を満喫。

飛行機内で旅行雑誌を読みつつ、到着後の計画をたて、1時間半後9時10分に新潟空港に到着。




新潟空港は、市街中心部の外れにあって、ただっ広い平野部といった様子。
海のそばにあるけど、これまでの空港とは違うその様子に新鮮味を感じつつ一人関心。
空は晴天、上々の旅立ちかな。

空港到着後まず悩んだのが、レンタカーを借りるかどうか。
効率的な旅をするため、レンタカーをとは当初から考えてたことで、1日目の新潟市はちょっと離れたとこに行きたいこと、市内も意外と移動距離があることから、行く前はすっかり借りる気で。
でも、いざとなると持って生まれたケチケチ根性がでてきて、なんかもったいなくてね。
なにせ6時間6000円ってんだから、これ一つで結構予算を食い込む。
それに、長岡でも借りようと思うしってことで、新潟市での利用を断念。
まあ、バスで移動すればなんとかなるでしょと。







北方文化博物館 豪農の館

結局新潟空港9時30分発のバスで、JR新潟駅へ向かう。
午前中まず1箇所と、計画で行こうと考えてた豪農の館への乗換えとして。
20分後駅到着し、荷物を新潟駅ロッカーに預け、目的地に行くバス乗り場へ。

郵便局前のバス停で、新津行きのバスがくるまでしばし待機。
いつものように本を取り出し、読んでいるとおばちゃん二人組みに声をかけられ。
○○行くには、どのバスに乗ればいいんかね?だってさ。
軽装にバッグ一つ持ちなじんだ姿勢が地元民に見えたんかな?
「いや、1時間前に初めてこの地に来て」なんて野暮なこというのもってことで、「どうですかね?」とたった今覚えた経路と時刻表の見方を教え一緒に悩む。
役に立たないとわかったらさっさと去ってね、やっぱり地元の人も知らないもんだねなんて遠くの方でいわれたり。
地元民に間違えられるとは、それほどそこの空気に交じってること。
おばちゃんにははた迷惑なことだろうけど、一人その状況を楽しんでたわけで。

無事にバスに乗り込み、目的地最寄バス停上沢梅博物館前まで値段にして500円、時間にして40分をかけ到着。
のんびり景色も見れるし、バスって選択もありだなとちょっとしたお得気分を味わう。
景色を見てて思うけど、なにせ平野が広い。どこまでも続く広大な土地が印象的。
そして、この時期ならでは、どこまでも続く田にはえた青々とした稲が本当に景色に映えててね。
これはちょっと心にしみ込む風景でしたよ。





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北方文化博物館(伊藤邸)とは・・

平野の多い新潟には大地主が育つ環境があったよう。
大正時代、1千町歩以上の田畑を所有する豪農は全国に8軒あり、そのうち5軒が越後にあったという。
中でも阿賀野川沿いの伊藤家は、越後随一の大地主としてその名を轟かせた。
初代が農業を始めたのは江戸時代中期のことで、当初は小作だったみたい。

5代目の奥さんが経営感覚の持ち主で、得意とする藍染の衣服の販売を軌道の乗せ、余裕のできた資金でどんどん田を購入していったんだとか。(受付のおばちゃん談)
全盛期には、1市4郡64ヶ町村に1370余町歩の田畑を所有、昭和期には県下一となり作徳米は3万俵余までに。
たぶんにもれず、戦後農地解放により伊藤家の所有から離れたみたいだけど。

現在公開されている純日本式住居は、5代目文吉が明治15年から8年もの歳月をかけて造らせたもので、敷地8800坪(29100u)、建坪1200坪(3967u)、部屋数65になるとか。
昭和21年遺構保存のため「財団法人北方文化博物館」が創設され、全部寄付され今に至っていると。
ちなみに、平成12年に国の登録有形文化財に登録されたんだとさ。



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邸宅内

つまり北方文化博物館とは、明治時代の豪農伊藤家の邸宅というわけ。
昔の建物見るの大好きで、どうせなら一番立派なものを見ようと、いくつかある大地主の家の中でここを選択。
場所は、越後の蒲原平野をよぎる大河・阿賀野川の西岸の集落「沢海(そうみ)」にあり、新潟市からは少し離れた平野の一角といったところ。
電車で行くにはちと不便だが、バス停から徒歩3分程度で門前に出る、そんなとこ。

        


石柱の門をくぐると、巨木が並ぶ庭園を通過。
こんな立派な木はなかなか見れないもの。まずそのスケールに圧倒されつつ、入口へ。

        


屋敷の門が入口となってて、入館料800円を払い中に入る。
城門のような巨大な白壁がそのスケールを想像させる。

門をくぐると、まず庭園が広がり、その先に建物が存在する。
ここが母屋となり、ほぼ屋敷の見学はここになる。




建物内部を簡単に案内。
木造建物は、そのスケールに併せて使われる木も一本一本しっかりしたもの。
黒光りする柱の木の光沢が、その年代を感じさせる。
入った先にある、数個の囲炉裏(左写真)は、茶の間として当主が来客を迎えた部屋で、戸を開け放てば27畳の広さになる。
赤レンガの大きなかまど(中写真)と広い台所スペースと併せ、当時の来客の規模と、その活気を想像させる。

なによりそのスケールを感じさせられたのが、廊下のひさしを支えとして使われている木。
数十メートル続く廊下に渡る1本の杉の木に目を見張る。(右写真廊下の窓側のすぐ上の丸太がそれ)
長さにして30m、目通り36.4cm。
明治16年、福島県会津の只見川沿いにある山林から筏で運び出したものなんだとか。

      


大広間 座敷と呼ばれるスペースは、美しい庭園に面した座敷で、冠婚葬祭等特別な行事に年に数回使われたスペースなんだとか。大玄関は、柱、天井、式台から戸に至るまで全てけやき造り。座敷を囲む廊下には柱が一本もない釣欄間(つりらんま)工法等全てが贅を尽くした造りになってるそう。床の間を挟んで、7つの部屋があり畳の数は全部で100枚に及ぶという広さ。
写真は、大広間から撮った庭園。せっかくなら室内ももうちょっと撮っとけばとは思うとこ。




2階には当時の土地台帳が多数残ってて、その量の多さに思わず感心。
1000年近く前の稲作用の舟があったりと、新潟らしいものも展示されてたり。
見学時何人か他にも人がいたけど、アジア系外国人がほとんどで。
3グループくらいだったかな。一つはテレビクルーで撮影してたな。
夏休みの始まった週末に、この人の少なさにはちょっと残念。
こんな立派な建物、何度来ても心が落ち着くと思うんだけどね。



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外周

館内は、建物の他いろいろなものがある。
まず驚くことは、稲が植えられた田。(左写真)
なぜ?と思わず確かめに行ってしまう。
まあ、豪農の面影を残すってことかなと解釈して。

地主に必須な物といえば、そう「蔵」よね。
大概昔の旧家で蔵があれば余程の家柄と考えて間違いなし。
ここにももちろん立派な蔵がありましたよ。(中写真)
白壁と瓦の土蔵作りの建物で、もともとは飯米蔵として2000俵の米俵が積まれていたんだとか。
今は歴代当主の収集した美術品等が展示されている。

また館内にある建物として有名なのが、「三楽亭」。(右写真)
正三角形の小亭で建坪11坪余の書斎兼茶室で、柱、建具、畳の殆どが三角形や菱形等の独創的な建物で、他に類がないものなんだとか。

      


他にも、団体と個人客それぞれにある食事スペース。
喫茶店、土産物屋が併設されている。

後、これだけは、ぜひ紹介を。
ここには、宿泊できる別邸があるということ。
「離れ・豪農の宿 大呂庵」として、大正ロマンのレトロな雰囲気で、床暖房を備え快適に過ごせる造りだと。
1泊2食付1万5千円からで、ここに泊まろうと一度連絡したけど、どうも一人客は歓迎される雰囲気を感じれず断念。
どうせならこんなとこ泊まりたかったんだけどね。
機会があれば、ぜひに。

&受付のおばちゃんに写真撮ってくれってお願いした際話しを聞いて、一番上の入口門は普通のお客様や家の者が使うとこで、正式な門はその左にあるとこなんだとか。(下写真)
確かに門の先に見える景色が違うと、思わず感心。
たまには君の写真も載せなさいとの話もあるとかないとかで、せっかくなんで載せときます。







新潟市街へ

豪農の館前のバスは、1時間半に1本程度となにせ本数が少ない。
これに乗らなきゃと、11時56分発の便に乗り、新潟駅へ向かう。

同様40分かけ駅に向かい、12時40分駅前通りバス停に到着。
バスの中で、さてこれからどう動こうかと考えた結果を、行動に。
まず新潟市といえば萬代橋(ばんだいばし)よね、と徒歩で通過。

新潟のシンボルと勝手に決めさせていただいたのが、「信濃川」。
林立するビル群に、ただっぴろい平野に、列車が走る田舎道に、どこでもその傍らでその景色に色彩を加えるのが、この川。
この川と共に発展した新潟の歴史を創造でき、きっと地元の人にも思い入れが強いはずと、勝手に想像。
かつては暴れ川として多くの住民を苦しめたみたいだけど、すっかり人々の生活に入り込んでる感じかな。
その規模は半端じゃないよ。山口県人として佐波川・ふしの川規模を大きい川代表と思ってる身としては、ちょっとした衝撃で。
萬代橋とは、そんな信濃川に架かり、旧市街地と新市街地を結ぶため昭和4年に建造された橋。
当時の最先端技術を生かした6連アーチの重厚な石造りの橋で、国の重要文化財にも指定されてるんだとか。

     


萬代橋を過ぎると、新潟市の市街地古町に出る。
いろんな店があるから、中心市街地見学を兼ねここで昼を食べようと散歩がてらに来たというわけ。

古町は、古町通りを中心にした新潟随一の繁華街で、きれいに区画割りされた町中に多くの店がひしめいている。
古きよき商店街や飲み屋街、市場にデパート群といろいろと。
ガイドブックに載った飯屋の種類も様々で、寿司から蕎麦、新潟ラーメンにおにぎりとそれぞれ新潟の特徴ある店が並ぶ。
さんざん歩いて結局選んだのは、ガイドブックに載ってないながらも、越後もち豚を使用のうたい文句にやられ「とんかつや」を選ぶ。

越後もち豚とは・・
つきたて餅のような弾力と歯切れのよさ、さっぱりと口溶けのよい甘みのある脂肪、きめ細やかな臭みのない肉質が特徴。
もち豚定食(800円)は、ソースに味噌を使った品。米どころだけあって味噌もそれなりも、やっぱりソースがいいと、とんかつソースをかけて食べる。豚の柔らかな食感と旨みがしっかり味わえ、これはうまかった。おいしい豚は、ぜひぜひ味わっとかなきゃね。

     





新潟市歴史博物館

新潟の歴史なら、戊辰戦争関連もありそうって思いで、市街からちょっと離れたこの博物館まできたというわけ。
バスのルートは分からないし、タクシーなんて贅沢はもってのほかと、徒歩での移動。
駅前からすでに、4,5キロ移動してんるんじゃ?って思いつつ、古町商店街から西へ20分かけ、ようやく到着。

新潟西港に面した敷地内に、2代目新潟視聴者のデザインを取り入れた博物館本館と旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店等の歴史的建造物が配置され、明治から昭和にかけての時代を再現したとこ。
信濃川を背に、レトロな建物が並んで、周りを散策するだけでもなかなか楽しめる。
左写真が旧税関庁舎で、右が博物館本館から見た旧第四銀行の建物と背景の信濃川。

     


入場料300円を払って、常設展示を見学。
ここは、近代史というより、新潟の古代からの歴史そのものを再現したとこで、これが思った以上におもしろくて、本当にきてよかったとつくづく思った。
まず、新潟という地名を考えると、その土地柄が見えてくる。
いわゆる干潟の土地で、市の中心地が三角州にあるよう、水とは密接なつながりがあるとこ。
海岸砂丘と低湿地でつむいできたその歴史の過程を紹介している。
新潟の人々が、大河や低湿地に恩恵を受けると同時に、多くの苦しみを受けそれと格闘し乗り越えてきたその流れを容易に想像させる仕組みで、新潟を知る上ではもっとも手早い場所だろうと実感。
数十年前の稲作の状況を再現した場で、50後半のおばちゃんがまさに小さい時はこうだったと話していたのが、印象的。
西日本とは全く違うその土地の成り立ちを、立ち寄りの際にはぜひご覧あれ。







万代シティ・レインボータワー

博物館を後にし、もう歩くのは嫌だとバス停を探す。
循環バスを見つけ行き先を聞くと、駅とは逆方面だとのこと。
目的地は、駅というより萬代橋のそばにある万代シティなる、ショッピング街だし、どこ行くかわからないバスを待つのも無駄に思えて、さっさと徒歩移動に変更。
再び2キロ超の道のりを25分かけ移動した後、再び橋を渡って目的地に到着と。

     


今回の目的地は、万代シティにあるレインボータワー。
そう、ここは100mの回転展望タワーで、市街・日本海を一望できるというとこなのよ。
やはり高いとこから、全体を見下ろすのが町を知る一番の手よね。
その景色と共に、新潟という町をじっくり楽しまさせてもらいました。


北(信濃川に囲まれた三角州のゆえんがよくわかるね)



南(山の見えない広大な平野の雰囲気が伝われば)






宿泊先へ

宿泊先へは、電車で1時間程度。
あまり遅くもいけないからと、15時40分に再び駅へ歩き始め、予定通り16時発の電車に乗る。
目指す先は、「弥彦」。
JR越後線で吉田駅に行き、そこでJR弥彦線に乗り換えその終点が、弥彦駅(740円)というわけ。
特に弥彦に思い入れがあって宿をとったというより、一人で泊まれる旅館を探した結果がここだったというのが理由で。

新潟初電車で、電車の旅の醍醐味を知る。
バスと違って、乗車中本が読めるということ。
そして、対面のいすに足を伸ばすなど楽な姿勢がとれるのもいい。
眠くなったらうとうと寝て、目が覚めたら本を読んでるという、まあ贅沢な時間を遅れてね。
そして、普段見ない景色を眺めれるってのもまた贅沢。
自然の中をカタンコトンと進む電車に、すっかり味をしめたわけで。

新潟駅は、新幹線も止まる大きな駅。     電車内からは、米どころ越後の平野が広がり、ほのぼの気分に。
     


新潟1日目もようやく夕刻を迎える。
この日の楽しみは、もう少しあったわけで。
さてさて、その辺の弥彦への宿泊話は、次の項で語ることとしようかな。







新潟市