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トコトン播磨満喫記 

山口出発

様々な事情により、1泊2日と日程を1日削った今回の旅。詰め込めば行きたいとこを十分網羅できるはず、その自信が決断の理由。となれば、すべきことは、より効率的に、最大限時間を有効に使うこと。これまでのような、休憩がてらの読書タイムや、のんびりとといった時間をなるべく減らすことを心がけつつ、まずは早朝の新幹線に乗り、姫路へ向かう。

6時20分と、予定通りに家を出て、新山口駅7時8分の新幹線に乗る。姫路駅まで、1時間40分の短い移動。乗って早々、朝食として駅で買ったおむすび弁当を食べ、新聞を読みつつ時間を過ごす。ガイドブックをざっと読み返し、到着後の計画を考えつつ、あっという間の移動を終え、8時50分に姫路駅に到着する。

     
早朝の新山口駅。数日前の曇り空が嘘のような、晴れやかな朝で。
おにぎり弁当530円。運動前のエネルギー補給に、しっかりと朝食をとる。





姫路到着


姫路到着後、まず向かったのが、駅北口にある観光案内所。その存在をガイドブックで知ってたから、まずはここでしか手に入らないだろう、地元情報を集めようと向かったもの。営業時間の9時まで、案内所の前で数分待機。既に先客が一人待ってたから、後ろに控えて、順番を待つ。
この二番手だったのが、一つの運。最初の人は、かなりの姫路通らしく、その場でレンタサイクルの手続きを始められ。そういやガイドブックで、姫路の街は高低がほとんどない平地だから、自転車移動が便利とか書いてあったなと思い出しつつ。こんなとこがレンタル所になってるとは知らんかったと、さっそく便乗。利用時間は、18時まで。料金、無料。このおかげで、それからの姫路観光を思いっきり楽しむこととなる。

     
左:まずは、ここのご利用をおすすめ。姫路城側のJR出口にある観光案内所。
右:駅前の風景。大通りの先に、姫路城がそびえ立つ。





姫路城


まず、目指すは姫路城。着替え一式の入ったバックパックを駅のロッカーに預け、手提げカバンを持っての移動。
この日の天気は、まさに晴天。山口の梅雨明けは、遅れに遅れて2日前。出発前の天気予報じゃ、姫路の天気は2日ほど曇り。半ば諦め出かけただけに、この真っ青な空が嬉しくて。駅から城までは、800m程度のちょっとした道のり。この距離を軽快に自転車で動けたのは、本当に助かったこと。いつも、最初に張り切りすぎて、中頃には体力を失い、結局目指したとこにいけないことが多い。移動に、極力体力を使わずにすんだのも、自転車の恩恵だとつくづく思ったとこ。


幅の広い歩道が両側についてて、自転車の移動もスムーズ。赤信号を利用して、横断歩道の真ん中から、姫路城を見据える。



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姫路城とは
城郭全体が残る木造建築物群として世界でも類を見ず、平成5年に世界文化遺産に登録されたことで有名。現姫路城の場所に最初に城が建てられたのは、1346年播磨を支配下に置いた赤松一族による。その後、羽柴秀吉がその城の主となった時期もある。現在の城が建てられたのは、1609年池田輝政が大名として城に入ってからのこと。8年の歳月を要したというのは、その規模を見れば納得するとこ。城内は建てられた当時のままに保存されており、天守閣等国宝に指定されたものも多い。戦国大名としての備えが十二分に発揮された造りが残っており、現在ではここでしか見れないものもある。


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城内への入口となる桜門を通り、9時30分に入場口に到着。ここで自転車をおり、入場料600円を払ってお城の中へ。まず菱の門をくぐり、観覧順に沿って、先に進む。

      
左:道路と城の境となる、内堀。防御を意識した堀の大きさを見てとれる。
中:堀を渡って入口の門をくぐると最初に見える風景。城を含めた敷地の大きさが見てとれる。
右:料金所の先にある菱の門。これが城郭への入口となる。



西の丸
豊臣秀頼に嫁いだ2代目将軍徳川秀忠の長女千姫が、大阪城落城の後、本多忠刻に再嫁して過ごした場所が、姫路城西の丸。焼け落ちる大阪城の中、なんとしても救い出せととの家康の命で、成し得たのが忠刻と言われるが、真相は不明なんだとか。千姫のために建てられた壮大な建物は、本丸に次ぐ、見所の一つ。

      
左:西の丸は、横に長い建物。分かりにくいけど、一番端から建物を。
中:百間廊下と言われる長い廊下の片側に、6畳程度の部屋がいくつもついている。部屋にトイレなども付き、側の者が生活していた場所なんだとか。長い廊下は、一つの見所でもある。
右:西の丸の端のひと際広い部屋が、千姫が生活していたとこ。その様子を再現した人形が置かれていて、立ち入り禁止となっている。



戦国大名が、その叡智を結集して造り上げたのが、この城。様々な防御の手段がこうじられていて、見るだけでわくわくしてくる。さて、自分ならこの城をどう攻略しようかなと想像しながらぶらぶら歩いて。

          
左:はの門。だんだん道幅が狭くなり、一度に多くの敵が進めないようになっている。天守閣をバックにした景色がいい。
中:にの門。門の高さが低く、長槍を持って入りにくいだろうなと思いつつ。
右:ほの門。本丸へと続くこの門は、大きさが極端に小さい。人一人かがみながらようやく通れる造りに感心して。



      
左:塩櫓。塩や米を蓄えて籠城に備えていたという、備蓄庫。裏側の石垣に沿って、弧を描いた形の長屋。
中・右:天守閣横の内庭と、その広い庭の端から撮った、隣にそびえたつ天守閣。




天守閣から見える、南西の景色。さて、この方面から敵が攻めてきたら、どう対応すべきかなんて、平地の中の小高い丘にある姫路城を居城としていた官兵衛の思いを考えつつ、景色を楽しむ。



   
左:姫路城最後の景色。城郭出入り口となる菱門からの本丸全景。ここからが一番きれいに城が見えるなと思ったもの。
右:城の敷地に入ったとこで、福井県から一人旅に来てた青年に声をかけ、撮影依頼。この自転車でうろうろと。





姫路城界隈散策


自転車だからできること、少々の距離を気にせず、自由に動き回れる。このおかげで、この日の行動範囲は大幅拡大。時間も短縮できたから、予定に入れてた場所をほぼ網羅することに。



姫路市立美術館

姫路城東にあり、明治時代に建てられた旧陸軍の倉庫だった赤レンガ造りの建物を利用した美術館。城門から、自転車で5分程堀づたいに行ったとこにあり、ひと際目立つ建物に、迷うことなく到着。城を背景としたレトロな建物は、なかなかいい雰囲気で。

せっかくだからと、入館料200円を払って絵画を鑑賞。近代フランス絵画としてモネからマティスまでという企画展。カミーユ・コローなんて人の湖って作品は、なかなか良いななんて思いつつ。


市立美術館外観。城をバックにした、赤レンガのレトロな建物は、ただ眺めてるだけでも楽しめて。


姫路県立歴史博物館

市立美術館から自転車でさらに北へ3分ほど、午前中最後の観光地に選んだ歴史博物館に足を伸ばす。どうしても姫路城を中心とした江戸期以降の華やかな歴史ばかりが扱われる姫路市で、博物館ともなれば自分の求める戦国期の姫路の歴史の見れるのではと、ちょっとした期待を抱いての訪問。さっそく入館、そして、館内入口の受付のおねえさんに教えてもらって事実に愕然。今後建物の改装が行われるため、現在展示しているものは何もないということを。

せっかく来たからと、とりあえず城がきれいに見れるという館内の展望台から景色を鑑賞。この後の予定は、昼食。ガイドブックでいまいちおいしそうなランチの店が載ってなかったことから、感じのよかった受付のおねえさんに聞いてみようと、受付に立ち寄りお話し。この辺でおいしいランチの店ありますか?とガイドブックの地図を開いて聞いてると、周りにいた掃除のおばちゃん達も集まり、皆で検討。駅近くにある無国籍料理の店はよく利用するなんて情報を聞きつつ、途中通りかかった職員のおじさんに他の人が声をかけ。なにやらグルメな方らしく、少し高いがこの辺りなら「トキ」というフランス料理の店が抜群においしいと自信の言葉をいただく。聞けば、ランチで1500円程度。全然許容範囲、そこに行ってみますと感謝しながら皆と別れて。

とにかく、知らない土地ってのは情報がない。どうせならおいしい店でと思うが、雑誌情報は経験からどこまで信用できるかは疑問。それでも、地元の料理や伝統の店なら行ってみたいと思うけど、そういう店がない時は本当に毎度迷うもので。大概適当に見かけた店で食べて、ちゃんと調べとけばと後悔するものだけど、今回は確かな口コミを仕入れることができて、大満足。いい方と出会えてよかったなと思ったもので。

     
県立歴史博物館建物と、館内のビューポイントからの一枚





ランチ


紹介してもらった「レストランTOKI」は、市立美術館から南へ100m程行った道路の東側にある姫路カトリック教会内のお店。レストランウエディングもしているというフレンチの店で、ランチは、プチオードブル、スープ、本日のおすすめの一皿、シャーベット、コーヒーが付くスペシャルランチ(1500円)に、産地直送の魚料理又は本日の肉料理を選ぶわくわくランチ(2100円)、フルコースランチ(3675円)の3種類。

わくわくランチのメイン・子羊の香草焼にかなり引かれるも、夕食を考えちょっと抑えめでいこうと、スペシャルランチを選択。そら豆の冷製スープにしろ、オードブルにしろ、どれも一工夫があっておいしくいただく。メインの鶏肉のソテーも、オリジナルソースとよくあい、満足。ちょっとおしゃれなフレンチをいただいたわけで。

期待した以上の味はもちろん、ウエイターもいい味を出してて勉強になったもの。一品ごとに銀ボールの蓋で料理を覆ってテーブルまで運び、トレトレボーンの掛け声と共に目の前に料理が披露されるという軽いイベントつき。こういうサービスは初めてだったから、なんとも新鮮で。食事の途中で、ハンドベルの演奏があったり、姫路に訪れた際にはぜひおすすめしたいお店となったとこ。

      
補強工事中の教会の1階が、レストラン。オードブルとメインを順に。





姫路文学館


昼食の間に、これからの予定を整理。姫路城と並ぶ初日の大きな目的地は、書写山円教寺。ここは、姫路城から8km近く離れているから、駅からバスで行こうと考えているとこ。宿泊地との中間点でもあり、円教寺を最後の観光地とし、その後宿へ向かう予定。駅から円教寺までの時間を考え、計画段階じゃ14時過ぎのバスに乗ろうと考えていたけど、自由に動ける自転車を手に入れたことで予定を変更。姫路城界隈で興味があるとこをできるだけまわり、15時頃に駅に戻ることにし、行動を開始。

まず最初に向かったのは、姫路文学館。真夏の熱い太陽が降り注ぐ中、姫路城大手門から西へ800m程度の道のりを、汗をかきつつ自転車で向かう。この文学館は、どうしても行きたかったとこ。その理由の前に、まずは簡単な文学館の説明から。

姫路文学館とは・・・
播磨ゆかりの文学・文人を一堂に会した文学館で、建物自体も姫路の城をデザインに取り入れた、建築家安藤忠雄の設計によるもの。館内の展示物だけじゃなく、建物自体の持つ雰囲気を楽しめるのも、ここの魅力。遠くに見える姫路城の天守閣も、建物を彩るいい景色になってて。

      
左:姫路文学館の建物。北館と南館の二つからなる。
中:建物は、なだらかな斜面に建てられ、上からはまた違う建物の姿を見ることができる。
右:北館の屋上には展望台があり、そこから姫路城を含めた街の景色を堪能。


姫路文学館に滞在したのは、40分程。建物自体も周りを歩きつつ見て回ったが、それも10分程度。残りは、ただ一つの展示室で過ごす。そここそが、この文学館訪問の目的である、司馬遼太郎記念室。歴史小説家である司馬遼太郎の作品は、日本史の知識に深みを与え、人間の生き方を学ばせてくれた、どれもが座右の一冊となり得る愛着のあるものばかり。この姫路旅行を始め、彼の本に出てくる人物に引かれ、何度とその地を訪れていることも、その影響を表す一つ。その司馬遼太郎の先祖が姫路で暮らしていたことと、戦国時代の姫路を紹介した「播磨灘物語」を書いた縁で、この文学館に一室が設けられているというもの。

記念室には、播磨灘物語の直筆原稿を始め、司馬遼太郎縁の作品が多く展示されてて、ただ眺めるだけで心満たされる至福の時を過ごす。自分が読んできた作品の直筆原稿を見たり、作品が連載されていた当時の新聞や作品を書き終えた時の感想文を読んだり、自分の知らない司馬遼太郎の一面に出会え、思った以上に楽しめ満足したもの。


      
左:入館料300円を払い、南館の一室・司馬遼太郎記念室へ。
中:播磨灘物語の直筆原稿。この作品は姫路にあるのがいいと、この文学館に寄贈されたんだとか。
右:黒田官兵衛の肖像画。1年に及ぶ牢生活で足を悪くさせた後の晩年の姿。





名古山霊苑


姫路城を見晴しのいいところで見たい、そんな思いで向かったのが、姫路十景に選ばれている名古山霊苑。姫路城から西北へ1km超。こうなったらとことん自転車で移動と道路看板を目印に国道2号線を西へ走る。途中から自転車をおり、手で押し着いた高台の頂上にある展望台から、姫路の街並みと城を鑑賞。ちょっと離れすぎて思ったほど城がきれいに見えないのが残念だったけど、ここまで来たっていう達成感で、妙に満足して。

ちなみに、その名称の通りここは霊苑。普通のお墓もたくさんあるけど、インドのネール元首相から贈られた仏舎利を奉納しているドーム型の仏舎利塔はシンボルとしてこの霊苑を彩っていて、見もの。ちょうどここに着く直前から通り雨が振り出して、10分程休憩所でジュースを飲みつつ、体を休める。あっという間に、雨が上がったから、時間もないしとさっさと次に移動を開始。

     





姫路城西御屋敷跡庭園 好古園


時計も14時30分を回り、もうそろそろ駅に向かわねばと思うも、どうしても行っておきたい場所を見つけたから、悔いは残すまじと立ち寄る。姫路城のすぐ西隣、元姫路藩主の下屋敷があった場所にあり、池泉回遊式の立派な日本庭園を見ることができる。

屋敷門から建物内に入り、潮音斎(ちょうおんさい)という庭を一望できる建物から、しばし景色を堪能。屋敷の庭を一回りし、さらに庭園内を歩き回ってると、抹茶を出すという茶室を見つけ、一休憩。双樹庵と名の付く茶室は、裏千家家元の設計・監修により京都の数奇屋大工が建てたという本格的なもの。入口でお茶代500円を払い、庭を眺めつつ、抹茶と和菓子の贅沢なひと時を過ごしたわけで。

      
左:入園料300円は、この玄関で支払い。
中:ここがメインの庭園。姫山原生林を借景とし、この池は瀬戸内海をイメージしてるんだとか。
右:広々とした庭の景色を一枚。


      
左:約1000坪あるという庭園は、広大。屋敷の庭とは違う、白壁の通りもあり、その一角に純和風建物の茶室がある。
中・右:襖を挟み16畳の客間を一人独占。そこからの庭の景色がまたよくて。心満たされるひと時を過ごす。





書写山円教寺


好古園には、30分ほど滞在、姫路駅前のレンタサイクル駐輪場に15時10分に自転車を戻す。レンタサイクル受付所となる観光案内所に鍵を返して、ついでにこの後の予定について相談。まず、書写山円教寺への行き方を聞き、バス乗場を教えてもらう。ついでに、円教寺から宿となる塩田温泉の行き方を相談。円教寺からタクシーで行こうと思うけど、どれくらいお金かかりますかと聞くと、円教寺近くから塩田温泉行きのバスがあるよアドバイス。円教寺行きとはバス会社が違うからと、その案内所を教えてもらい、大助かり。まず、塩田温泉へ行くためのバスとなる神姫バスで該当バス停の場所、時刻を教えてもらう。そして、円教寺に行くための市バス乗場に行き、バスを待って乗り込んで。

書写山円教寺とは・・・
天台宗三大道場の一つとされ、静かな山間に重要文化財などの堂宇や仏像が点在している。966年に性空上人によって開かれ、西国巡礼27番札所として知られている。撮影にも多く使われ、ラストサムライのロケ地として名高い。


姫路駅前から、バスに揺られて約30分で到着。書写山とは、姫路城の北西にある立派な山。その山の山頂の約31haという広大な敷地に広がっているのが、円教寺の境内。登山ルートで登れるらしいが、もちろんそんな時間も体力もなく、ロープウェイを選択。ロープウェイ山麓駅でバスを降り、そこで往復900円のチケットを買い、片道4分のロープウェイに乗り山上駅まで向かう。

     
左:ロープウェイの線が伸びた先が、書写山の山頂。円教寺の境内が広がる。
右:中腹からの姫路市街景色。姫路城から10km程度、意外と近いところにある。



山頂駅に到着したのが、16時22分。円教寺に来たのは、ここが観光名所だってこと以上に、強い思い入れがあったから。

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「歴史」
織田信長が京都を押さえ、勢力を拡大させていった時期、中部を中心とした地方の一勢力と捉えられていた他の大名の考え方が変わり始める。信長に優る圧倒的な軍事力を持つ上杉謙信や武田信玄は、倒す必要のある勢力と認識し、徐々に手を打ち始める一方、天才毛利元就から代が変わった毛利家は、中国地方一帯の領土を守ることを第一に考え、織田信長の勢力が自身の領土に及ぶことを避ける手段を取り始める。勢力の東端備前(岡山県)を確実なものとし、さらに織田家の勢力が及んでいない播磨(兵庫県)を抑えようと、播磨の諸大名を傘下に入れるべく、交渉を活発化させる。

播磨国の諸大名が毛利氏になびく中、この先天下を治めるのは織田信長だと見、主人に代わり織田氏との交渉を行ったのが、黒田官兵衛。当時、御着城城主だった小寺氏の一番家老で、御着城より5km程度西の姫路城を主城としていた時期。毛利氏側についても将来織田氏に潰されると先を読み、危険を覚悟で織田氏に付くことを決断。徐々に強まる毛利勢の圧力に対抗するため、織田信長に対し、播磨の国を毛利勢から守るため、毛利攻めを敢行させる。

中国毛利攻めの一段階として、播磨(兵庫県)全域を織田氏の勢力とするため、諸大名の攻略担当に当てられたのが、豊臣秀吉。黒田官兵衛が、秀吉の播磨入りに際ししたことは、彼の一端を表す姿勢。自身の城である姫路城を手放し、他家の武将である秀吉に譲ったのである。播磨攻略の拠点にする場所が必要だと、自分はさらに南に位置する隠居した父親がいる国分山城へと移り住む。大きな目的のためなら、小さな事にとらわれない、自分の城さえ手放すという行動に、彼の価値観を垣間見る。

加古川調停で、秀吉は、播磨国の諸大名を集め織田側に付くように説得を行う。そして、そこで毛利氏優勢との見方が多かったことから、多くの大名と決裂、戦争が始まる。反織田勢力の中心だった三木氏の居城である三木城に大勢力が集結。そこから始まったのが、秀吉を中心とした織田勢力による三木攻め。一切の補給を断ち、干しに干しあげたと言われる兵糧攻めが行われたのが、三木攻略のため秀吉が取った戦略。純粋な戦いによらない、当時極めて異色な戦法も、無駄な血を流すという戦いを好まない秀吉らしく、この後彼が愛用する戦略の先駆けとなったもの。もちろん兵糧攻めという、武士らしい戦いの機会を与えられず、飢え死にする者を多く出した三木側は、多くの不満を残したようだが。
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で、ここからが、ようやく円教寺に関わる話。三木攻めを決めた秀吉は、戦いに備えるため姫路城から城を移すことを決め、移った先が、この書写山の円教寺というわけ。寺の僧を皆追い出し、居座ったというわけ。なぜ、この円教寺を拠点にしたのか、これはその場で感じなきゃ分からない。それが、ここを姫路城と並ぶ目的地とした理由。

なぜ、ここを三木城攻めの本拠地としたのか、これを知ろうと受付にいた坊さんに質問。もしかしたら追い出されたことに未だ恨みを持ってちゃいけんと、慎重に尋ねたものの、そういえば、そんな話を聞いたことがあるなんて程度で、どうもその辺の詳しいことを知ってる人が誰もおらず。映画ロケ地なんてことはどうでもいいから、ここが刻んできた歴史を教えてもらえたらと思うんだけど。

で、ここで新たな事実が発覚。寺の拝観時間は、17時まで。急がないと、皆閉まると教えられ。参道は800m近くの緩やかな登り道と結構な距離。これはまずいと、大急ぎの観光が、ここから始まる。

せめて、本堂くらいはと、せっせと参道を移動、小走りを織り交ぜ、目安時間20分を大きく短縮、約10分で到着する。

       
左:なだらかな参道は、なかなかの距離があり。
右:本堂へ行く途中にある山門。写真を撮って、さっさと通り過ぎる。



摩尼殿
山頂にある珍しいお寺ってのだけが、人をひきつける理由じゃない。人の世界と隔離され、山という自然が醸し出す神秘な雰囲気に包まれる中にそびえたつ立派な建物に、厳かな気持ちのみならず、心の内面から感じれる凛とした空気を楽しむことができる。
書写山のシンボル的な建物でもある摩尼殿は、その雰囲気を最も味わえる建物の一つで、本尊を納めるために京都の清水寺と同じ懸造という建築様式を用いて建てられ、後ろの崖を削り、前面に高い脚を組み舞台付きに仕上げられている。見る者を圧倒する建物で、ここだけでも大きな満足を得ることができる。

あらゆる円教寺の紹介欄に使われているのが、摩尼殿の写真。ここだけはなんとしても見なきゃと、山頂駅から急いできたもの。山の中にそびえる、厳格な建物に、期待以上の気持ちを感じることができ、大いなる満足を得る。秋には、舞台から境内に広がるきれいな紅葉を見ることができるんだとか。

摩尼殿に到着したのが、16時40分頃。参拝していると、明かりが落とされ、段々と閉館モードに。夕方の務めなのか、読経が始まり、ますますいい雰囲気になっていく様を堪能。ただ、お守り販売等併設された売場の受付の坊さんが、売上のお金を数えている姿には、ちょっと辟易。一心不乱に札束を数える姿に。まあ、現実だろうけど、もうちょっと達観した存在であってほしいなと。

      
左:摩尼殿を崖の下から見上げる、最も美しい姿。
中:崖の上まで石段を上がったとこにある、摩尼殿拝観の入口。
右:舞台からの景色。歴史を積み重ねてきた建物の発する厳格さが伝わるかな。



ここが閉まるとなると、他の建物も時間の問題。これは本格的に急がねばと、移動を開始。摩尼殿の裏道を抜けた後、再び山道のような参道を急ぎ足で。
摩尼殿から5分も行ったところで目の前が開け、三之堂と呼ばれる三つの堂が集まる広い境内に出る。ここは、円教寺の中核を成す伽藍で、常行堂・大講堂・食堂からなり、食堂では、弁慶が使ったとされる文机や、柱に秀吉の家来の落書きがあるそう。ちなみに、到着時には、既に食堂の入場時間は終わり見ることはできず、唯一大講堂の扉を閉めてる坊さんに待ったをかけ、中を少しだけ覗かせてもらっただけで。

      
左:三之堂へ続く参道。とってもいい雰囲気を醸し出してる道。
中:唯一中を覗き見ることができた大講堂が、右の建物。三つの建物が、境内を囲むようにコの字型に位置する。
右:ラストサムライで勝元が写経しているシーンでも使われた、食堂。この辺りは、雰囲気だけを。



旅の魅力を実感するのは、人との出会い。一人旅をしてて、いつも思うのは、その機会が格段に増えること。いつも以上に鋭敏に、常に外向きに感覚を向けているからこそ、気付くことがある。そして、今回も、そんな出会いに恵まれる。

三之堂に着いた時、唯一そこにいたのは、サングラスをした外国人の若い青年。大講堂の写真を撮ろうと、カメラを構えているところだった。持つ雰囲気から相手の人間性を見抜くことには、密かな自信。あぁ、いい雰囲気持った奴だな、とちょっと興味。とりあえず写真を撮ってもらおうと、お願いすると快く受けてもらい、大講堂を前に一枚。ただ、この時は、時間もないしとその後は一人で建物を見て回る。

唯一扉が開き、外から中を見ることができた大講堂が閉まりだしたのは、その数分後。もう閉まるんですか?、と作業中の坊さんに確認し、ちょっと見させてくださいねと一部の扉を閉めるのを後回しにしてもらい、中を見学。そこで、近くにいたこの外国人に声をかけて。もう閉まるらしいけど、この中見た?と尋ね、見てないって言うから、それじゃ急いで見なよとすすめる。ついでに坊さんに、この辺りで景色を見れるいい場所はないですかと尋ねると、この建物の裏に展望台があると教えてもらう。この情報も教えてあげようと、向うにビューポイントがあるらしいよと話をして。

場所がよく分からないとこに連れて行き、迷うのもどうかと思い、一人先に展望台を確認。再び三之堂に戻っていると、その彼がこっちに来てたから、そのまま展望台まで案内することに。そこからいろいろ話をしてね。


展望台から見下ろす、姫路市の景色。


彼の名前は、ギャレス。歳は27、ニュージーランド生まれで1年前に来日、大阪で英語の教師をしているんだとか。相変わらず適当な英語で話をしてたけど、英語の教師と聞いて恐縮。どこで英語勉強してるの、うまいねなんていわれても、らしい発音と勢いで誤魔化すのが自分英語で、文法、表現のバラエティのなさを隠すことができないことは、自覚済み。もうちょっと勉強しようとは思ってるけど、なんて話をしつつ。

姫路には、日帰りで旅行に来たそう。鈍行でも数時間とかなり近いらしく、こっちは山口県から早朝から出向いてるよと。大阪の家賃を聞いたのは、引越を決めた時期だったこともあり。やっぱり日本は、物価が高いよと。山口県の魅力を語り、自分の仕事についても話をしたり。ニュージーランドについても、教えてもらう。細長い島とはイメージがあるけど、彼が住んでいるところは、1時間もあれば東西を行き来できるらしい。サーフィンってイメージがあるけどと聞いてみたら、自分はできないけどね、だって。

展望台に向け歩き始めてから、ロープウェイでおり、バス乗場が違うため別れるまでの約1時間。ずっと一緒に過ごして、いろいろ話をすることに。この厳かな雰囲気は、日本ならではの魅力だと日本の良さをアピール。一緒に参道を戻る中、自然の中のすがすがしさに、日本じゃマイナスイオンっていうんだと伝えるも、理解できない様子から、こりゃ和製英語かなと思ったり。摩尼殿についたところで、一休憩。自販機でジュースを買い、ベンチに座ってメールアドレスを交換。ウエブページも作ってるからと、このアドレスも教えて。デジカメで撮った写真を見せ合いつつ、ここが良かったよと姫路市内の観光地も紹介して。近くにいたおばちゃんに、二人での写真を撮ってもらい、メールで送るよと伝える。最終ロープウェイの時間は、18時。それに間に合うようにと、再び乗場に向かって歩き出し。

参道には、灯籠や地蔵が並んでいて、それを見つつ、日本では家単位で寄付(donate)する習慣があるんだろ、と質問を受け。こりゃ、日本の家制度を教えねばといろいろ話すも、いつものようにボキャ不足で、なんとなくしか伝わってないだろうな。日本語でなんて言うんだというから、「キフ」だなんて教えつつ。ちなみに、この寄付という制度を伝えたくても英語が思いつかずにいたとこ、彼が携帯電話の英和辞典で示したことから、これこれと話しが弾んで。こんなレベルであったりする。

少し早めに着いたから、17時45分の最終一つ前のロープウェイで下山。最初に乗って先に座ってたとこ、後からおばちゃん達が乗ってきて、そこですかさず席を譲る一瞬の躊躇もない彼の姿に、これが外国人に毎度感心させられる姿だと思い出し。おばちゃん達にどうぞっていうと、私達はここで働いている職員だからいいよと言われて。海外旅行経験者にとって、分からない現地の言葉で楽しく会話されると、どこか疎外感を感じるもの。その嫌さは十分分かってるから、おばちゃん達と話しつつも、こんなこと言ってるよとかなり意訳し伝えたり。すっかり観光客も減ってね、なんて雑談は、さすがによう伝えきらんかったけど。

今この寺では、小学校の林間学校が行われているらしく、ロープウェイ乗場じゃいろんな人に先生ですか?と聞かれ。行きの寺の入場料支払い所でも聞かれたな。こりゃ、頷けば無料で入れたなと、今さらながら思いもする。明らかな旅人空気を出してるつもりも、どうやら自分だけの思いのよう。まあ、悪い気はしないけど。

ここから、今日泊る塩田温泉に向かうからと、バス乗場でお別れ。その場限りとは、思う。それでも、普段なら絶対お互い出会うことがなかっただろう、気の合う人と関係がもてるのが、旅の魅力の一つ。あらためて実感し、その楽しく過ごせた時間に感謝したもの。

   
左:摩尼殿の前で、ギャレスと。
中・右:ロープウェイ乗場からの景色。姫路市街となかなかいい雰囲気のある山あいにある田。





宿泊地・塩川温泉


ロープウェイを下り、お互い乗るバスが違うから、ここでギャレスとお別れ。次の目的地は、今日の宿泊先塩田温泉。塩田温泉行きのバスの時刻は、18時30分。出発まで30分ある待ち時間をどう潰そうかと、しばしロープウェイ待合所の椅子に座って読書タイム。

ところが、座って数分で方針転換。山の麓に位置するこの場所、絶え間ないやぶ蚊の攻撃に、とても耐える自信をなくし。だいたいのバス停の場所は聞いてるけど、まずはしっかり確認しておこうと、バス停に向け歩き出す。ロープウェイ乗場から南へ500m程度、橋を渡ると大きな通りに出、道沿いにお店が点在するちょっとした商業地であることを知る。神姫バス・横関バス停をすぐに発見。まだまだ時間があるなと、次の目的に向け移動開始。

宿に着くまでに用意しておきたかったこと。それは、治療中の足の指を水につけないよう足首を包むためのビニール袋を手に入れること。しばらく歩いてもどこにも見当たらないコンビニ、スーパーに、半ば諦め。こうなったら、さっき見かけた花屋のおばちゃんに頼み込んで、一枚ビニール袋をもらおうかと最終手段を考えつつ歩いていると、「ヨコゼキドラッグ」という小さな薬局を発見。なにやら生活雑貨も扱ってそうだし、ここなら間違いないと、喜び勇んで店内に。

ビニール袋はすぐに見つかり、100枚入りを1袋購入。で、この時が18時10分。1日炎天下の中を動き回って、すっかり疲れ切ってて。この涼しいクーラーの中で休もうと、薬局のおばちゃんに、バスが来るまでここで休憩させてと椅子を借りてひと休み。ここから10分程、来客もなく暇そうなおばちゃんといろいろお話。

最近の円教寺観光客の状況を聞き、すっかり減ってるねと現状を教えてもらう。歩いて登っても30分位だし、なかなかいいよとアドバイスも。ラストサムライの撮影時は、人も集まり盛り上がったという話しを聞きつつ、トムクルーズは、ヘリコプターで直接寺に行ったから見ることなかったという裏話も。

姫路に来て思ったことは、言葉のアクセントが、関西弁に近いということ。兵庫県なんて、中国地方の一部と解し、道州制の際には取り込んでやろうと思ってたのに、こりゃ文化圏が違うなと、言葉の壁を大きく感じて。そんな思いを伝えたとこ、姫路は、関西弁じゃなくて播州弁っていうんよと教えてもらい。ちょっと感じが違うでしょと言われても、もちろんさっぱり分からないが。なにやら、関西弁より言葉がきついんだとか。山口県には、津和野に行ったことがあるっていうから、それは島根県だと軽く訂正。あの辺は、萩と一緒にツアーに組み込まれてるからとフォローをしつつ。

そろそろバスの時間だからと、お礼を言いつつお店を後にして。こんなのんびり世間話できるのも、旅行の良さよね。こっちも話す話題が多いから、いろいろ世間話もしてしまい。ガードを薄くすること、これも旅にも必要な要素かな。まあ、おばちゃんは、ほっといてもしっかりこっちのテリトリーに入ってきてくれるけど。

18時32分、塩田温泉行きのバスに乗り、いよいよ宿に向かうことに。


横関バス停。姫路中心地から10km程度、ロードサイドの郊外型商業集積という感じかな。






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