出発

朝5時に起き、出発の準備へ。前回の讃岐うどん巡りに続き、渋滞想定の早朝出発は常套手段となりつつあり、結局他人より先に動いてしまえという単純な発想が、意外と効果的であることに味をしめる。

家を出たのは、6時15分。渋滞したSAで朝食や給油をするのを避けるため、コンビに立ち寄りで朝食を購入し、ガソリン満タンで高速に乗る。高速道路は、通常の休日と比べれば車の密度が高いといったレベルで順調に走行、2時間後の8時過ぎに岡山県の吉備SAで小休憩を取る。

渋滞のメッカとして知られる兵庫県宝塚IC近辺では、対向車線に大渋滞を見ることができ、これが噂の銀週間の渋滞かと他人事として鑑賞しながら、通過する。行きで混んだのは、大阪府内に入った中国吹田IC付近ぐらい。そこで一瞬止まったものの、すぐに渋滞は解消し、阪和道へと乗り換える。ちなみに、高速道路そばには万博公園があり、突然目の前に太陽の塔が現れたときは、初めて見る圧倒的な迫力に、ちょっとした感動を覚えたもの。

順調に進み、和歌山市内に着いたのは、11時前。400km超の道のりを、想定通り、4時間30分で到着する。高速料金は、大阪環状線が別料金等よく分からない料金体系により、2900円の負担。それでも、公共交通機関だと、所要時間4時間弱、片道一人1万2千円の負担となるから、十分納得の移動だったわけで。






昼食・和歌山ラーメン


初日の目的地が高野山の中、和歌山市内に立ち寄った理由は、ただ一つ。お昼に和歌山ラーメンを食べたかったから。目指すは、和歌山ラーメンの有名店「井出商店」。今から10年前、ご当地ラーメンブームの象徴であった新横浜ラーメン博物館に出店したことで一躍有名となった和歌山ラーメン、そのお店が井出商店だったことは、今も強い印象として残っている。

結局、学生時代訪ねることなく終わったラーメン博物館も、ついに10年の年月を経て、井出商店に到着。開店30分前の11時に到着し、一番客として店の前に並ぶ。今後の観光を思うと、無駄に昼食時間を取るつもりはなく、時間が計算できる開店前の行列の先頭に並べた幸運を喜ぶ。

当初あまりのひとけのなさに、もう人気がなくなったのかもと思うも、段々と人が集まりだし、少し早めの11時20分に開店した時には、30人からの行列に大発展。気持ちよく誰もいない店内に案内され、特製中華そば(700円)を注文する。

特製中華そばとは、中華そばと比べ100円増しの分、チャーシューが多めに入るお得なメニュー。壁に貼られたラーメン博物館出店時の懐かしのポスターを見ていると、さっそくラーメンが到着。まずはスープからと一口飲む。

そこであらためて、和歌山ラーメンが、しっかりとしたトンコツをベースに醤油を合わせた、トンコツ醤油ラーメンということを認識する。定義の幅広いトンコツ醤油の中、ここは、豚骨を乳化させるまで煮込んだとろみのある濃厚トンコツとそれに負けない醤油ダレがそれぞれしっかりと主張しながら、不思議とこの二つが絶妙に絡み合い、初めて出会うおいしさを感じさせる。濃い目のスープも、くどさを感じさせない柔らかな味わいに、最後までおいしくいただける。チャーシューは柔らかく旨みがつまった上物で、濃厚スープとの相性もよく、細麺は、しっかりとスープが絡み、それぞれバランスがとれた、一品。和歌山ラーメンというジャンルを確立した個性に納得しながら、ラーメンを楽しむ。

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11時40分に店を後にし、さっそく高野山に向けて出発。一般道から山道へと入る経路で、2時間後の13時30分に、高野山に到着する。






高野山観光


高野山について、まずは解説。

高野山とは、和歌山県北部、周囲を1000m級の山々に囲まれた標高800mの山上の平坦地に位置する、117の寺院が立ち並ぶ真言宗の聖地をいう。

弘法大師・空海は、唐の長安に渡り、真言密教の奥義を究めて帰国。帰国後、嵯峨天皇から高野山を下賜され、約1200年前の816年に、ここに修禅道場を開いたのを始まりとしている。この密教を基盤に空海が開宗した真言宗とは、宇宙の本体であり絶対真理の大日如来を本尊として、大日如来の知恵に目覚めることを教えとしている。


高野山まで、ある程度の渋滞を覚悟したが、スムーズな到着。どうやら、大型バスでのツアー客が多いようで、山中にある環境からも、そこまで多くの観光客が集中していない様子。まずは車を置いて、歩いて観光しようと、寺院に併設されている駐車場を探し、高野山霊宝館に空きを見つける。

まず向かったのは、高野山の入口となる大門。高さ25mの巨大な門で、徳川綱吉が5年の歳月をかけて1705年に再建したものとなる。山々が連なる景色の中にそびえる朱門は壮観で、聖域への入口を飾る迫力に圧倒される。門入口の脇を固めるのは、金剛力士像。上からにらみつけられながら、高野山へと足を踏み入れる。

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門を過ぎたところで、バス停前にある茶屋「南峰堂本舗」で一服。ガラスケースにおいしそうな作りたての饅頭が並び、その中から焼もちを選ぶ。店奥で、お茶を飲みながらいただいた焼もちは、塩味のあるもちが、こしあんの甘さを引き立てなんともいえないおいしさ。できたてならではの柔らかさも、嬉しいところで。

一休憩したところで、壇上伽藍へ。壇上伽藍とは、空海が密教の根本道場として建立した根本大塔、真言寺院の規範となる金堂などの堂塔19棟が境内に並ぶ、高野山開創当初に建立した聖地となっている。

高野山の総本堂で、年中行事の大半が行われる金堂と、50mの高さを持ち朱色の壁面で一際目立つ根本大塔には、内部に入り見学。根本大塔内は、胎蔵界大日如来を中央に、四方に金剛界の四仏(阿閦・宝生・弥陀・釈迦)を配置し、その周囲の16本の柱には十六大菩薩を描いて曼荼羅を立体にあらわした造りとなっており、黄金に輝く仏像が居並ぶ壮観な内装と厳かな雰囲気をしばし堪能する。

ちなみに、本来別々の密教仏典に書かれている「胎蔵界」の仏像と「金剛界」の仏像を一緒に安置するのは異例のことらしいが、これは両者は根本的には一つだという空海の思想を表したもので、「根本大塔」の名前の由来になっているという。別の宗派で本尊とされる釈迦や弥陀が、大日如来に従っている姿に、宗教の解釈のおもしろさを思ったもので。

壇上伽藍の敷地は広く、14世紀初頭に再建され、高野山で最古の建物であり国宝に指定されている不動堂があったり見るものも多く、思わぬ時間をかけて、見学を終える。続いて向かったのは、車を置いている高野山霊宝館。高野山の主要な寺院は、500m程度の範囲の平地に集まっており、各施設に駐車場があるわけじゃないから、歩いてまわるのが最も効率がいい方法となる。

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高野山霊宝館とは、高野山に現存する仏像や仏画等の宝物を収蔵した宝庫。国宝21件、重要文化財142件、計2万8千点弱の文化財を収蔵。彫刻では、力強い迫力を感じさせる平安後期・重文・不動明王坐像、木像でありながら衣の柔らかさまで感じさせる鎌倉時代・運慶作・国宝・八大童子像、絵画では平安時代・五大力菩薩像の勇ましさを楽しみ、書跡では、平安時代・国宝・源義経自筆書状で、かの義経の直筆文に思わず見入る。

とにかく、数多くの仏像、仏画が並び、どれもが国宝、重文クラスのため一つ一つをじっくりと見学。ここまでの文化財は、ちょっとした博物館でも揃うことはない。さすがは、過ぎた時代そのものがここの歴史である高野山。ただただ、感心しながら時間を過ごす。


そんなわけで、霊宝館を後にしたのは、15時30分。宿には、16時にチェックインと伝えていたから、もう残された時間はわずか。明日は、熊野古道散策を予定していて、朝8時出発を見込んでいたことから、高野山の観光時間はほとんど取れない。できる限りまわらねばと、急いで金剛峰寺に向かう。

金剛峰寺は、高野山真言宗の総本山。元々は、豊臣秀吉が亡母菩提のために建立した青厳寺と興山寺を合併し改称したもので、青厳寺は豊臣秀次が自刃した場所としても知られている。建物は、江戸末期に再建された書院造建築となる。本来、空海が名付けた金剛峰寺とは、高野山全体を指す称号だったが、明治期以降は、この総本山寺院のことを称するようになったのだとか。

檜皮葺きの大屋根を擁する主殿では、回廊を歩きながら見学する内装に、狩野派による黄金色の襖絵を各部屋で見ることができ、その重厚な美しさに魅せられる。奥殿手前にある、日本最大の石庭蟠龍庭(ばんりゅうてい)では、ほんの少し色付いたもみじと共に雄大な庭を楽しむ。

主殿を見学したところで、広間に案内され、一杯のお茶と茶菓子をいただくサービスがあり、一休憩。時刻は既に16時を回り、これはまずいと宿に連絡を入れる。チェックインを遅らし、最後の観光地・奥の院に行くか、明日の朝にまわすべきかと悩みながら電話をすると、17時までにはチェックインをしてくれと厳しいお言葉。となれば、悩むまでもなく、急いで金剛峰寺内を見て回る。

奥殿では、天皇、上皇が登山された際の応接間である書院上段の間を見学。総金箔の壁と折上式格天井の華やかな書院造と、寺内でも別格の部屋に感心する。最後に、かまど炊きの台所を見学し、終了。

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宿坊・普門院


金剛峰寺から、歩いて駐車場に車を取りにいき、宿泊所である普門院に着いたのは、16時30分。まずは、普門院について、簡単に説明。

高野山の宿坊に泊まることができると知り、大急ぎで宿を押さえたのが、この旅行の始まり。高野山には、50超の宿坊寺院があり、1寺院30組程度が宿泊できる造りになっているものの、唯一空きがあったのが、ここ普門院。
普門院の名の由来は、普門の大日如来を本尊とすることから。弘法大師空海の剃髪の師・勤操大徳が、弟子空海の高野山開創を喜びこの山に一寺を建立したのが、この寺の始めとなっている。

寺の拝観口から上がり、横の小部屋でチェックイン。希望があれば、朝のお勤めでご先祖様の供養をしますよと聞かれるも、曹洞宗門の先祖が高野の山奥で迷ってはいけないからと、やんわり断る。通常は部屋食だけど、今日は客が多いから広間での食事になると説明を受け、準備ができたら電話をするからと、17時30分頃部屋にいるよう指示を受ける。若いお坊さんに荷物を運んでもらい、夕食会場等の説明を受け、部屋で一休み。既に17時を回っていたけど、汗を流したいからとお風呂へ。ちなみに、トイレ・風呂は共同となる。

高野山での宿泊は、修行の心構えで来ているため、部屋に豪華な設備は求めず。ただ、寺院内の部屋ではなく、併設された宿舎の快適な10畳和室だったため、少しイメージは違ったけど、寺院の中で過ごす雰囲気は、やはり他では味わえないもの。

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案内された広間での食事は、他一組が同じ部屋だったけど、ついたてで仕切られていたため、さして気にならず。出てきた精進料理は、華やかさはないけど、練物に見立てた山芋の揚物、高野豆腐や南瓜、椎茸の煮物、胡麻豆腐、野菜の天婦羅と、それぞれにしっかりとした味わいがあり、おいしくいただく。飲物は、一夜の修行中の身のため、遠慮。ここで、冷たいビールを飲むとおいしいだろうなと、葛藤しながら。

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食後は、夜の散策に。金剛峰寺のすぐ近くにある普門院周辺は、高野山の中心部に位置していること、周りに宿坊が多いことから、道沿いにお店が並ぶ賑わい地帯。ただ、19時過ぎに出かけた頃には、周りは既に暗闇に包まれ、観光客はほとんどおらず、店もお土産物屋数件が開いている程度。高価な数珠や三鈷杵といった法具を土産物屋で見学し、しばらく散策した後、あまりの冷え込みに、さっさと宿に戻ることに。


こうして、1日目の観光を終了。高野山宿泊という貴重な体験を満喫しながら。




                                                                                          



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