top
紀伊の古道参詣記
朝のお勤め


朝は、5時30分に起床。さっさと着替えて、一人早朝散策に繰り出す。

1200年もの間、真言宗の聖地として、人々の修験と信仰を担ってきた地が持つ独特の空気感。そして、それが一層高まる、一切の混沌を排す神聖な朝を全身で感じたく、早朝の高野の町を歩く。日が昇る前の高野山は、9月半ばとは思えない冷え込みにより、凛とした空間に包まれる。昇る朝日を全身で浴びながら、誰もいない金剛峰寺を参拝、心あらわれるひと時を過ごす。

kouyab21.jpg   kouyab29.jpg
左:散策中に日の出に遭遇
右:朝、誰もいない金剛峰寺を参拝



ゆっくり山内を歩きたい思いを抑えて、急いで宿坊に戻ったのは、6時30分から朝のお勤めがあったから。さっそく本堂に向かい、山の斜面を使った小さいながら重厚感のある庭園を眺めることができるロビーでしばし待機。6時30分に本堂へ案内され、大日如来を前に宿泊者20人程が正座で姿勢を正す。そして、3人の僧侶による読経を聞きながら、焼香を一人づつ済ませ、住職による縁起を含めたお説教をいただいた後、40分程のお勤めを終える。

朝に訪れた厳粛な時間を、それぞれが己の心で受け止め、それが終わる頃に、どこか洗練された自分に出会う。金色のきらびやかな大日如来と、天井に葵の紋が残る徳川霊台を使用した古めいた木造の建物がなんともいえない空間をつくりだす。最後に、本堂に掲げられた肖像画、国宝・勤操大徳像を見学し、長い廊下を渡って部屋へと帰る。

kouyab25.jpg   kouyab23.jpg
左:普門院本堂
右:本堂内の不動明王。大日如来が据えられたとなりの部屋で朝のお勤めを。



部屋に帰ったところで、朝食時間。夕食時の広間に再び行き、膳に並べられた朝食は、質素ながら、艶やかに光るご飯に、柚子皮の香りが効いた味噌汁、だし汁がしみ込んだがんもどき、蕪の煮物とそれぞれがおいしく、あっという間に食べ終える。

食事を終えてからは、早々に出発準備し、8時過ぎにチェックアウト。なにせ、今日の予定は大詰まりの上、昨日行けなかった高野山奥の院までルートに加えたものだから。出かけ前に、お坊さんと、朝は冷えましたねと話をすると、今でも気温は14度くらいと温度計を見せてもらう。大阪市内と10度気温が違うといい、もう一ヶ月もすれば、寺院内も炬燵を出して暖を取るとか。冬場の雪も多いらしく、まさに修験の場だと、感心しながら話を聞く。

となると、早朝は10度を切るくらいか。修行の身と宣言しながらフリースを着こんでの朝のお勤め参加は、とても大きな声で言えないことだけど、昼の気温から半袖準備しかしていない人も多かったから、参加される際は、ちょっと気を付けたいとこで。






高野山・奥之院


奥之院とは、空海入定の地であり、聖地高野山の中の聖地とされる場所。835年、63歳のとき、結跏趺坐(けっかふざ)のまま奥之院最奥の大師御廟に入定されたもので、死去と表現されないのは、永遠の悟りの世界に入り、今もここ奥之院で生きていると信じられているからだという。

ここを参らずして、高野山を訪ねたとはいえないと、少々強引に予定に組み込み、そして、2kmある参道を全て歩くことを最初から諦め、奥之院バス停付近から始まる1.3kmの参道を選択する。

8時20分に参道を歩き始め、杉並木の中道の両脇を埋める墓碑を見ながら、奥へと進んでいく。千年を超える歴史の中、広く尊崇を集めてきたことにより、宗旨、宗派を問わずに建てられた数十万基にも及ぶ墓碑には、歴史上の人物のものも多く存在する。

数え上げたらきりがないが、平敦盛、熊谷直実といった平安時代の武将、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗、明智光秀、柴田勝家、織田信長といった戦国時代の武将、四十七士や陸奥宗光に、他宗派の法然や親鸞の墓まである。その中でも、重要文化財等に指定されている徳川家康次男・結城秀康霊屋や豊臣秀吉の墓である大五輪塔はなかなか立派で、立ち寄って見学する。

奥之院でも別格の雰囲気を持つのが、弘法大師御廟一角。数十m手前となる御廟橋からは写真撮影が禁止となり、杉の大木の間を抜けて、燈篭堂へ向かう。燈篭堂とは、御廟の拝殿となり、老女「てる」が両親菩提のためにした献燈を始まりに、白河天皇の献燈、昭和天皇の献燈を三燈とし、全国の信者による献燈が燃え続けている堂となる。ここで、家族や自身へのお守りを購入し、堂の裏にある御廟へと向かう。

森の中にひっそりとたたずむ弘法大師廟。大師が入定したその地は、さすがに厳粛な雰囲気に包まれ、ただ心を清め、ここで結ばれた縁に感謝しながら、お参りを終える。

kouyab27.jpg   kouyab26.jpg
左:杉が林立する参道沿いに、お墓が並ぶ。
右:御廟橋(みみょうばし)の先が大師御廟となり、ここからは撮影禁止。






熊野古道 中辺路(なかへち)


高野山奥之院を30分程で参拝を終え、急いで熊野古道へ向け出発。奥之院中の橋駐車場をスタートに、熊野古道方面へ、和歌山県の山中を縦断する高野龍神スカイラインを使い、ひたすら南下。スカイライン途中にある展望台で紀伊の山々を眺めながら一休憩し、1時間半後の10時30分に熊野古道の出発地・滝尻王子に到着する。

kouyab28.jpg
スカイライン中間点にある展望ポイントから。



熊野古道といっても、いろいろな道があることを知ったのは、この旅行を計画してから。大きく分ければ、高野山から向かう小辺路、海沿いを歩く大辺路、そして山の中を歩く中辺路。その中で、厳しい道のりほど参拝のご利益があると好まれたのが、中辺路となる。ちなみに、その他の古道は、伊勢神宮からの伊勢路、奈良吉野からの大峯奥駈道、大阪からの紀伊路とあり、熊野本宮大社からさらに遠方からの道のりとなるから、候補にもあげていないもの。

選んだのは、最もメジャーな古道であり、熊野本宮大社へとつながる中辺路。どうせ熊野古道を歩くなら、険しい道を、納得するだけ歩きたい。熊野大社を目指して歩いた人々の跡を追って。やはり、自分自身が体験しないと分からない。大社を目指して山道を歩いた先に、自分は何を感じるのだろうか。普段は決してやらないことを、この機会を使って体験しておきたいという思いと共に。

中辺路も、全て歩けば軽く3日はかかる道のりで、とてもそこまで突き詰める気はなし。熊野参詣堂には、熊野の神の分社である熊野九十九王子が祀られており、その中でも格式の高い王子が5つある。その一つが、滝尻王子といい、熊野の霊域の入口とされている場所で、今回の古道歩きのスタート地点となる。

滝尻王子を出発としたもう一つの理由は、滝尻王子にある熊野古道館が運営している乗用車搬送サービスを利用したかったから。数時間歩いた後に、再び出発地点にバスで戻るほど無駄なことはない。ただ歩くのが目的じゃなく、やはり、目指すは熊野大社と、参詣のための道のりにしたいとの思いが強くあり。そんな思いの中見つけたのが、このサービス。滝尻王子から、13km(徒歩6時間)先の近露王子、もしくは38km(徒歩15時間)先の熊野本宮大社まで車を運んでくれるというもので、歩く距離も望むところの十二分。それだけに早く古道を歩き始めたかったけど、朝に奥之院参拝を加えたために遅くなったとは、ご推察のとおりで。

目指すは、近露王子までの13km6時間の道のり。熊野本宮大社の参拝時間が17時までで、10時出発、近露王子6時間後の16時着の当初予定は崩れたけど、標準時間は、あくまで観光で訪れる年配者も含めた平均値だろうと楽観視。歩く速度には自信があると、さっさと鍵を預けて、11時前に熊野古道を歩き始める。

滝尻王子から500mごとに番号道標が立てられているけど、歩く際には番号の意味を知らなかったから、参考とせず。基本的に、目標にしたのは、近露まで4つある王子と、神社等主要なポイント。親切なガイド本の古道歩きマップには、それぞれの区間の距離が書かれていたから、これを目標に歩いていく。

杖は13kmの道のりを歩くには、バランスが崩れて邪魔にしかならないと判断し、使用せず。タオルや水筒を入れたバックパックを背負い、山道を登っていく。熊野古道と聞くと、それなり整備された道のイメージがあるが、これが単なる山道に過ぎないことを、歩いて数百m過ぎに気付く。特に、滝尻王子からの道は険しく、急な上り坂が続くことから、観光気分で来た人は、500m先にある不寝王子(ねずおうじ)を過ぎた頃には、さっさと諦めることだろう。

不寝王子からは、周りを雑木林に囲まれたさらに急な山道を、滑らないように道を横断する木の根に足をかけながら、登っていく。ひたすら続く上り道を、息を切らしながら歩き、登りきったところで一休憩。出発1km程で、既に45分が経過。残りは、5時間15分・・・、これは長い戦いになるぞと気持ちを引き締め、腰を上げる。

kumanob21.jpg   kumanob22.jpg
左:滝尻王子をスタートして最初にある登り坂。広めの歩きやすい道をイメージしていたから、突如始まった急な山道に驚く。
右:木の根を滑り止めに、山を登っていく。



山道は、道なき道を歩くことになるけど、ところどころに熊野古道という立て札を見ることができ、道を間違っていないと安心できるのが、支えとなる。これが、世界遺産登録によるメリットで、行き届いた管理に大いに助けられる。

休憩後は、下り坂も出てきて、順調に進む。途中にある展望台に立ち寄り、山頂から見下ろす景色を堪能。麓に見える小学校の校舎の小ささに、一山登ってきたことを実感、そのきつい行程にも納得したわけで。

kumanob23.jpg   kumanob24.jpg
左:木階段が設置されたりと、段々歩きやすい道になっていく。
右:展望台で一休憩。少し肌寒かった山中から抜け出て、晴渡る青空と対面。



上りが多い前半の行程は、5分程度の休憩を2,30分に1回入れ、適度に水分を補給しながら、順調に進む。最初の1時間を過ぎた頃から、一定のスピードで歩くリズムに体が慣れ、特に苦もなく、もくもくと歩を進めていく。急な登り坂も、木の階段が設けられていたりと、歩きやすくなったことも一つの要因。そして、歩き始めてから1時間30分後の12時20分に、出発3.7km先の高原熊野神社に到着し、参拝。その後、すぐ側にある高原霧の里休憩所で昼休憩をとる。

高原霧の里休憩所は、滝尻−近露王子間の唯一の休憩施設で、広い駐車場からは、すぐ下に広がる山村の景色を眺めることができる。ロッジ型の休憩所は、近所のおばちゃんが経営しているようで、自販機数台の他、タッパに入った草餅や味噌汁といった食べ物もある。おにぎりやカップラーメン等しっかりした食べ物があればなおよかったけど、空腹を満たし、この後の道のりを乗り切るため、迷わず草餅と味噌汁を注文し、腹ごしらえをする。そして、ここで水筒に水を補充し、30分後の12時50分に休憩所を出発する。

出発後、数百mは急な登り坂が続き、足を休めたことの反動で体が重く、思うように前に進まない。ここは根性と、諦めず、休むことなく一歩づつ足を進め、後半最初の関門を乗り切る。

熊野古道とは、どこにでもある普通の山道で、田舎に住んでいて、山に入った経験のある人なら、驚きよりも懐かしさを感じることだろう。落ちれば這い上がれないような急峻な崖が古道に連なり続いていても、周りを木々に囲まれた尾根づたいに続く細い一本道からは、私が小さい頃は隣の山に薪を取りに、この道を毎朝歩いて通っていたよと顔をしわしわにしたばあちゃんの声が聞こえてきそうな、包み込むような優しさにあふれている。

それでも、わざわざ熊野古道を歩く価値は、長い日本の歴史と共にある熊野大社参詣という文化を体験することで、潜在的に持つ日本人の精神の原点を体感できることにある。また、大きな目標を制したときの達成感も同時に味わえ、ただ山を歩くことに大きな意義があることが、この古道へと向かわせた理由と言える。山道でありながら、世界遺産としてしっかり管理されており、倒木や道を覆うシダ等の草はおろか、山中で最も警戒していた蛇や蜂に出くわさなかったのは、その賜物とも言える。

中途半端な距離だったり、どこに向かうか分からない道と違い、しっかりと距離表示がある長距離の山道はそう見ることができず、これほど歩くことに集中できる山歩きはないと、ただただ感心するばかり。

熊野古道という歴史散策を通じて、本当の意味での自然と人々のつながりを認識し、山のおもしろさ、ありがたさに気付かされることこそ、この古道歩きの本当の価値だろうと、歩きながら思うのである。

kumanob26.jpg   kumanob28.jpg
熊野古道の景色



休憩後も、30分歩き、丸太に腰を下ろして水を一杯の3分休憩ペースで山道を歩く。後半出発50分後に大門王子を抜け、1時間30分後に十丈王子に到着する。昼休憩所以降は、同じく古道歩き組を何組か見かけ、高齢夫婦、親子連れや中高年のおばちゃん仲間、若者の一人歩きと多彩な組み合わせに挨拶しながら通り抜ける。登り坂が続く道のりも、山歩きの体力には自信があるから、一定ペースで最後まで抜かれることなく歩いていく。

後半出発2時間後、計4時間後に、この古道歩きの最高到達地点、標高700mの上多和茶屋跡に到着する。ここまでで、ちょうど9kmを数え、残りは4kmながら、下りが中心になるから一安心。

kumanob25.jpg   kumanob210.jpg
左:大門王子。王子跡には、小さな石碑が置かれ、古道歩きの大きな目標となっている。
右:上多和屋茶屋跡。ところどころにある丸太に腰をかけ、休憩を取る。



緩やかな下り坂から、山をジグザグに移動する段々急な下りに変わっていき、ここで登りとは違う辛さに出くわす。それなりしっかりしたスニーカー着用での山歩きも、山肌に足を取られて滑らないようブレーキをかけながら下りていたところ、足の爪が靴の先に当たり続ける衝撃により、我慢できない痛みが発生。足を横に向けてブレーキをかけながら下りるも、ときに指が先端に当たり、ひーこら言いながら下っていく。

1.2km先の大坂本王子に着く頃には、ようやく急な坂もひと段落し、ほっと一息。休憩には少し早いと、川の流れる緩やかな道を、柔らかい日差しへと変わってきた木漏れ日を浴びながら、一気に牛馬童子口バス停まで歩いていく。

牛馬童子口バス停は、道の駅「童子ふれあいパーキング」の側にあり、ようやく人間界に戻ってきたと、置かれたベンチに腰掛け一休憩。道の駅に車を止め、熊野古道の体験散策とここから数百m程度古道を歩く人も多いようだけど、シャツに大汗をかき、すっかりやつれた古道歩き組みは明らかに風格が違うから、ここは堂々と行く手を遮る観光集団を押し分け山の中に入っていく。

牛馬童子という名称が付いているのは、道の駅から800m程行ったところに、古道のアイドルと言われる牛馬童子像が置かれているから。道の脇にある童子像に参拝し、いよいよ最後の500mへと向かう。

kumanob212.jpg   kumanob213.jpg
左:坂道から平地へと変わり、周りの景色を楽しむ余裕も出てくる。
右:牛馬童子像。ここまでくれば、後少し。



山が開け、人里へと下りる石階段の道に変わった頃には、ラストランの気分で、これまでの長い道のりを振り返りながら、終着点へと向かう。最後は、アスファルト舗装の橋を渡り、近露王子に到着。時刻は16時前、標準時間6時間を大幅に上回る、4時間58分36秒で13kmに渡る古道歩きをゴールする。

最後は、5時間の大台を切りたくて小走りだったりと、完全にマラソン大会と勘違いしていたところがあるけど、記録には十分満足。ただ、標準時間は、年配者を踏まえたゆっくりタイムではなく、かなり現実的なシビアなものだというのは、途中経過でタイムを計りながら実感したもの。区間の標準時間とほぼ同じ箇所がいくつもあり、どちらかというと、昼休憩を含めた休憩時間・回数が少ないことが要因だろう。

そもそも、年配の人ほど、山の歩き方を知っているからペースが速いところもあり、滝尻−近露王子間は、やはり6時間程度かかると見ておいた方が無難。ただ、負けず嫌いな方は、とりあえず5時間切り、次は自己記録の更新を目指すのも、一つの楽しみ方かもしれないけど。

kumanob214.jpg
ゴールの近露王子






熊野本宮大社参詣


近露(ちかつゆ)は、本宮の手前最後の宿所とされ、近露王子も、熊野九十九王子の中で、文書に最も早く登場する等、熊野古道で主要な地を担ってきた場所となる。ちなみに、その名の由来は、花山法皇が箸折峠(童子像のある峠)でカヤを折って箸にしたとき、カヤの軸が赤いのに驚いて「血か露か」と問うことによるもの。

それだけに、近露王子の場所は平野部の開けた地にあり、王子のそばには、立派な喫茶店もある。昼を草もちだけで済まし、すっかりお腹が減っていたから、夕食時間を気にしながらも、うどんとめはりずしをいただく。すっかり落ち着いたところで、次の目的地とガイド本を見ると、熊野本宮大社の参拝時間は、17時までという無情の表記。時刻は、16時20分を回り、ここから本宮まで30分かかるとして、既にぎりぎりの時間。慌てて行ってもしょうがないと、半ば翌日の参拝を視野に入れつつ、とりあえず行ってみようと、移動を開始する。

近露王子からは、約30kmの道のり、ちょうど17時過ぎに熊野本宮大社の駐車場に到着し、急いで大社へと歩いていく。参道の先にある一の鳥居から始まる石段は158段を数え、熊野古道を歩いてきた者に、最後の試練をもたらす。重い足を持ち上げて、階段を上りきった先の神門をくぐると、広い境内に出、その先に、簡素な美しい社殿が目に入る。

熊野本宮大社とは、紀元前に崇神天皇により創建された、全国に3千社以上ある熊野神社の総本宮となる。本殿では、家都美御子大神を主祭神に、熊野牟須美大神、速玉之男神、天照大神の4柱をそれぞれの社殿で祀っている。元々熊野川の中洲に社殿があったが、明治の大洪水で流され、流失を免れた上四社を、現在の山の上に移築したという経緯を持つ。ちなみに、家都美御子大神(熊野坐大神)が、須佐之男尊(スサノオノミコト)を指していたり、神武東征の際に神武天皇を熊野国から大和国に道案内した八咫烏(やたがらす)と関わりがあったりと、熊野大社の格の高さを感じさせる伝説は多く、後白河上皇が34回参詣しているなど、天皇家とのつながりも深い。

本宮大社では、4つの社殿にそれぞれお参りし、参拝を終了。17時までという参拝時間は、連休中のためか関係なさそうで、18時を前にしても、まだまだ参拝者が訪れていたから、参拝前に確認しておきたいところ。

kumanob215.jpg   kumanob216.jpg
左:本宮大社へと続く、158段ある長い階段。
右:4社殿からなる独特の造り。桧皮葺の屋根が趣を感じさせる。






串本ロイヤルホテル


熊野本宮大社横を流れる熊野川の雄大な流れをしばし眺めた後、宿に向けて出発する。大社からは、熊野川沿いを走る道路で、なかなか壮観な景色を眺めながらのドライブを満喫。出発30分で、三重県との県境になる新宮に到着し、ここから海沿いに南下していく。那智勝浦新宮道路なる自動車専用道路ができていたから、いたって快適なドライブ。そして、新宮からさらに30分かけ、すっかり辺りが暗くなった19時過ぎに、2日目の宿「串本ロイヤルホテル」に到着する。

宿が全く見つからない中、旅行2日前に出たキャンセルを急いで抑えたホテル。串本は、本州(かつ和歌山県)最南端に位置し、翌日の那智勝浦方面への観光に便利な立地が、少々高い宿泊料を受け入れた理由。さっそくチェックインを済ませ、ホテルで一休みした後、夕食を食べにレストランに向かう。

夕食バイキングの選択の余地がなかったのは、ほとほと残念。宿はビジネス、食事は地元の名店が旅行の基本形態ながら、セット料金の値段に、諦める。このホテルのバイキングは、他とは違って豪華でおいしいという口コミ評価が当てにならないことは、席を探しながら覗いた並ぶ料理を見て、早々に気付く。だから、バイキングは嫌なんだと思いながらも、仕方なし。

マグロやタイの刺身に鯉の洗い、中華料理や、天婦羅、シェフ調理による焼肉等適当に料理を盛り付け、使い果たしたパワーを補充。ほぼ、家族連れの利用から分かるように、和食ファミレスの延長と思えば間違いなく、騒々しい大ホールでの食事となるから、食事早々に退散することになり。飲み放題が付けば、まさにビアホールとなるけど、残念ながら、ここはビール一杯700円・・・。1泊一人1万7千円の値段を思うと、ここの利用はあまりおすすめできないと感じたもので。

食後は、温泉に浸かり、体を休めて最終日に備える。高野山奥之院参拝に始まり、熊野古道歩き、熊野本宮大社参詣と、充実した一日を振り返りながら、2日目を終える。

kumanob217.jpg
夕暮れの熊野川を眺めながら串本へと向かう。




                                                                                          




2日目 熊野古道歩き
旅計画 1日目 2日目 3日目