05年12月24日−30日  in ニューヨーク
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世界の中心を踏みしめて 
5日目(12月28日)

メトロポリタン美術館


いよいよニューヨーク実質最終日。
ここ数日の強行日程で体のあちこちに痛みを感じる中、NY完全消化を目標にやりに残していることを潰していく。
まずは、いろんな予定の関係で最終日にもつれ込んだ、メトロポリタン美術館でのアート鑑賞。ここを訪ねることは、ニューヨークに対する知識が浅かった時からの目的の一つ。本物に出会う、これは自分の価値観を確立するため、常に頭にある人生の目的の一つ。それが一堂に会する場所。その地に立って、行かない理由など何もない。

メトロポリタン美術館(通称:メット)とは
ロンドンの大英博物館、サンクトペテルブルクのエルミタージュ、パリのルーヴルと並ぶ世界4大ミュージアムの一つ。コレクションは200万点に及び、236のギャラリー数は世界最多を誇り、全コレクションの約1/4が展示されている。
1866年パリで開かれたアメリカ独立記念日を祝う晩餐会でいまやアメリカに国立の美術館を造るべきという提言からスタート。1870年に発足、一点の作品もないなか寄付金集めから始まったという。美術館として規模が拡大したのは、第1次世界大戦後。産業と経済の国として富を独占したアメリカに、疲弊した欧州から大量の美術品が流入していった。また、個人による収集したコレクションの寄贈も大きく寄与。金融資本の支配者P・モーガン、石油王ロックフェラー、鉄鋼王デイヴィスと大富豪が寄贈者として名を連ねる。

この規模を誇る美術館は、鑑賞に3時間は見ておきたいというガイドブック情報。
その後の予定を考え、昼過ぎまでを一つのめやすに、朝9時に宿を出発。
今日は、北へ南へと駆け回る予定、地下鉄チケットはいつもの1回券(2$)はやめ1日券(7$)を選択。1度乗り換え、メット最寄り駅で降りる。地下鉄駅から距離があるのが、メットの弱み。疲労のたまった体には、朝一にもかかわらずすっかりこたえて、一歩一歩ゆっくりと美術館へ向かう。

メトロポリタン美術館は、とにかく巨大。まず、その外観に圧倒。背景にセントラルパークの自然を抱え、ちょっとした宮廷気分を目の前にして味わう。

     
左:メット最寄り86 st.駅地上の景色。どこも味わい深い景色がある、不思議な街。
右:メトロポリタン美術館外観。



朝10時、なかなか早く到着できたなと感心する間もなく、ロビーにあふれた人々に圧倒。なかなか人の集団を見ることのないニューヨーク、こんなとこに集まってたんだと思わず納得。入場料20$で缶の蓋のようなチケットを購入。これを付けてれば出入り自由でいろんな展示場に行けるという優れもの。コートと荷物をクロークに預け、まずは日本語館内案内パンフレットを探してうろうろ。

各国語のパンフレット置き場で、どこかにあるだろと探してたら、なんと白人のおばちゃんに日本語で声をかけられる。日本人の方ですか?って。日本語で話ししたの日本発以来だよとちょっとした感動と安心感で胸いっぱい。11時15分に時計の下に集まると、日本語ガイド付き約1時間の館内ツアーに参加できますと親切情報をもらい、これはちょうどいいと逆算して行動開始。1時間でできるだけ見て回ろうと、まずは、ギリシア・ローマ美術を見学。続いて、アメリカ、オセアニア、南北アメリカ美術へと向かい、近代美術へ。
館内写真撮影は、自由。それでも、なんでもかんでもって雰囲気はなく、鑑賞の邪魔にならない程度にお気に入りを何点か。

              
左:パブロ・ピカソ。20世紀美術にピカソ作品が転がってます。ただ目に入っただけで、まずはおもしろいなって足を止める。評価されるだけの価値はあると思う、そんな素直な感想を持ったとこ。
中:ポール・クリー。20世紀美術の中でも、お気に入りの一品。
右:ヨーロッパ彫刻・装飾美術には、目を引くようなきれいな壺も。



              
左:ヨーロッパスカルプチャーコートでは、白亜の彫刻が並ぶ。
中:心に突き刺さった作品。この恥じらい、奥ゆかしさは、いつの時代も男が求める女性像でしょ。目の前にその情景が広がるような、完璧な作品で、ひとりこの像の前にたたずんで見てました。
右:クリスマスシーズンだからか、ツリーも。大きな木の周りを飛び交う天子、確かにこんなゴージャスなツリーは見たことないな。



ここまで一気に駆け抜けてます。一応全作品に目を通してるけど、直感的に引かれなければ、視界を軽く横切る程度の素通りレベル。なにせ展示数が多すぎ、迷子になるほどの館内広すぎ&複雑すぎ。到着時からの疲労による腰の痛みも、とっくに限界越え。痛みと格闘しながら、とにかく前に進まんといけんと、こうなればノルマに近い感覚で歩き回る。
ツアーに参加すると、自由な時間は制限される。できるだけ事前に多くを見ておこうと、ほぼ1階を制覇する勢いで。そして、集合時間15分前に集合場所そばにあるエジプト美術に入り見学、目指したノルマを無事達成。
エジプト美術は、なかなかおすすめ。ピラミッドの石を使い再現された内部の空間を歩けたり、ミイラの入っていた棺を眺めたり。その時代、その時代の人間達が作り出した文化に触れるってのは、潜在的に感じるとこがあり、いいものだねと。

          
左・中:武器・甲冑エリアには、西欧物から和物まで。十字軍等それまでのイメージで描いていた武装兵を目の前で見れて、ちょっと興奮。これで自由に体が動くのか?って検証しつつ。つまるとこ、かっこいい。そんな感覚が、興味の基なんで。
和物は、戦国武将の甲冑、日本刀と。欧州武器のサーベルもいいが、やっぱり日本刀は芸術品だと思うよと、そんな感想を持つ。
右:ステンドグラスなんてのも。



さてさて、11時15分、ひとまず鑑賞を終え、集合場所付近に到着。
ここで、一つ葛藤。ここでツアーに入ると、専門的な話は聞けるだろうが、一度見たとこを回ることになる可能性が高い。さらに、1時間ここで消費すると、残りの鑑賞は大幅に制限される。どっちに主を置くか、やっぱりなるべく多くの作品を見ることこそ目的、とここで方向転換。ツアー参加を取りやめ、2階の展示へと足を運ぶ。


2階は、多くの絵画が飾られる。
ヨーロッパ絵画では、公爵らしき人達の自画像が多数。芸術家を育てるのは、彼らを抱える富裕家だという時代背景が見えてなかなかおもしろいとこ。いつの時代もそこにいたのは人間なんだなと、当たり前のことを思いつつ、顔を眺める。
アメリカン・ウイングでは、メジャーな作品が多数。ひと部屋を覆うような大作を目の前に、椅子に腰掛けながめる贅沢。名だたる絵を独占している気分は、なかなか他じゃ味わえないだろうなと思いつつ。
日本美術なんてのもあり、迷いながらどうにか到達。歌川広重の浮世絵はとりあえず押さえておくが、期待した程の作品には出会えず、次へ。

巨大ホールを歩き続けて、ピークを通り過ぎた疲労は、限界を確実に認識させ始める。数m歩いて、ソファを見つけては休憩する状態に、ラストスパートを決意。2時間30分を越す鑑賞時間で多くを制覇したが、2階の一部は諦める。自分の興味がある分野を第一に、最後を現代美術で締めることを決め、再び始動。それまでの伝統的な作風から一変する新たな取り組みの数々に芸術の変化を感じる。人間の心の奥底にある感性的な美的センス、いつの時代も追い求めている、そんな変わらない本質に出会えた気がしたアート巡りを、そこで終える。


              
左:ナポレオン。
中:デラウエア川を渡るワシントン。アメリカ人の心をとらえるという一枚は、果敢に新大陸に臨み、皆を引っ張りその第一歩を踏もうとする初代大統領ワシントンのみなぎる生命力を感じることができ、心のより所にするという意味は十分に共感することができる。
右:数ある中でも、お気に入りの一枚。素朴な田舎町の風景が、自然と目の前に広がり、どこか懐かしい心が和む作品。



              
左:近代美術の中でも目を引く巨大な一枚。この絵はカラフルな点の集まりで構成されており、近くで見ても、おもしろい。絵としての雰囲気もお気に入り、2階の最奥に位置する展示場だけど、ここまで歩いてきてよかったよと思ったもの。
中:12時30分を過ぎた入口である大ホールの様子。絶え間なく続く人々の群れを上から眺めてちょっと驚き。そんな人の数さえ、この広い館内は吸収してしまい、見るうえでのストレスを感じることはなかった。2階奥の行列が分かるかな?、特別展であるゴッホ展に並ぶ人々。その長さ数百メートル、ちっとも前に進んでないようで、そんな時間があれば他の作品見に行けばと余計なことを思ったり。
右:鑑賞後、館内前で。さてさて、ランチでも食べに行こうかなと思ってるとこ。



鑑賞を終えて
時間にして、2時間30分。とにかく全部見て回ろうという決意のもとほとんどを歩き続けた結果、腰の痛みは限界を超える。そんな無理をおせたのも、今しかないという思いだけから。その価値がある、場所だから。
作品に目星を付けていった訳じゃない。自分の感じるままに、作品に相対し、一枚一枚対話する。先入観なく、それぞれの作品を感じることができたというメリットと共に、そのために見逃した大作は、ガイドブックを見つつ、何点も思い当たるというデメリットも。数が多いだけに作品を絞って見るべしとのガイドブックの忠告は早々に無視したものの、せめて名だたる作品ぐらいは事前のチェックが望ましかったと、思い返すとこもある。
本物に触れる、そんなテーマは、もちろん達成。限りのないアートに囲まれるという体験がこの先何度あるだろうか。メトロポリタン美術館という芸術の集合体を、この目で見ることができた。聞き見じゃない、この体験が、自分の価値観を形成することを確信したものだった。






ランチ


美術館があるのは、街の外れのセントラルパーク中ほど。次の目的地は、中心街に向かう途中にあるから、移動ついでに昼食を食べようと歩いて南下を開始。特に目指す店もないけど、どうせならおいしいものをと何軒かメニューを見つつ店を探す。

そして、結局入ったのは、「Viand Cafe」なるカフェレストラン。お客さんも多いし、味も期待できるんじゃないかと。
店内は、日本のファミレスといった感じで、家族連れで気軽に昼食を食べてる人が多い。メニューを見つつ、本日のランチ中パスタかシチューでしばし葛藤。悩んでるとこ、片付けしてる恰幅のいいおばちゃんのシチューがおいしいよってすすめに乗っかり、ビーフシチューセットランチ(13$)を注文。歩き疲れたのどの渇きにと、コーラも併せてオーダーする。

まずは出てきたのは、ビーンズスープ。・・・、なぜシチューがメインのランチにスープが?、とまずは戸惑うが、出てきたものは食べるべしとクラッカーと共にいただく。そして、いよいよメインのビーフシチュー。そして、スープが別に出た意味を知る。ビーフシチューとは、シチューという汁物に数点浮いてる牛肉を意味する物ではなく、牛肉を取りまくシチューという名のソースだということを知る。ナイフとフォークで肉のブロックを切り分け、むさぼりつく。トマトソース仕立てのシンプルな味に、まあ悪くないと思ってのは最初のうち、減らない肉ブロックとの格闘で、飽きてきたのは半分にも満たない頃。もう後半は、まさに自分との戦いだったよ。隣の席で、でっかいハンバーガー食べてる5歳程度の子供を見つつ、毎日この量食べてたんじゃ皆でかくなるはずだよと、妙に納得したもので。

ちょっと残したとこで、もういいよと下げてもらう。歩き疲れてたのもあり、ちょっとここで休憩って気分でガイドブックで次の予定を考え始めるも、お店は次々客が入ってきて、混雑模様。そう、ここは客回転の早いアメリカ版ファミレスなのだ。のんびりする雰囲気なし。追い出されるように店を出たわけで。

     






買物へ


実質ニューヨーク最終日。お土産も買わなきゃいけないなと、街へ向けて歩き始める。
目指したのは、ガイドブックで見つけた雑貨屋「マッケンジー・チャイルズ」。その謳い文句、「話題のインテリアショップ。世界各国のアイデアを取り入れ、伝統とモダンをうまくミックスさせたデザインが評判。」と、なにやらおもしろい品に出会えそうな予感たっぷり。日本で見かけない物でも見つかればお土産に最適と期待していく。

だいたい目星をつけて歩いていくけど、思ったとこにあるのは、違う店。それも、よりによって純和風作りの日本茶屋。何度も確かめ、お店が変わったことを知る。この時ばかりは、かなりのへこみで。なにせ、この店に寄るため地下鉄を使わず、疲れた体を引きずって、数百m歩いてきたんだから。それに、ここで全てお土産は済まそうと思ってたから、次を探さなきゃという心理面からも、結構な負担。ふつふつ沸いてくる怒りをぶつけるとこもないし、とりあえず陳腐化した情報を載せてるガイドブックを恨むのみと。

仕方ないから、近くの地下鉄駅を目指して移動。ソーホーに行けば何かあるだろと、地下鉄1日券を活用し、さらに南下する。
ソーホー最寄り駅を、週末にしかとまらない急行電車の都合に気付かず何度か通り過ぎるも、無事到着。昨日に続き散策を開始する。

15時過ぎのソーホーを歩いて気付いたこと。とにかく、日差しが非常にきつい。太陽の輝くようなまぶしさ、白銀の世界の照り返しに似た状況に直面する。なにせ、まぶしくて全く前が見えないから、地面を注視し向かってくる足を見極め、とにかく対向の人にぶつからないことを意識するのみ。そこに、アメリカ人が好んでサングラスをする事情を理解する。目が悪いから眼鏡をかけるように、周りの状況さえ認識できない必要性からサングラスをかけているのだと。そこにファッション性という付加を加えてるのであって、そもそも本質が日本と違う事情を感じる。目の青・黒ってレベルじゃないね。日本の太陽の柔らかさを懐かしみ、そんな状況を身を浸す。

雑貨屋を何軒か見て歩くけど、分かったのはとにかく値が張るということ。20$前後で見つかる商品はそうあらず。おもしろいなって目がいく物は、50$は下らない。妹&友達にあげるくらいだから、自分の想定とちょっと異なり、方針転換。別に買わなくてもいいやと、街中散策に切り替える。

昼前後をうろうろした昨日と打って変わり、人人人の大混雑の街に、ようやく人気の街を歩いているという実感を噛み締め、気持ちもワクワク。お店は全部開いてるし、街行く人を見る楽しみもあるし、なにより人込み大好き人間だから、まさに求めてたこと。上手に人をよけながら、周りをキョロキョロ、いろんな人を眺めて楽しむ。

そして、そんな過程で出会ったのが、路上の絵売り。ビルの壁に数枚の絵をかけて、絵描きさんが道行く人に声をかけながら作品を紹介してるというもの。ちょっと目に付くいい色使いの絵を見かけたから、作品を見つつ、ちょっと声かけ。ソーホーは、アート発信の地でもあり、いいのがあればと思ってたけど、とにかく画廊の飾られた絵はかなり高価で手が出ず諦めてたとこ。真贋見極められない身としては、気に入った作品を手に入れようとも、投機的な高額商品に手を出さずが身上だから。そんな状況で出会った、手軽に気に入った絵を買えそうな状況に、自然心も弾んできて。

値段を聞いたら、150$。うーん、なかなか悩ましい値段だと、また寄るよと声をかけて、街をうろうろしながら自分との葛藤タイム。ここで悩むこと30分、もう一度絵を見に行き、うん、買おうと決意する。また来たよと声をかけ、いい絵だから悩んでるとこ、数点ある作品の値段をもう一度確認。16時を回り、日が傾いてきたのも原因かな、100$でいいよとあっさり妥協を得る。そりゃ、即決。紙製額縁等いろいろお金がかかってるからそれくらいは仕方ないと申し訳なさそうに説明してたけど、こっちとしては、出せる範囲で気に入った絵が手に入った訳で、言うことなし。それが画家の卵さんの生活の潤しになるなら、こっちも嬉しいしね。めがねに続く、ニューヨークを思い出させる形を手に入れ、大満足のソーホー散策を終える。








喫茶店でひと休み


ソーホー散策を終え、近くで見つけたサブウエイでひと休み。うつ伏せで、軽いうたた寝、本気できつかったから。
そして、目覚めのコーラ飲みつつ、思ったことをメモ帳に刻む。この旅で何十組も見かけた家族連れの関係を思い、ちょっとした時間で綴ったそんな内容を。

「家族愛」

愛し合っている家族とは、すばらしいものだ。子供が親を信頼し、親は子供の全てを受け入れる。そこにあるのは、父親の威厳を伴うしっかりした信頼関係と、頼る家族への無条件の愛情。あちこちで目にする親子のほほ笑ましい光景に自然と心が温まる。そして、そこから日本には無い強い絆が見えてくる。

親を困らすわがままな子供はいないのか、探してみるがこれがいない。その親子の絆がどこから来るのか考える。宗教、言葉を含めた社会環境にその答えがあるのだろうと推察する。

親の言うことを聞いて当たり前、家族と過ごして当たり前。大統領が家族でテレビに出ることは、意図的な演出以上に、アメリカでは当然の家族像だったんだと気付かされる。普段の生活から自然と成り立つ関係に、意識した家族というチームのあり方を考えさせられる。

だからといって、これから自分が親に対して素直になれるべくもなく、なるつもりもない。ただ理想像とは何なのか、そのためにはどういうものが求められるのか、その答えの一端を見つけることができたと思う。






ニューヨーク・ラスト・ナイト


肉体的にもう限界。いつものように、宿に帰ってひと眠りする。すっかりこの旅で習慣化した夕方からの一睡が、夜の活動を可能にする。そして今日も、17時から19時までの2時間熟睡、予定通りの時間に目を覚ます。

ニューヨーク最後の夜を過ごす場所は、ぜひにと決めてた生ジャズ演奏を聴きに行くというもの。お店の予約は、一切なし。この年末休暇シーズンに無謀なことと思いはするが、まあ出たとこ勝負と。とはいえ、全く知らないとこへ向かうというのは、勇気のいるもの。このまま宿で休んでおけば、気苦労もないし、なんと楽なことかと寝起きの誘惑にかられるが、ここで妥協しちゃ後悔しか残らんと自分に言い聞かせ、行動へ移る。

狙うは、ジャズの老舗「ビレッジ・ヴァンガード」。どうせ行くなら、名のあるとこで最高の演奏をってのが、行動の基準。名門ブルーノートも視野に入れてたけど、演奏時間・場所の関係で諦める。ビレッジは、ジャズに詳しくない自分でさえその存在を知るとこだし、20時30分演奏開始という時間の関係からも、ここに決める。詳しい場所を確認し、移動開始。

場所は、宿近くの駅から地下鉄で2駅。辺りは既に暗闇、街灯の少ない街をここで実感。8番街と大きな通りだけど、車の通りがないと、辺り全体が沈んでいる感じ。歩いている人はいるけど、なかなか気持ちのいい道じゃないなと思いつつ、店へと向かう。まずはいったん逆方向に向かうのはいつもの愛嬌というもの。どうもおかしいと途中で気付き、無事目的地へ到着。時間は、20時10分。開始時間に間に合ったと、喜び勇んで、お客が増えつつあるお店の階段を下りる。そして、予想通りの展開に出くわす。

h  :「一人で、予約してないけど入れる?」
お店:「それなら、21時45分にまた来てくれ。」

って、それ生演奏は聴けないけど、終わった頃ただお酒飲みに来いってことじゃん。話にならんが、とにかくこの店はだめなことはよく分かった。さて、そこからが本領発揮。次を目指して移動開始。

     
ビレッジ・ヴァンガード前の道。明るさ全然足りません。平気な顔をしつつも、いい感じの緊迫感は欠かせない。
門前払いのビレッジ・ヴァンガード。おしゃれな人が次々入っていって、いい感じだったけど、やっぱり甘かったかな。



行く前のやる気のなさから、そこまでお店を検討してたわけじゃない。ジャズ演奏のお店が集まるのは、もっと南のグリニッチ・ビレッジ地区。そこは、クラブやパブが集まる歓楽街だけど、なにせ宿から遠い。いざとなればタクシーをと思ってたけど、プレイスポットだけに演奏時間も22時以降と夜遅いのも特徴で、ちょっと目指すものと違うなと選択肢から外す。
そして、唯一代替案として残していたのが、タイムズスクエアの近くにある「バードランド」というお店。場所は、昨日見たミュージカル劇場の近くだから、迷うことはないと自信あり。演奏開始は、21時。人の多い場所、周辺に他にジャズを聴ける店がないことから、またいっぱいだろうなとの思いがよぎるか、行ってから考えればいいやと、猛ダッシュで行動開始。

移動時間30分弱。地下鉄で電車を待つ時間も惜しい。気持ちばかりが焦って、足を動かす。タイムズスクエアの駅からは軽いダッシュ。そして、お店に入ったのが、20時52分。息を切らしながら、「一人だけど、まだ入れる?」とあまり期待せずに声をかける。そして、返答。「もちろん、大丈夫よ。」、きれいな白人のおねえさんが天使に見えたよ、自分の幸運に感謝する。

ちなみに、「バード・ランド」とは・・
ジャズクラブの老舗で、毎晩行われるライブには大物から新人までレベルの高いプレイヤーが登場する。ステージとの距離が近く、プレイヤーとの一体感を味わえるのが特徴。店名はチャーリー・パーカーの愛称「バード」に由来しているとか。

おねえさんに、日本人?と日本語とで聞かれまた驚き。旅の途中は日本語を話す想定をしていないから、いつも驚いてばかりだよと、そんなことを思う。そして、案内。カウンター席より、目の前で演奏が聞けるテーブル席を選択。一番端で唯一空いてたその席は、なんと一人用。まさに自分のために用意された席だなと感慨深く席に着く。

こういうおしゃれな店でカクテル飲みたかったんだよ、とまずはマティーニ・ピンク(12$)を注文。食欲はさしてなく、ホームメイドサルサ(7$)という、いわゆるサルサソースを付けるコーンチップを追加。演奏開始は、予定5分遅れ、かっこいいおじさん達の指捌きから音がかなで始められる。ピアノ・サックス・ベース・トランペット・ドラム等々、徐々に高まるテンションと、一体化していく異なる楽器の音色、体が自然とリズムに乗っていく。「ジャズに名曲なし、名演奏あるのみ。」、そんな言葉を思い出す。生で体感したその演奏は、言葉での表現が見当たらない。ゲストと紹介されたベースの方は、演奏に独特のリズムを加え、最後まで演奏を楽しませてくれた。独特の感性を見事楽器で表現した演奏、演じるものの気持ちの良さを聴いてるものも一体になって楽しめたことこそ、その証じゃないだろうか。

演奏時間1時間30分。本当にあっという間だった。小さな会場が音を響かせ、一層の臨場感を味わえたんじゃないのか。ニューヨークならではの体験。最後の最後に、とってもいいプレゼントをニューヨークからもらった気がして、本当に心が洗われ、心に残った体験だった。そして、この思いをいつまでも心に留めるように、CD(20$)とペン(8$)を購入。感謝を込めてチップをはずみ8$付けてお店を後にする。

          
左:入口横の看板。
中・右:サックス奏者の後ろに椅子に腰をかけたベース奏者がいて、計7人。ステージの前のテーブルどおり、まさに目の前での演奏で、迫力をダイレクトに全身で感じることができる。



     
左:店内の様子。ステージを囲うような、テーブルの配置。ろうそくの明かりが漂い、なんともいえないいい雰囲気を醸し出す。
右:マティーニ・ピンクのショートは、自分にゃレベルが高すぎ、きつすぎました。かっこよく飲んで、次は何をって思いは、グラスに口をつけた瞬間諦める。精一杯頑張ってちょびちょびと飲み進んだのが、写真の通りほぼ3cm。わしゃ、マティーニ3cmの男だよと、一人自分をちゃかしつつ、酔っ払ってた訳で。生演奏とろうそくの炎に強いお酒が加われば、まさに完璧なほろ酔い要因。気持ちよーく、そのひと時を楽しんでました。






就寝


22時50分、店を後にし、地下鉄に乗る。すっかり街のシステムに慣れ、夜だろうが自由にすいすい。宿の場所がよかったとつくづく思う。どの中心となるエリアからも近いし、最寄り駅も大きい。タクシーという無駄な出費は一度もなし。一度くらいとはいまさら思うが、その場では目の前の出費を抑えることが最優先。移動と宿には金をかけないって主義のとおりに。

先日の危ない件があるから、暗い通りは足早に、23時過ぎに帰宅する。
明日は、いよいよ日本への帰国。JFK空港までは、バスを選択するつもり。最寄出発地ペンシルバニア駅と出発時間は事前にしっかり確認したけど、具体的な集合場所は不明。そもそも、アメリカ時間は信用してない。なるべく早目に出発地周辺への到着を目指そうと、
腕時計目覚ましをセットし、床に就く。
その夜の興奮を思い出しつつ、自然と眠りへといざなわれて。