05年12月24日−30日  in ニューヨーク
プロローグ 1−2日 3−4日 5日 6−7日
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世界の中心を踏みしめて 
6日目(12月29日)

移動開始


宿で確認したバスの出発時刻は、7時40分。海外時刻はまったくあてにしておらず。20分前には出発地に着いておきたいと、逆算して起きる時間を設定、昨晩は床に入る。

そして、予定通り、6時50分に起床。シャワーを浴び容姿を整え、スーツケースに荷物を詰め込み、出発準備をする。
チェックアウトは、7時15分。鍵のデポジット代10$が返還されて、なんか得した気分。隣の朝食スペースで、パンを一切れとジュースを飲んで、出だしの体力を養う。

バス出発地は、ペンシルバニア駅横の大通り。正確な場所が分からないから、その辺をうろうろして見つけるべしと、まずは周辺に向かう。シャトルバスの運行は、1時間に1本。この始発に乗り遅れると間違いなく時間に間に合わない。一応、最悪を考えタクシーで行けるだけのお金を持つも、無駄な出費は避けたいとこ。そんなに簡単にバス停がわかるとは思えんがと、少々不安を感じつつの移動となる。

朝のニューヨークは、思った以上の人の動きでちょっと驚く。今まで動いていた10時頃に人の混雑を感じることは少なかったけど、むしろこの時間は通勤時間と当たるらしく、特に駅周辺でもありなかなかの賑わい。
ここで、ニューヨーク初めて体験を一つ。手配りのチラシをもらうというもの。日本で人の集まるとこに必ず見かける、ティッシュ配り、チラシ配り、アンケートなんてのを一切見かけないのが、アメリカという地。かっこいいお兄さんによる、ナンパor勧誘もどきの声かけも見ることがない。そんな事情は、その地を歩けばすぐに分かる。各々が適度な緊張感を持ち、他人のテリトリーに踏み込む雰囲気は一切なし。それこそ、意味なく声かけなんてやってたら、一発殴られたって文句言えない。例え悪気がなくても、それは、ルール違反だという共通した認識を感じる。困ってての声かけ等ヘルプだという事情が分かったなら、とびっきりの親切心を見せてくれるのもニューヨークっ子の人柄。そんな中で初めて見かけたチラシ配りだったから、思わず手を出して。
新聞調の広告紙は、日本でいうフリーペーパーみたいな感覚で、地元の情報が乗ってるもの。やっぱり受け取る人は少ないもので、確かにこれじゃ効果は薄いだろうなと思ったもので。

そんな朝のニューヨークを楽しみつつ、出発地と思える付近に到着し、すぐにバスを見つける。airlinkとしっかりバスに書いててくれたから、助かったとこ。これJFK国際空港に行くよねと運転手に確認し、7時25分、荷物を詰め込み乗車。出発までの時間を座席に座り、本を読みつつ過ごす。
そして、バスが動き出したのが、7時35分。・・・、ほら、これだから怖いんだよ。いつもみたく、40分目指して動いていたら後の祭りだったなと予想通りの展開に一人満足。ちなみに、このバスは空港直行じゃなく、空港行きのバス停までのつなぎだと着いた先で知る。乗り換え場所は、グランド・セントラル駅。一旦下りて、そこで空港行きバスのチケットを購入、しばらくしてやってきた大型バスに乗り込み、発。雨に濡れるニューヨーク・マンハッタン最後の景色を目に焼き付けつつ、思い出と共に道を進む。

     
朝の雰囲気もなかなかよくてね。予定通りに乗り込んだ、airlinkのバス。






空港から飛び立ち


8時55分、約1時間かけ空港に到着。アメリカン航空の出発ターミナルはとガイドブックで確認し、目的ターミナル前で下りる。結局自分の便の乗場が隣ターミナルだということが分かり、移動することになったけど、これも余裕をしっかり持った時間のため、まったく問題なし。出発時刻は11時25分。9時30分、まずはチェックインし、荷物を預けて一安心。日本着後は、そのまま乗り換え福岡までANAで帰る予定。もちろん、預ける荷物も福岡まで運んでねとしっかり伝える。

出国ゲージでブザーが鳴ったのには、少々参った。靴を脱いで、財布を出して、ベルトを外して。これを一つ外しちゃ、試して鳴っての繰り返しだから、ちょっとした騒動。結局ベルトに付けてた小財布に小銭を詰め込んでたのが原因と分かり無事通過も、靴なり、ベルトなり、財布なりを同じくゲージで悪戦苦闘してた他人の荷物と一緒に置いてたりするから、本当に迷惑。危うく飛行機チケット間違えて持ってかれそうになり、それ自分のですよと無駄な労力を使わされる。適当さもいいけど、そっちの都合で協力してんだから、預けた荷物はしっかり管理してよと。

空港内では、大きな目的が一つ。買いそびれてた、お土産の購入。余ったお金でそれなりのものがあればと、お土産売場を見て回る。まあ、お土産といっても特にあげる人もおらず、親にゴディバチョコレート(24$)と妹にNY名所を描いたマグネット(5$)。そんな感じで、目的達成。

残る時間は、出発ロビー前での読書。読んでない本を手持ちバッグに移しかえたから、これからの移動でしっかり読めるなと。
読書の合間に、ニューヨークで思ったことなど書いてみる。


・・・・・
「コミュニケーション」

様々な人種が共存し、お互いを一人の人格として尊重し、多くの人々を受け入れる街、ニューヨーク。お互い知らないもの同士、ましてや共通の価値観の認識も不明な中、非常にスムーズに回る理由を、コミュニケーションとみる。
ちょっとしたあいさつ。これが相手への安心、信頼を与えることになる。
混雑する街中で、混んだ駅で、無理して通る時は必ず「excuse me」、少しでもぶつかるものなら「sorry」、相手がよけてくれたり、先に譲ってくれたならもちろん「thank you」。一日何十回と耳にする言葉。レディーファースト、当然でしょと譲った後に言われる「thank you」は、そのお礼を期待していないだけに、嬉しく、そして心が和む言葉。ソーホー早朝、忙しそうに歩くおねえさんに、写真を撮ってとの勝手なお願いも、ありがとうってお礼を言ったら、笑顔と共に「you are welcom」の返事をもらった時の嬉しさは忘れられない。その懐の深さに感動し、背が高くモデルばりにスレンダーな黒人のおねえさんにすっかり惚れたひと時だった。自然に行われるそんな相手を思う返しが、さらにあいさつをかけやすくさせ、日常のコミュニケーションとして成り立っている。

日本でならどうか。レストランで水を持ってきてもらって、食事を運んで、会計をして、ありがとうと言うことがあるだろうか。電車を下りるのにすみませんと声をかけるのがめんどくさく、隙間を見つけて強引に出てはいないだろうか。少しぶつかっても、お互い気にしないそぶりを見せ、関わらないよう過ごしていないだろうか。

まず、この言葉を使うことに対する根底の考え方が違うことは確か。お互いを思いやるからこそ成り立つ社会を、皆が認識し、実践していること。そこから会話が始まることもある。オープンでさっぱりした気質、自分がそう感じたら素直に表す。周りを意識した恥ずかしさや、プライドとは無縁の世界。そうすることが、当たり前だから。

英語というストレートに気持ちを表現しやすい言葉にも、その理由を感じる。
相手を思いやる気持ちを素直に表す。
これは意識しておこなっていきたいこと。


・・・・・


そんな感じで、11時25分、飛行機に乗り込み無事出発。
行きは窓側の席で外の景色も楽しめたけど、今回は中央のシート。
行きは、20時前の出発で食後すぐに眠りについたけど、さすがに12時過ぎの昼間から眠れる訳もなく、食事後は席での読書、映画鑑賞と結構のんびり時間を過ごす。席一つずつ付いたテレビと、幅の広い席がアメリカン航空を選んだ理由。椅子の頭当てが自由に変形できるという機能を活用し、行き以上にゆったりとくつろげ、長距離移動にも慣れたもんで。








7日目(12月30日)

日本到着


6日目半日が過ぎたところで、7日目に突入する。これも、日付変更線をまたぐ時差の関係。それなら、そもそも日付で内容を分けなくてもという気がしないことはない。まあ、時系列で作りたいという作成上の都合が全てだったりするけど、そんな訳で、唐突の7日目入りへ。

飛行機での移動中は、食事2回、読んだ本3冊、見た映画2本、睡眠3時間と時間を過ごし、14時間後、ニューヨーク時間にして真夜中1時45分、日本時間15時45分に成田に着く。一日経って、また一日が半分残ってたみたいな不思議な感じ。十数時間の移動を終え、ここでのんびりできないのが、辛いとこ。次の移動は、成田発2時間後の福岡行き。これが思った以上に、忙しいことに。

JFK国際空港で荷物を預ける際に、成田経由の福岡行きで送ってねとは伝えといたこと。安心して国内線に移動しようと思うと、立て看板から預けた荷物を経由で送れないということを知る。荷物の確認の意味もあるのか、一度スーツケースを受け取り、税関を通過。ここで止められなかったのは久しぶり。やっぱりスーツケースの強みか、バックパック背負ってアジア帰りですって服装だったこれまでとは違う、上品な恰好だったからね。

スーツケースを受け取るのに結構時間がかかった上、国内線への乗り換えでさらに多くの時間をかける。なにせ、年末。とにかく大混雑で、国内線が充実していない成田空港らしく、その受付もどうにも効率が悪い。並ぶこと40分、ようやくチェックインした時には搭乗時間も迫った状態。

成田での国内線はやはり地位が低いのか、福岡行きの便は飛行機までバスでの移動だという。バス出発時間まで20分あるのを確認し、乗場近くで見かけた立ち食いうどん屋でかけうどんを食べる。だしの濃いうどんもこの際問題なし、久々の和食の嬉しいこと。やっぱり日本の食事が一番だなと実感したもんでね。






福岡 → 山口へ


成田発17時55分の全日空便は、なにやら飛び立つタイミングを逸したらしく、20分ほど立ち往生。すっかり疲れ果てたとこでいらいらもあり、いったい何やってんだかとひとりつぶやく。機内、ようやくありつけた日本の新聞を読みつつ、情勢を知る。このうらしま感は、旅の醍醐味。知らない内に、世の中が動いている不思議さ、一人知らない状況ってのは普段じゃ考えられないから。

ちなみに、これまでの旅のうらしま感。
20歳の頃の45日東南アジアでの旅では、長野オリンピックで日本勢大活躍を全く知らず。原田の感動エピソードは、後々テレビの名場面集で。そして、この頃デビュー&ブレークした宇多田ひかるも。その階段ののぼり方は見ておきたかったんだけどと、今でも思うとこ。
そして、昨年インド洋大津波もそんな感じが味わえた出来事。まず、現地で購入英字新聞でその被害の大きさを初めて知ったから。大変な目にあったとは思ってたけど、こんな全世界を巻き込んだ大事件だとは露知らず。日本に帰ってからの新聞も客観的に見れておもしろかったこと。そりゃ、匿名ながらも自分らしき存在が不明者としてあがってんだもん。あれこそ、知らない内にって感じを味わえた経験で。

飛行機は、予想通り出発時間の遅れにあわせて予定20分後に到着。スーツケースを受け取り、空港を出たのが20時50分。新山口行き新幹線最終に間に合うんかいなと心配しつつ、地下鉄に乗り急いで博多駅へ。駅で確認した最終の新幹線出発時刻は、21時46分。30分以上の余裕があることを確認し、駅で夕食をとることに。
駅ビル内の喫茶店で、とにかく急いでと依頼した上食べたのは、明太子スパゲッティ。日本発時も成田で食べたこのメニュー。どうも時たま無性に食べたくなる不思議なパスタだと思ったとこで。

いつもなら、ここでのんびり読書でもといきたいけど、時間がないし、さっさと立ち去り。早目に着いてた新幹線に乗り込み、後は山口へ帰るだけと。
各駅停車のこだまが新山口に着いたのが、22時36分。そして、駅まで迎えに来てくれた父親の車に乗せられ、防府の実家へ。お土産を渡し、旅話もしないうちに、実家においてた自分の車で山口市の自宅アパートへ戻る。
帰宅、23時50分。ニューヨークで宿を出たのが、29日7時15分、日本時間29日21時15分。移動時間しめて26時間35分、まさに丸1日かけての大移動だったなと振り返る。

そして、世界の中心を見るという、おおいなる意気込みを持ち臨んだニューヨーク6日7日の旅を終えたのだった。









旅を振り返り


アメリカ・ニューヨークの地で得たものは、想像以上のものだった。
それが何かというなら、今まで経験することのなかった環境に身を置き、新たな価値観を自分の中に作れたこと、ただそれだけのことに尽きるだろう。

もともと物事への憧れという意識は薄い。どこか客観的な物事への見方は、過剰な期待や無駄なコンプレックスを抱かせない自分の長所。ただ、同時にそれは、自分の想像を制限する短所ともなる。
日本の首都東京にも、世界の中心アメリカにも、持っているのは憧れではなく、経済・文化等あらゆる面における日本のそして世界のトップに位置する都市という事実に対する興味。山口にも、東京にも、タイにも、アメリカにも同一レベルでのその土地ごとの良さがある。つまり、その中にあるそれぞれの違いが魅力といったとこ。
そして、この違いこそ、歴史と文化により培われてきたその土地の財産であり、魅力。その地に足を踏み入れることで初めて感じることができるもの。
自分の勝手な想像超えるため、そこで得られるもので新たな価値観を見つける、知らない国の、知らない街に出かけていく。

アメリカという地を選んだのは、旅を通じて感じるアメリカ人という人種に対する興味がまず最初。世間にいう個人主義、アングロサクソンという競争で生き抜くのを好む人々という印象より、昨年の津波で共に過ごした時の、強い公平感を持ち、無償の助け合いができるという人間としてのレベルの高さにすごさを感じた。そんな人々が集うとどんな国になるんだろう、まずそれを肌で感じかった。
そして、ニューヨークという地を選んだ理由。アメリカはなんと言おうと、世界の経済の中心地であり最新の文化の発信地。見るならもちろん、その中での中心地。今現在21世紀初頭の人類世界でのトップに位置する場所に身を置き、そこで感じるままに物事を見、自分の価値観を形成する。物事の判断基準を身に付けるには、何事もその最高峰にふれること。この地はまさに、自分の求めるものがある、20代の今こそ全身で感じたい、その大金をかけるに値する場所だと。

そこで身に付けたもの、まさに自分の中での判断基準。
物質的なものはもちろん、エンターテイメントの一つのゴールをNBAバスケットボールの会場で、ブロードウエイのミュージカルにおいて伝統的な娯楽のあり方を、美術館で芸術の幅を、ジャズクラブで本物の演奏を、数々の街で伝統的な建物を活かした街づくりの方法を、数えあげたら切りがない。

そして、精神面ではそれ以上。世界基準での自分ならどう考えて、どう判断し、どう行動するか。新たな視点、判断基準を持つことができた。普通にその地で過ごした日常が、自分にあり方を形成させる。
レディーファーストならぬヒューマンファースト、まず他の人を優先する対応もその一端。ちょっとした警戒心があるからこそ、それがほぐれ気持ちが通じた時のお互いの信頼はまた深い。お互いがお互いを一つの人格として尊重するからこそ生まれる関係。確実に独立した個々の存在が集まりながらぎすぎすした関係にならず、どこかその街に居心地の良さを感じるのは、そこに潤滑油があるから。その漠然としたものを見つけ、そこに身を置くことで意識的に使えるようになったことは、なにより大きい。潤滑油、それは助け合いの精神。特別なことじゃない、日常でのふとしたことでの心の持ちよう。時には他人のそんな行為を素直に感謝し、時にはそれを他人へ与え感謝される。社会のシステムとして普通に組み込まれたこのすごさを思う。なにげない対応、当然のこととした無償の愛、そんな場面に出くわす度に心にしみる温かさを感じた。人種・価値観、お互いの違いをそれぞれ認識しているからこそのシステムだろう。潜在的な共通理解に頼らない、多様化した社会の方向性をそこにみる。
そこで感じたこと全てを言葉で表すのは難しい。多分これからどこかで判断を迷う時がきたなら、ここでの感覚が一つの選択肢として、大きく作用してくることだろう。

ニューヨークで過ごしたことが自分自身にプラスに作用する一方、ニューヨークに行ったことがあるという事実は、対外的な優位面をもたらす。
例えそれがニューヨークの経験に基づかないものであっても、そこで得た経験を選択肢に入れた上での結論には違いない。少なくとも、これを強みに、自分の発言に自信がみなぎることだろうし、その発言は自然一定の重みを帯びることになるだろう。

その価値があると踏んで出かけたその地で、思う以上の収穫を得て戻ってきた。喧騒の街中、勢いある成長を感じさせる熱気、無条件の親切心からくる人の温もりを感じさせてくれる、東南アジア・タイとは違う、成熟した社会のあり方を教えられる。世界は広いんだ。それぞれの価値観を持った人々が、その社会の方向に合わせたシステムの中で生きている。
次の国では、どんなシステムの中で、どんな人達が暮らしているんだろう、そして、それは日本に、故郷山口に応用できるのだろうか。

自分じゃ見えない答えがある、そんな答えがなにげに転がっている場所がある。
何かがある、自分の中から湧き出てくるそんな興味が尽きない限り、今ある日常を飛び出して、またどこか違う世界へと旅に出る。
自分の価値観を広げるため、まだ見えぬ答えの一端をつかむため、その価値を見出す場所を見つけたなら、また気まぐれに出かけることとしようかな。