1日目【12月22日(月)】


旅行期間は、12月22日から30日までの9日間。23日の祝日と27日以降の年末休暇に、3日間ほど休みを追加。それでは、平日の22日は、というところからが、この旅の始まりとなる。

12月22日の行程は、23時5分関西国際空港発ドバイ行きのエミレーツ航空(EK317)便に乗ること。ドバイ行きエミレーツ便は、昨年のトルコ行きでも利用したから、関西空港への行き方を含め、十分把握済み。遅くとも2時間前の21時到着には、広島の自宅を18時に出る必要がある。仕事の状況からも少々休みづらく、22日は最悪定時まで働くことを考えるも、毎度時間との戦いを強いられ出発が危ぶまれてきたこれまでの旅を思い、ゆとりを持って行動できるように、方針転換。出勤後、昼から休むことを高らかに宣言し、安心して仕事へと打ち込む。

昼過ぎで仕事を切り上げ帰宅。最終準備を整え、16時過ぎに自宅を出発。タクシーとJRを使い広島駅へ、そこでのぞみに乗り換え、新大阪駅へ向かう。新大阪まで1時間30分という近さに驚きつつ、新大阪到着後は急行電車に乗り換え、1時間程で関西空港駅に到着する。

余裕を持って、出発3時間前の20時に到着。さすがに、大阪の街でお好み焼きを食べる時間はなかったから、空港内の中華料理屋で夕食を取り、2時間前にチェックインを済ます。事前の席指定はできなかったけど、早めにチャックインしたおかげで、連番を確保し、一安心。その後、唯一開く両替所でエジプトポンドの両替ができないことを確認し、コートを荷物一時預所に預け、出国手続きに入る。

23時5分に予定通り関空を発。機内食を食べ、睡眠をとり、11時間30分経過後の現地5時35分に経由地ドバイに到着する。そういえば、機内では一つサプライズが。一応ハネムーン旅行で企画していたためか、エミレーツ航空から、ホールケーキのプレゼント。スタッフにお祝いされつつ、ポラロイドでの写真撮影まであり、その温かいサービスが嬉しくて、すっかりファンに。ちなみにケーキも、クリーミーなチョコタイプの普通レベルを超えたおいしさに、大いに満足して。

      
左:再び、関西国際空港を利用。イスラム圏へのハブとして使い勝手のいいエミレーツが、関空主体なのは、毎度助かること。
中:最初の機内食。メニューをくれるのはエミレーツのいいところ。今回は、ビーフソテーメインの洋食で。
右:サプライズのケーキ。まさかのホールタイプは、もちろん食べきれずに持ち帰り。エジプト2日目の朝食となる。




                                                                                            


2日目【12月23日(火)】


UAE・ドバイ到着後は、4時間の待機時間。トランジットゲート通過に時間がかかったことや、1時間前に出発ゲートに移動するなどなにかと忙しかったことから、あっという間にドバイを出ることに。ドバイを9時出発、そこから4時間超、現地時間11時過ぎにエジプト・カイロに到着する。
※エジプトとの時差は、マイナス6時間。現地記載時間に6時間を足すと、日本時間になるので参考に。

      
左:経由地、ドバイ。朝日の出と共に、青空がガラスの向こうに広がっていく。
中:ドバイ−カイロ間でのグリルチキンなどミックスグリルを主体とした朝食。4時間という飛行時間での、忙しい食事となる。
右:自宅から24時間、関空から18時間かけて、エジプト・カイロに到着。目の前に広がる一面の砂模様に、エジプトに来たことを実感させられる。



エジプトの不安要素は、治安面より、噂に聞く金銭交渉面。05年にカイロ中心地でテロがあったとはいえ、海外でのテロは不運と割り切るしかない。一方、金銭交渉。とにかく、とんでもなくふっかけてくるらしい。まあ、それは海外ではよくあることだが、しつこく、喧嘩にまで発展するならちょっと異常。バクシーシという喜捨制度も、誰にでもお金をせびれるという勝手な解釈により、悪評の原因になっている模様。先のある交渉ならいいが、めんどくさい対応で無駄な時間と金をかけるつもりはなく。

空港からホテルまでのタクシー移動から気分を害す可能性が高いとのアドバイスと、初日の観光をスムーズに進めたいことから、企画会社に、空港からホテルまでの送迎を事前に依頼。無駄なチップを避けるべく運転手だけでいいとの希望も、到着ロビーまで出迎えるアシスタントが必要ということで2名体制で妥協する。

エジプトは、ビザが必要な国だが、その取得は空港到着ロビーの両替所で可能だから、さして不便さはない。代理手数料が10ドルかかることから、自分で取ることとし、両替ついでに15ドルで取得。パスポートにシール方式のビザを貼り付け、入国する。

カイロ空港から中心地までは、車で1時間程。車線に構わず指示器も出さずに車が入り乱れる様子は、秩序を全く感じさせない無法地帯。時速80km近くで接触事故を起こさないのは、ある意味立派な秩序と言えるのかもしれないが。

カイロには1泊を予定し、宿泊ホテルはナイルヒルトンを予約。企画会社を通すと割高になったため、エジプトはホテルまでの送迎以外は、自分で手配。そして、ナイルヒルトンは、昨年のトルコ旅行で利用した「ホテル トラベル ドットコム」から予約。当初手頃な値段のシェファードホテルをとるつもりだったけど、考古学博物館に隣接する観光立地のよさから選択したもの。

ナイルヒルトンに12時30分に到着し、15時からというチェックインを早めてもらい荷物を運び入れた後、部屋で一休憩。飛行機移動の疲れが少しとれた頃に、観光へと出発する。





カイロ市内観光(ホテル界隈)


まず向かったのは、昼食。目指すは、ホテルから歩いて300m程離れたエジプト料理レストラン「フェルフェラ」。エジプトの代表的な料理を揃える有名店だとかで、やっぱりエジプトに来たからには地元料理を食べようと訪問。ホテル前の20mは幅があろうかという大通りを、車を避けながら渡り、まずはエジプトの洗礼を受ける。信号がなく、車もスピードを緩めない、命がけの道渡りはエジプトの悪評の一つだが、まあ、海外で道渡りを続けていると恐れるほどのものでもない。まれに見るスピードの速さじゃあるが、一車線づつクリアしていくいつもの方法で。

フェルフェラを見つけるまでは、少々苦労。その上、ようやくたどり着いた店に「閉店」と看板が置かれているから、ここで昼食計画が頓挫する。時間も14時に近づき、これ以上遅くなると観光自体が厳しくなるから、大きく妥協。観光1箇所目としているエジプト考古学博物館のカフェで昼食をとることに。ということで、特に変わったものを食べることなく、少々高めのチキンサンドとコーラで昼食を終える。

      
左・中:うろうろ迷っているうちに、タラアト・ハルブ広場に出る。とても雰囲気のいい建物が並び、繁華街であることからも多くの人通りで賑わう。ただ、この日の難点は、砂嵐がまっていたこと。散策を楽しむという環境になくて。
右:結局、チキンサンドというファーストフードで済ます。貴重な旅での食事だけに、悔やまれるところ。



エジプト考古学博物館に入場したのは、15時。エジプト考古学博物館とは、先史時代から古代エジプト王朝の遺産を中心に12万点の収蔵点数を誇る、エジプトを代表する博物館。ツタンカーメンの秘宝とミイラを見所に、5000年前からの人類の歴史の宝庫といえる。

ここの博物館の大きな問題は、各展示物の説明の少なさ。記載のないものも多く、限られたガイドブックの掲載物と照合しながら見る始末で。ガイドをケチったからある程度は覚悟していたものの、当地で売られているという博物館日本語ガイドブックを見つけられなかったのは、少々失敗。6千円近くするが、かなり詳細に書かれているらしく、機会があればぜひに。

それでも、一つ一つの展示物が歴史背景を持つものばかりだから、見応えは十分。1階は、時代の流れによって展示。初期王朝〜中王国時代のものとして、入口のロゼッタストーンに始まり、ギザの3大ピラミッドの一つを建てたメンカウラー王の像、世界最古の木像である神官カー・アペルの像、古代エジプトのエリート職だった書記の像があり、新王国時代のものとしては、アメンヘテプ3世と王妃の像が7mの高さを誇り一つの見物。古代エジプト史上異例の女性ファラオだったハトシェプスト女王に関する展示は、男性の姿で描かれるた像に限られ、当時の背景を想像させる。

見所は、2階に多い。ツタンカーメンの秘宝はその一つ。黄金マスクは、その意匠の美しさと黄金の輝きに魅せられ、いつまでも吸い寄せられる不思議な魅力を放つ。絢爛豪華な副葬品に、約3000年前に遡る政争の末19歳の若さでなくなったとされる少年王にまつわる謎がスパイスとなり、人々を引きつけてやまない状態は今も変わらない。ミイラが収められていた人型棺である黄金の内棺と外棺や、ミイラを作る途中で取り出した内臓を収める容器であるカノポス櫃とカノポス容器は、3千年前のそれが目の前にあるだけで不思議な気分。黄金の玉座には、若きツタンカーメンと王妃アンケセナーメンのレリーフが背もたれに描かれ、二人の仲の良さと当時の芸術レベルの高さを知ることができる。

そして2階の別室にあるのがミイラ室。入場料より高い別料金を払い、特別展示のファラオのミイラ12体を見学する。中央に飾られたミイラであるラムセス2世は、アブ・シンベル神殿を建設した功績で知られる有名人。身長173.3cmの肉体が、腐らず頭髪まで残る様は、不思議の一言。人類における宗教の大きさ、技術を含めた人間の発想の豊かさ、なにより肉体を残すことを一例に見られる人間の執念の深さに感心したところで。

とにかく見るものが多く、非効率な展示方法に時間をロスしながら、2時間ほど滞在。17時に博物館を後にする。16時頃に見学を終え、カイロ発祥の地でコプト教会が残るオールドカイロを地下鉄で訪ね見学するというプランは、この時点で諦める。17時を過ぎると日暮れを迎える他、コプト教会への入場時間も17時まで、なによりたまった疲労に合わせ、この日の天気がひどすぎて。天を舞うは、前を直視できない程の砂塵の嵐。強風にあおられ飛び回る砂に、疲労も倍増し、とても気力が持たずに。この天気が続くならエジプト観光は厳しいとうなだれるも、どうやらこれは一時的な現象のよう。3月頃の強風の季節は、砂漠の砂がよくカイロ市内を覆うらしいが、12月には珍しい現象なんだとか。まあ、砂漠の町の厳しい現状を見れた貴重な経験だったと、よしとするとして。


エジプト考古学博物館。収蔵点数12万点を超える、5千年前からのエジプトの遺産の数々に、圧倒される。



考古学博物館で葉書を数枚購入し、そのまま歩いてホテルに帰る。博物館に隣接したホテルを選んだことが、ここで活きる。17時30分にホテル到着後、22時までしばし部屋で睡眠。日本時間24時近くになると、いくら移動で調整し、現地が夕方だとしても、やはり体は慣れきらないというわけで。

22時30分からホテルのイタリアレストランで夕食を食べ、23時45分に部屋に戻る。翌日は、ピラミッド観光を手配し、7時にロビーに集合予定。ということで、寝る前にある程度出発準備を終え、床につく。

      
左・中:ナイルヒルトンホテルと、部屋からの夜景。オレンジ色の温かい明かりに、外国にいることを実感させられる。
右:夕食に選んだ、ヒルトンホテル内のイタリア料理屋。利便性は高いが、わざわざここを選ぶことはないかな。





                                                                                            


3日目【12月24日(水)】


予定通り5時30分に目覚め。ベッドでしばし時間を過ごし、出発の準備に取りかかる。観光ガイドとのロビーでの待ち合わせ時間は、7時。朝食付きの宿泊プランだからと、準備を急ぐ中、事件が起きたのは、6時20分過ぎ。ボンという小規模な爆発音と共に、部屋の電気が落ちる。何事と振り返ると、焦げたにおいのするドライヤーを片手に呆然とする奥さん。コンセントに直接つながっているドライヤーに、ちょっと待て、先週ビックカメラで買った変圧器はいったい・・・と辛口指摘。デジカメ充電ができていたから何も気にせずとのコメントに、そんなものかと気持ちを切り替え、早々に事態の収拾に動く。まあ、ヒューズでも落ちたんだろうと思うも、部屋内では修復できそうにないから、急ぎフロントに電話。電気が落ちたから部屋に来てくれと連絡し、修理工を寄こすと返答。そこから、10分ほどで無事電気が回復し、事なきを得る。

そんなアクシデントで時間も経ち、結局朝食をとることなく、7時ちょうどにロビーに下りる。既に到着し自分達を探していた観光ガイドに謝りつつ、急いでチェックアウト。荷物をフロントに預け、7時15分に観光へ出発する。

      
左:ホテルからの朝のエジプトの景色。赤色の建物が、考古学博物館。砂嵐の去った、すがすがしい光景が広がる。
中・右:ピラミッドまでの移動は、ナイル川を渡り、人々の暮らす町並みを見ながら。赤レンガ造りの建物が並ぶ。






ギザ・ピラミッド観光


今回エジプト2日目観光を依頼したのは、トラベル雑貨というネットで見つけた代理店。タクシーを利用した観光も考えたけど、企画会社に頼むと一人1万円。英語ガイド付きでプラス7千円といくらなんでも高すぎる。現地タクシー依頼だと二人5千円程度でいけそうだけど、なにより悪評高い価格交渉がめんどくさそうで躊躇。効率よく観光を楽しむためにもと選んだのが、現地ツアーというわけ。

頼んだグランドピラミッドツアーは、クフ王ピラミッドに入場し、太陽の船博物館、スフィンクスを見学、そして、ラクダに乗れるというプラン。5時間という半日ツアーながら、運転手とは別に日本語ガイドが付き、入場料、チップなど全て込みで一人90ドルは、なかなかお手頃。クフ王ピラミッドは、一日300人(午前・午後150人づつ)という入場制限があることから、確実に入場するためプロに任せたかったから、渡りに船と。単なるクフ王入場だけなら76ドルであるが、ラクダに乗りたいという強いリクエストがあり、このツアーを選ぶ。1ドル90円を切る為替も、大きなプラスになることに。

エジプトは、カイロ大学に日本語文学科があることからか、日本語に堪能なエジプト人ガイドを観光地でよく見かけたもの。説明を受けるだけでなく、質問も可能な日本語ガイドは何かと便利で、深い歴史を持つ観光地だからと選んだ日本語ガイドに、何かと感謝することに。


7時40分にピラミッド入場口に到着。まだまだ観光客が少ない中、8時開門までしばし待機をすることに。続々と観光客を乗せた大型バスが到着し、辺りが人で埋まりだした頃に門が開き、いざ入場。目の前にそびえるピラミッドに向け、歩き出す。

まずは、ピラミッドについて簡単に解説。
今回訪ねたのは、ギザの3大ピラミッドで知られるギザ台地にあるピラミッド。エジプトには、大小108あまりのピラミッドが確認されており、時代背景、王の権力の違いにより、様々な形をなしている。
ギザのピラミッドが建てられた時代の首都は、カイロ(≒ギザ)から20km程南へ下った地、メンフィス。古代エジプト最初の首都で、初期王朝から古王国時代に首都として栄えた場所となる。そして、古王国第3王朝のジェセル王がメンフィスの西隣サッカラに建設したのが世界最古のピラミッドである階段ピラミッドとなる。
階段ピラミッドは、それまで墓として使われてきた箱型のマスタバ墳を6段積み上げて階段状にしたもので、これが四角錐のピラミッドの原案になったといわれている。
その後、ダハシュールやメイドゥムにある崩れピラミッド、屈折ピラミッド、赤のピラミッドを経て、ピラミッド建築技術が最も成熟し、国力が充実した時期に建設されたのがギザの3大ピラミッドとなる。

今回訪ねたのは、古王国第4王朝のファラオ、クフ王のピラミッド。ギザの3つのピラミッドの中でも最も大きいピラミッドで、1辺230m、高さ146m、傾斜角51°の規模を誇る。一日300人の入場制限があるものの、小さな頃から憧れてきたクフ王のピラミッドという存在、内部の入り組んだ構造から、どうせならぜひにと選んだもの。
内部写真撮影禁止のため、外観を撮影を終えた後、内部へと入る。入口は、9世紀の盗掘時に開けられた穴を利用、しばらく真っ直ぐ進んだ後、低い天井の斜路を屈んで進み、大きく上が開けた大回廊に出る。大回廊の王の玄室まで続く急斜路は47mの長さ。入口から続く急傾斜に少々参りつつ、前へと進む。そして、大回廊を抜け、天井の低い通路をくぐると王の玄室に出る。すっかり息が荒くなり、汗をかきつつようやく到着。
王の玄室は、高さ50mに位置し、縦10m、横5m、高さ6m程の小さな部屋。玄室には、花崗岩でできた石棺が置いてあり、盗掘時にこれだけは重すぎて運び出せなかったともいわれている。ピラミッドの他の部分が石灰石を使っているのに対し、玄室の壁と棺が花崗岩でできているのも何か理由があるのだろうと、見学する。

なにせ、未だ多くを謎に包まれているのがピラミッド。現在知られる造り方も、まだ有力な説に過ぎない。ピラミッド建設が、ナイル川氾濫期に仕事がない人のための公共事業だったという説は確定的のようだが、その存在が、王の墓かどうかはまだ検証中。太陽神ラーの祭殿とは、吉村教授の説であるらしいが、それならこれほど数は必要ないだろと個人的に思うところ。

謎の解明は専門家に任せるとして、4500年前に人類が様々な思いを込めて造った建造物を直接肌で感じられる喜びは、何にも変えがたい。未だその姿を留めること自体が奇跡に近いにも関わらず、それが人類史上に残る巨大建造物で、そこに人類の誕生以来潜在意識に存在し続けている宗教的要素を表層化したものとなれば、これ以上の遺跡はないのではないかと素直に思うところで。
当時の人達が絶対に触れられなかった場所に到達できるのが、価値観が変わっている後世の人間の運のいいところ。精神を研ぎ澄まし、ただ当時の感覚に溶け込みながら、ピラミッドの内部を堪能する。


クフ王ピラミッド。ギザ地区3大ピラミッドの中でも、最大のものとなる。




ピラミッド内部見学後は、車に乗りクフ王ピラミッド南側に位置する太陽の船博物館に。こちらは9時開館ということで、15分程の待機時間を周辺散策で過ごす。ピラミッドの写真は、四角錘の角から写すのが最もきれいに収まり、かつ太陽のあたり方から、朝方は南東の方角となる太陽の船博物館入口付近がおすすめ。ちなみにピラミッドは、太陽を神と崇めて建設されたことから、4面が正確に東西南北を向いているので参考までに。ついでに、博物館付近からは、隣に立つメンカフラー王のピラミッドも障害物なく見ることができる。博物館立ち寄りの際は、周辺を散策することをおすすめというわけで。

太陽の船博物館とは、クフ王ピラミッドの側で発見された世界最古の大型木造船を展示した博物館。太陽の船とは、亡くなったファラオの魂が天空を往来するときに使うもので、昼の船と夜の船の2種類があり、その二つが発見されている。発見当時は、バラバラに解体された状態で、厚い石蓋で覆われたピットという溝に埋められていたものを、博物館では復元し展示してある。
当時実際に海で使われていた船よりは小型の大きさだというが、なかなか大きく、復元まで14年かかったという理由も分かる。木像でありながら、腐ることなく現存したのは、砂漠地帯の環境が成せた技だろうが、やはり目の前に当時の船があることは不思議なもので。


左:クフ王ピラミッドに隣接する太陽の船博物館。館内には、太陽の船が発見された場所がそのまま保存されている。そして、2階には、復元された木造の太陽の船が、展示されている。




太陽の船博物館見学後、再び車に乗り移動。なにせ、ピラミッドエリアはとてつもなく広く、歩いて移動など単なる時間の浪費でしかない。そして続いて向かったのは、パノラマポイントと呼ばれるエリア。車で5分程かかるこの地は、ピラミッド3基を一度に見られるという眺望ポイントとして、知られる。砂漠地帯にきれいにならぶピラミッドは、なかなかの見物。
そして、もう一つの目的が、ここでラクダに乗ること。ラクダ乗りは、このツアーのハイライトでもあり、砂漠における貴重な交通手段として歴史ある乗り物であることから、その体験を楽しみにしていたもの。往復10分程度とそう長い距離じゃないが、一歩ごとにかかる衝撃の強さが印象的で、ラクダの旅も楽なもんじゃないなと貴重な砂漠の隊商気分を満喫したもので。

   
左:パノラマポイントからの景色。クフ王、カフラー王、メンカフラー王のピラミッドが並ぶ。、
右:ラクダに揺られて10分程。思った以上に高さと一歩ごとの衝撃があり、決して快適な乗物でないことを実感する。




ラクダ乗りを終えて、最後にスフィンクスエリアに。現在あるスフィンクスは、カフラー王のピラミッドのコンプレックス(複合体)の一部とされている。ピラミッドとは、それ単体であるものではなく、スフィンクス、河岸神殿、参道、葬祭殿、ピラミッドの複合体で、ここにあるスフィンクスは、カフラー王のピラミッドを守護する役目だとする説が有力。それぞれのピラミッドにに複合体があり、他のピラミッドのスフィンクス等はまだ発見されていないとか。

全長57mのスフィンクスの胴体部は、元々あった岩山を彫った一枚岩からなり、その上に石灰岩で造った頭部を乗せ20mの高さになったといわれている。古代エジプト時代に造られた多くのスフィンクスの中で、これが最大にして最古のスフィンクスとなる。

河岸神殿は、70日間かけてミイラを作った場所と聞いたが、石を運んできた船着場とのガイド本の説明もあるから深く立ち入らず。ここからカフラー王ピラミッドに向け真っ直ぐ参道が伸び、ピラミッド下にある葬祭殿につながる。葬祭殿は、亡くなったファラオの再生と復活を祈るために建設された神殿で、ここでの葬祭を経てピラミッドに葬られたという。


左・中・右:スフィンクスエリアにある、河岸神殿とスフィンクス。正面から見ると、ピラミッドを背景にした、スフィンクスを見ることができる。






買物&昼食


ピラミッドを観光を終えたのが、10時30分。まだ時間があるからお土産店にでもと何店か回る。香水屋「fayed」には、香水瓶をほしいという奥さんの希望から立ち寄り。エジプトは精油の原産地で、ここの香水も精油で、香水の原料として使われることからアルコールが入っていないことに特徴があるよう。数十種あるいろいろな香水の香りをかぎつつ、チャイを飲んで一休憩。少々値段が高いから瓶だけ購入しようと見学しつつ価格交渉を進める内に、瓶をセットにした香水の値段で折り合えたので、結局香水と瓶を2セット購入。

続いて、パピルス店「SONDOS PAPYRUS」に寄る。パピルスとは、かつてはナイル源流中央アフリカに自生する植物で、ナイル氾濫により下流まで漂着、そこで人の手により栽培され、古代エジプトにおいて記録のための媒体として使われたもの。三角形の茎を薄く切断、それを縦横で隙間なく敷き詰め、圧力をかけ水分を除き乾かし使用する。中国において紙が発明されるまで各地域で使用され、英語のペーパーの語源にもなったという。
そんなパピルスを再現し、死者の書等の絵を描いたものを販売しているのが、パピルス店。色鮮やかな手書きのパピルスは美しく、お土産に数枚購入。結構日本人観光客も多く、観光ルートに入っているのかなと思いつつ。

      
左:香水店。ここで、香水を調合する。
中・右:パピルス店では、パピルス製作を実演してくれる。そして、購入したパピルスを。一枚2500円程で。




買物を終えたところで、昼食。エジプト料理を食べたいとリクエストし寄ったのは、「ピース(Peace abouzed)」。昨日食べ損ねたフェルフェラの支店もあるらしかったが、ピラミッドを窓越しに見られるというこの店に。シシケバブをメインとしたランチセットは、4種のソースをつけながら食べるパンから。シシケバブ共々おいしく、食後のデザートまで満足しながら楽しむ。食事で12ドル程度ながら、まあ、こんなもんだろうと思いつつ。

      
2階の窓からピラミッドを見ながらランチをいただく。このパンが、またおいしくて。



食事を終えたところで13時を迎えるが、効率よく、分かりやすい解説をもとにしたガイド付き観光をすっかり気に入り、午後からシタデルとハンハリーリを行きたいから、ついでに頼めないかと依頼。会社に連絡してから回答をとの結果、追加一人60ドルはちょっと高めかなと思いつつも、まあ、選択の余地もそうないから、そのままお願いしたわけで。






カイロ市内観光(シタデル地区、ハンハリーリ)


ということで、食後車でシタデルへ。
シタデルは、イスラム地区の一角にあり、モカッタムの丘の一部に立つ城塞を指す。アイユーブ朝を興したサラーフ・アッディーンが、ヨーロッパからの十字軍を阻止するため1176年に建設したもので、丘の上に建つ立地のよさと、堅固な城壁から、アッバース朝後も歴代の統治者が城塞兼居住スペースとして使われてきたという。

城壁を見たくて訪ねたところがあるが、ここの見所は他にも。一つには、城塞内の一角にあるムハンマド・アリ・モスク。ムハンマド・アリ朝の時代に建設されたオスマン・トルコ様式のモスクで、イスタンブールのブルーモスクを似せて造ったことから、ブルーモスクという呼び名もある。中庭には、フランスから贈られた時計台があり、ドーム型の内装の美しさからも、人気の高いモスクとなっている。

ここではモスク内の絨毯に座り、ガイドさんにイスラムの教えについていろいろと話を聞く。イスラム教には5つの大事な教えがあり、1.一神教、2.礼拝、3.寄付、4.巡礼、5.断食と。それぞれの内容について説明を受けながら、静寂な空間の中で貴重な時間を過ごす。

モスク見学後、高台に位置することから一望できるカイロ市内の景色を眺め、シタデルを後にする。


左・中・右:シタデルにある、ムハンマド・アリ・モスク。高台にあるモスクからは、カイロ市内を一望でき、この場所の戦略上の重要性がよく分かる。シタデル一帯は、城壁で囲まれていて、今に残る難攻不落な雰囲気を感じ取る。




シタデル見学後向かったのは、ハン・ハリーリ。ハン・ハリーリとは、14世紀頃の隊商宿を中心にした市をおこりとするバザール。19世紀初めには12の大バザールが一つになったというが、現在残っている規模は限られる。

ここでは、1時間ほど自由散策。細い路地には、香水瓶等ガラス細工、水煙草、布、象眼細工、金細工と多彩な店がひしめき合い、見るだけでも楽しい。トルコのグランドバザールは、数mある通路にガラス張りの店が整然と並び、なんとも入りにくい雰囲気があったが、雑多な空気感が肌に合い、店頭の商品を眺めながら物色を続ける。しつこいくらいに呼び込みに声をかけられるが、騙そうという厭らしさや強引なものではなく、適当に会話であしらえる陽気なものだから、気軽に見て回ることができる。

海外でよく見かける観光客を引っ掛けようとする輩は、その瞬間警戒感と嫌悪感しか抱かせず気分が悪くなるものだが、ここはちょっと違う。ある意味皆が値段をふっかけてくることには違いはないが、それがここエジプトのスタイルで、ここからの交渉がおもしろいから楽しめる。値段交渉の駆け引きは結構好きで、東南アジア辺りなら半値から始めるところ、ここは聞きしに勝る値段の良さから、半値程度での妥結を目指して3割スタート。別に買わなくてもいいという状況と、時間が限られるという条件を前面に、エジプト綿、香水瓶、ラクダ木彫りとそれなり納得いく値段で購入したもので。

まあ、なにせ交渉なんざしてるから時間がたつのが早い。もう少し時間をとればよかったと思いつつ、少し遅れて集合場所に戻ったもので。


ハンハリーリは、このモスクの奥にある。雑多な雰囲気の写真を撮れずに終わったのは、残念なとこ。



そうして、観光も無事終了。16時ホテル着に、オールドカイロも観光に加えとけばと思ったり。最後は、ホテルの前でガイドさんにお礼を言いつつお別れ。午後のツアー代金を思うと十分かなと思いつつ、チップを少々渡したわけで。






エジプト出国


エジプト最後の日だから、ナイル川をゆっくり見ようと、車の行き交う道路を渡り川沿いへ。ホテルはナイル川沿いにあるものの、リバービューの部屋じゃないため、川を見ることなく過ごしたために。そして、16時30分に夕暮れを向かえ、ナイル川越しに沈む夕日を鑑賞。悠久の歴史に思いを馳せる。

     
左:夕暮れ時のナイル川。ゆったりとした川の流れは、いつまでも見飽きることなく。
右:ナイルヒルトンホテルから、道路を挟んだ先に、ナイル川がある。行き交う車を避けながら、道を渡って。



ここからは、飛行機の出発時間である23時25分を見据えての行動。まずは、18時からヒルトンホテル内にあるカフェで夕食。腹を壊す可能性が高いエジプトで無理をする気は一切なし。なにせエジプトは、旅行の出だし、ここでつまづくわけにはいかないから。というわけで、無難にヒルトンチーズバーガーなんざ食べてたりする。のんびりカフェで時間を潰した後、19時30分にホテルに預けた荷物を受け取り、少々バックの荷物と詰め替えを行った後、ホテルフロントで頼んだタクシーに乗り、空港を目指す。

タクシーに乗ってからが、一騒動。ポーターに確認した料金は70エジプトポンドで、50エジプトポンド以内の見込みを超えたためしばし悩むも、時間もないからと妥協したもの。ところが、しばらく乗っていると、運転手が70エジプトポンドより高い料金を要求してくる。バクシーシ(喜捨)だと言い募ったとこで半ギレ。エジプトの悪どい習慣か何かしらんが、自らむしり取る喜捨が成り立つかとの思いに、決めた料金を覆されたことに信頼をなくして。しばらく言い合いをしたが、ここでもめて車から降ろされても困るから、最後に一切妥協しない作戦でいこうと、途中から運転手との会話を一切無視することに。終始不機嫌で過ごし、最後の最後にエジプトにケチがついたなとがっかりすると共に、エジプトの持つ一端に触れることができ、それはそれでよかったのかなと思ったもので。

結局、空港入場料がかかるからとの言い訳を受け入れ、少々妥協。理不尽には妥協できない性質で、こちらの気分もあるが、どうも誤魔化そうとする輩が多い海外では喧嘩になりがち。まあ、本気で立ち向かうことこそ交渉成立の要件だから、戦術的な要素もあるのだが。今回も一切妥協する気はなく、喧嘩するつもりでいたものの、まあ、何もないにこしたことはないなと。

20時30分にカイロ空港着。エアコンの効かないタクシーで、大量の排気ガスと共に1時間近くの移動だったため、気分は優れず。21時過ぎにチェックインを済まし、出発ゲートでしばし待機。ゲート付近に集まるガタイのいい黒人の方々に、これから行く地がアフリカ中央部であることを認識させられる。いくら治安が悪いといっても空港内は大丈夫だよなと妙な心配をしつつ、時間を過ごしたわけで。

そして、23時20分にケニア航空でエジプトを出発。気分が優れない状態が続きつつ、3日目の夜を過ごすことに。





                                                                                            





08年12月22日−30日  in エジプト&ケニア
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ただ生きる、そして十万年後の今がある