07年12月25日−30日  in イスタンブール
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オリエントの世界に魅せられて 
1日目(12月25日)


出発


エミレーツ航空を利用する今回の旅。関西空港の出発が23時15分と、ゆとりを持った行程に、大阪で夕食を食べることを目的の一つに加える。そんなことから、山口の自宅発は、13時。山口駅まで1km程度の道のりを、スーツケースを引いて徒歩で移動。13時20分の電車に乗り、車内で駅弁を食べながら新山口駅へ向かう。新山口からは、新幹線を利用。前日チケットセンターで購入した11,600円の片道チケットを手に、約2時間の移動を経、16時40分に新大阪駅に到着する。

関空には、2時間前となる21時の到着を目指しても、今から4時間超の時間の余裕。大阪で食べるならと目指したのは、2年前のおいしさに打たれた料理・お好み焼き。前回と同じく「美津の」に行くことで迷うも、新規開拓を優先といつもの理由で評判の高い「お好み焼き きじ」を選ぶ。大阪駅から徒歩圏内にあり、移動が便利なのも選んだ理由の一つ。

コインロッカーに寄付をする気もなく、スーツケースを引っ張って、駅から約10分という梅田スカイビルを目指す。いつものように道に迷い、20分かけてビル地下1階の飲食街へ到着。時刻は17時30分も、既に店内は満席で、店の前で10分程待機。スーツケースを裏口に置かせてもらい、カウンターの席に着き、さっそく滝見焼き(690円)を注文。

滝見焼きとは、スカイビル地下の食堂街・滝見小路の名前を付けた、えび、ぶた、ほたて入りのちょっと豪華なお好み焼き。外がカリっと中が適度にふんわりした食感も、特別生地のおいしさを感じられるレベルじゃなかったから、ちょっと残念。美津ののとろっとしただしの効いた生地と甘辛ソースを絡ませたあのレベルと比較すると、まあ、並の関西風お好み焼きだといったとこかな。それでも、それなり評判のいいお店の味がわかったこと、なかなか頑固気のある渋い親父さんの調理やなじみの客との会話を通じ関西のおっちゃんの雰囲気が知れたこと、帰り際に「おおきに」と声をかけられ日常会話で方言に接せられたことから、これもいい体験だった思いつつ。

   



大阪駅からは、JR関空快速に乗り関西空港まで1時間ちょっとの移動。20時過ぎに関西空港駅に到着し、そこから徒歩で関西国際空港に向かう。出発3時間前到着とたっぷりある余裕に、これまでにない心のゆとりを感じる。思えば、常に逆算して1時間程度の余裕を持った行動をとるも、ちょっとした出来事でその余裕が消え、ここ最近の海外旅行は、出国自体が一番の問題だったなと振り返る。余裕のできた時間を使い、トルコ通貨に両替したり、本屋で文庫本を追加購入したりと時間を過ごす。

出発2時間前のカウンター開設にあわせてチケットを受け取り、スーツケースから解放。22時に出国手続きを終え、23時15分に予定通り日本を飛び立つ。







2日目(12月26日)


ドバイ入り


関西空港から経由地であるドバイまでは、約11時間の飛行。飛行機での長距離移動にも慣れたもので、とにかく寝ることがその後の旅を充実させるコツだと確信。24時に出てきたチキンの夕食を食べ、1時前にはさっさと就寝。


最初の機内食でチキンを選択。エミレーツ航空は、食事にも力を入れていて、メニュー表が椅子のポケットに置かれていることにまず驚き。味は、これまで食べてきた機内食と比較すると上レベル。それでも所詮は機内食で、この後行きと帰りで6回食べるのは少々苦痛に近いものがあり。



翌朝は、9時15分に起床、9時30分に朝食、ドバイ国際空港に10時50分に到着とあっという間の移動を終える。ちなみに、日本とドバイの時差は、マイナス5時間。ということで、日本時間10時50分の現在、ドバイでは5時50分となる。

ドバイでの滞在時間は、出発時間である15時までの約9時間。出発2時間前の集合を思っても、約7時間と十分の時間の余裕。この時間を利用して、ドバイの街中散策・・・という思いも当初はあったんだけど。まず、ドバイ通貨にお金を換えるのがもったいないこと、ドバイ空港から街中まで距離がありタクシー等による移動が必要、トルコ到着が17時頃でその後街中を歩くつもりだから無駄な体力は使いたくないという思いに、ドバイ空港内の免税店の豪華さは聞いていたからそこを見学したいという思いから、空港内での滞在を決める。

   
左:空港内は、中東の繁栄を象徴するドバイだけあり、きらびやかな雰囲気。高級外車が飾られ、置いている物もどこかハイクラス。当選確率が非常に高い1等1億円の宝くじの存在は聞いていたけど、1枚5万円という値段からチャレンジできず。当たれば、無料でドバイまで受け取りに招待してくれるということだったけど。
右:ショッピングセンター並の規模で、感心しながら見学する。



規模は大きいが、買物をするつもりはないし、土産物屋で埋まったショッピングセンターに、1時間もしないうちに散策を終了。朝7時にもかかわらず、世界のハブ空港ドバイらしく、出発ロビーは乗り継ぎ待ちの様々な人種の人々で埋まり、席を見つけるのにも一苦労。ようやく見つけた椅子に腰を下ろし、ここから6時間超の時間つぶしが始まる。手持ちの文庫本を2冊読み終え、日記をいくつか作成、そして、この旅で考えようと思っていた披露宴時のメッセージと製作本の最初を飾る一文を完成させる。

空港内のカフェではクレジットカードが使えないとのことで、食事も飲物も取れなかったのにはちょっと参ったが、なんだかんだで時間が経ち、14時30分にイスタンブール行きの飛行機に乗り込む。事情により出発が1時間遅れ、16時前にドバイを飛び立ち、20時過ぎにイスタンブールへ到着。ここで再び時差を修正。ドバイとトルコ・イスタンブールの時差は、マイナス2時間。つまり、現地時間18時到着、ちなみに日本時間はプラス7時間の午前1時となる。

   
左:ドバイの街並み。海と砂漠が共存し、どこか砂埃に包まれた街並みを上から眺める。
右:ペルシャ湾の一角アラブ首長国連邦の一都市ドバイからトルコへの道は、中東の砂漠を見下ろしながらの飛行となる。地形を楽しみつつ、その周辺で行われている戦争に、人間の小ささを思いつつ通り過ぎる。






トルコ・イスタンブール到着


日本出発23時、イスタンブール到着が1時と、26時間をかけた移動を終える。入国手続きを終え、空港を出たのが、18時40分。ここから、宿までの長い長い道のりが始まる。

空港は、市街地の南西約25kmに位置し、市内まではエアポートバスやタクシーを使うのが一般的な行き方となる。そんな情報を耳にしつつ、目的とする宿への行きやすさ、値段の安さとまずはその土地の雰囲気を知ろうとの思いから、メトロ(地下鉄)を選択。案内板からメトロ乗場を見つけ、120円でチケットを購入。空港から6駅目となるゼイティンブルヌ駅で降り、ここでトラム(路面電車)に乗り換え。再び120円のチケットを購入し、宿最寄り駅であるスルタンアフメット駅に向かう。


ここで簡単に、イスタンブールの街の作りの紹介。
イスタンブールで観光地が集中するのは、旧市街と呼ばれる地域で、この地域は7つの丘からなる町と言われるだけあり、上りと下りの急な坂が繰り返し続く構造となっている。そのため、ちょっとした距離でも歩くのはなかなか大変で、移動の手段は、トラムと呼ばれる路面電車を利用することになる。距離にかかわらず、1回120円の料金で、観光の足となる。


初めての交通機関利用に、乗換えを少々戸惑いつつ、通り過ぎる駅を確認しながら、目指すスルタンアフメット駅に到着。駅到着後の宿への行き方は、宿を予約したサイトに掲載されていた大雑把な地図だけが頼り。この地図をガイドブックの詳細図に当てはめ、トラムの中で何度もイメージした方向へと歩き始める。

地図でいけば宿まで、500m程度の道のり。ブルーモスクという有名な観光地の近くにあり、まずはそこを目標に動くも、進むほどに電灯も少ない暗い道へと進んでいき、不安ばかりが増していく。目立つはずのブルーモスクも、その存在を見たことがないから、どのモスクがブルーなのか判別できず、目指すべき方向が定まらない。歩き回りすっかり疲れた体と、暗闇に沈むひと気のない道をスーツケースの音を立てながら進むことにちょっと身の危険を感じ、ついに方針転換。さすがに初めての地の上、明確な地図も持たずに移動するのは無理があった、タクシーで宿まで送ってもらおうと。

そして通りかかったタクシーを止め、印刷したホテルの名前と住所を書いた紙を見せ、案内を請う。分かった分かったと頷くおじさんが連れて行ったのは、そこから100mも離れていない場所にあるホテル。なんと、やっぱりほとんど近くまで来てたのね、そんなことならタクシーの運ちゃんもすぐそこだよと教えてくれたらいいものをなんて思いつつ、180円払い下車。

ホテルに入り、予約した者だけどと予約状況を印刷した紙を見せる。そして、ここで新事実発覚。ここは、ヒッポドロームホテルと同名ながら、予約しているホテルは全く別のホテルだという。そこから親切に目的のホテルへの行き方を教えてくれるが、距離はだいぶ離れていそう。これ以上、迷いたくも、歩きたくもなく、いやいいよと適度に案内を打ち切り、再びタクシーを拾って、住所を確認してから移動を開始。そして、ようやく予約したホテルへ到着。空港を出てから2時間が経過、計860円の出費。空港からタクシーを使えば、約20分、1800円の道のりだったことを思うと、なんとも言えないものがあるが。その分、電車の乗り方や街の造りを早く知ることができたけど。時間と体力を要した分、食事に出かける気力を失い、夕食を抜いて21時にさっさと就寝することに。

      
左:イスタンブールの足・トラム(路面電車)。回転式の入口で専用コインを入れて駅へと入る。
中・右:初日の宿。立地もよく、部屋もきれいで大満足。






トルコ紹介


それでは最後に、明日からのトルコ観光を前に、トルコについて軽く解説。

トルコは、日本の2倍の面積を持ち、その97%が黒海と地中海に突き出すアジア西端の巨大なアナトリア半島にあり、残りの3%がヨーロッパ大陸のバルカン半島の東端にあり、ギリシアとブルガリアに接している。首都はアンカラ(400万人)でトルコ第2の都市、最大の都市はイスタンブール(1300万人)となる。

アナトリア半島には紀元前6000年頃に人が住み始め、紀元前1800年頃には鉄の民族として知られるヒッタイト人が最初の王国を建設する。以後、ペルシャ、ギリシア、ローマ帝国、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)がこの地を支配する。中央アジアの遊牧民で、西へと移動してきたトルコ民族が進出したのは11世紀。一度モンゴル軍に滅ぼされるが、14世紀にブルサを都としたオスマン・トルコが次第に力を増し,アナトリアの支配者となる。1453年にイスタンブールが陥落し、ビザンチン帝国が滅亡。アジア、ヨーロッパ、北アフリカの3大陸にまたがるオスマン・トルコ帝国が誕生する。16世紀には最盛期を迎えるが、19世紀には帝国が衰退し、第一次世界大戦でドイツ側に参戦して敗退。連合国軍による国土分割の危機に対し、アタチュルクが救国戦争を指揮して戦い、1923年にトルコ共和国を樹立。彼によって現代トルコの基礎が築かれた。

トルコの特徴は、アタチュルクの近代化政策によって政教分離がなされ、宗教の自由が認められていること。国民の99%がイスラム教徒(スンニ派)だが、街のレストランでは飲酒ができ、人々のファッションもカジュアルな格好に身を包んでいる。また、トルコは世界で最も親日的な国の一つと言われる。トルコの近代化を成し遂げたアタチュルクが、日本の明治維新を研究して「日本に学べ」をスローガンにしたことで知られ、トルコと敵対していたロシアを、日露戦争で日本が破ったことも一因になっているんだとか。

物価は、経済成長により上昇傾向にあり、ヨーロッパ圏に位置するイスタンブールは、特にその傾向が強い。イスタンブールの物価は、日本とほぼ同じか、ユーロ高の影響を受ける観光客向けの店になると日本よりも高いという実感。

通貨は、2005年のデノミ(通貨切り下げ)に伴い、新紙幣を発行。新トルコリラは、YTL(イェーテーレー)といい、07年12月時点で1YTL=90円の換算となる。1ユーロは、165円として、この日記の中では、全ての支払額を日本円で表記する。(物価が同程度なので、YTL表記の必要はなしと判断。)






イスタンブール位置図