4日目(12月28日)


新市街地観光


朝5時に起床し、7時50分に昨日と同じくオベリスクホテルで朝食をとる。

   
左:朝食会場のバイキング。
中:本日の朝食。チーズ、ハムを少々と、デザートにヨーグルトを付ける。
右:ホテル最上階に位置する朝食会場からの景色は素晴らしく、朝日で輝き始めたマルマラ海を見渡すことができる。



8時30分にホテルに帰り、荷物をまとめて8時50分にチェックアウト。そう、この日の朝の一大イベントは、ホテル移動にあって。予約サイトで入手した地図をもとに、ホテルの行き方を検討。なるべく安くあげようと、トラムによる移動を選ぶ。スルタンアフメット駅から、4駅空港寄りにあるラーレリ駅で下車、そこからスーツケースを引っ張り、ホテルがある方向に坂を上っていく。通りの名前を確認し、確かここに・・・と思われる場所には、目指すホテルが見当たらず。ただ、どうやらビジネスホテル街でもあるようだから、多分この周辺にあるだろうと、ここから20分程坂のある街を歩き回る。荷物を持っての移動にすっかり体力を奪われ、だんだん腹立たしさが表面化。地図が示す場所にホテルがないことを確信し、自力で探すことを諦め、路上に止まるタクシーを利用することに。

どうやら予約サイトの地図は、全く違う場所を示していたよう。タクシーに10分程乗り、数km離れた先に送り届けられる。唯一頼りの地図が当てにならないんじゃ、話にならない。外国という情報が制限される地で事前情報の誤りという恐ろしい状況をなんとか乗り越え、ホテルに到着。さっそく荷物を部屋に置いて動き出すも、事前情報から駅に近く動きやすいホテルとの想定が崩れ、それでも無駄な出費を避けるため、20分程歩いて最寄りのアクサライ駅に向かう。

      
左:あまりに不便な立地でおすすめできないピアノフォルテホテル。
中:部屋は普通の造り。
右:6階の部屋だったため、街が見下ろせてよかったけど。






ガラタ塔

少々予定が遅れて、10時40分に金角湾にかかるガラタ橋に到着。ガラタ橋を歩いて渡り、ガラタ塔を目指す。ガラタ塔とは、新市街のシンボルとして高台の上に位置する、高さ67mの塔。6世紀初めに灯台として利用されていたものを、14世紀にこの地を支配していたジェノヴァ人が、ビザンツ帝国への監視塔に改造したといわれている。

ガラタ橋を渡ってから、目の前に見えるガラタ塔を目指し、適当に坂道を上っていく。特に案内板を見ることもなく向かったわりには迷うことなく到着し、900円を払って塔の中へと入る。

      
左:ガラタ塔へは、ガラタ橋を渡ったところに最寄駅があるけど、せっかくだからと橋を歩いて渡る。
中:ガラタ橋を渡ったところから見上げると、一際目立ったガラタ塔を見ることができる。曇り空だけが残念で。
右:ガラタ塔へ向かう坂道。なかなか急な坂が、塔まで続く。



ガラタ塔に入ると、エレベーターを使い最上階まで。そこからさらにらせん階段を上り、地上53mのテラスにでる。塔の外回りを1周回れるテラスは、イスタンブールの景色を360度見渡すことができる、絶好のビューポイント。ここから20分ほど、イスタンブールの街の造りを眺め、楽しむ。

   
左:ガラタ塔。石造りの風格を感じさせる塔。上部の窓付近にテラスが備え付けられ、周りを歩くことができる。
右:ガラタ塔から見下ろす景色。坂を利用して密集する建物の様子がよく分かる。




金角湾を挟んだ、イスタンブール旧市街の景色。旧市街は半島の一部となり、左側の橋がガラタ橋、半島の左端の方向にある建物が、トプカプ宮殿となる。7つの丘の上に、宮殿や重要なモスクが配置されている造りは、写真からじゃ伝わらないかな。






ドルマバフチェ宮殿


11時25分にガラタ塔を出発。そこから目指したのは、新市街にある宮殿、ドルマバフチェ宮殿。一度ガラタ橋側のカラキョイ駅に向かい、そこから3駅先のカバタシ駅までトラムで移動。カバタシ駅からは、約600mの道のりを歩いて移動。11時55分に、宮殿前に到着する。

ドルマバフチェ宮殿とは、ボスフォラス海峡の岸辺にたたずむ、総面積約1万4000uの広大な敷地に建てられた、西洋風のトルコ・ルネサンス様式による大理石を用いた白亜の宮殿。1839年にスルタンに即位したアブドゥル・メジト1世が、トプカプ宮殿が時代遅れで、手狭なことを痛感し、新宮殿をドルマバフチェに建造したことが始まり。1843年から16年の歳月を費やし建造、1876年までオスマン帝国の公式宮殿として使用されてきたもの。

チケット販売所は混雑していて、入場するまでの25分間を列に並んで待つことに。入場料は、セラムルク(公式エリア)とハレムツアーに、写真撮影の別料金を加えたため、2350円とちょっと高額。

      
左:宮殿入口の門。現在も政府機関として使われていることから衛兵が警備している。どうやら新兵が充てられているようで、入場待ちの際に訪れた交代時には、先輩兵の指導を受ける初々しい姿を見る。
中:門をくぐって宮殿内へ。
右:広い庭園が続き、先にある建物がセラムルクの正面玄関になる。



セラムルクにしろ、ハレムにしろ、英語による解説付きのツアーが行われるのがここの特徴。2,30人が一つの団体となり、解説を聞きつつ、ここから1時間超に渡る長い見学タイムが始まる。

まずは、正面玄関を入り、セラムルクから。セラムルクとは、公的エリアのことで、各国からの大使や使節を迎える広間や控え室、宰相など政府の要人と会議や密談をする部屋、浴室、子供達の教育施設などがある。各部屋の大きさや数を思うと、トプカプ宮殿が時代に合わなくなったという理由がよく分かり、迎賓館としての機能を重視している豪華な造りやトルコの文化に西洋の文化を取り入れた近代的なオリジナルの様式を楽しめる。

    
左:歓迎の広間。正面玄関を入って最初の広間になり、かつて大使達が最初に通された場所。中央には、フランスのバカラ製シャンデリアが下がる。
中・右:宮殿で使われた食器も並ぶ。銀細工や金を使った食器に見入る。



     
左:大使の間。大使を公式に歓迎するための広間で、天井が、イタリアやフランスの彫刻家らによってバロック風の木彫りを施し、全体を金色に塗った造りとなっている。敷かれている絨毯は、110uあり、19世紀ヘレケの宮廷工房で織られた絹絨毯になる。その他、ロシア皇帝ニコライ2世から贈られた熊皮の敷物など豪華な調度品に囲まれた、贅のある部屋となっている。
右:赤の間。カーテンや椅子の布地が赤で統一された部屋。スルタンが大使との密談に使った部屋で、赤色がオスマン帝国の力の象徴であることから、交渉を優位に進めることを狙っているとか。ちなみにテーブルは、ナポレオン3世からの贈り物になる。



     
左:帝位の間。セラムルク最後の部屋となる、長さ46m、幅44m、高さ36mの宮殿内で最も広く、豪華な内装の部屋。スルタンの戴冠式など式典や宴が催されたという。ドームから下がるシャンデリアは、イギリスのヴィクトリア女王の寄贈で、750個の電球を付け、世界最大級のものだとか。あまりのスケールの大きさに、しばし立ち止まって空間を楽しむ。
右:ツアーを終え、セラムクルから出ると、目の前に海が広がる。ドルマバフチェ宮殿は、ボスポラス海峡に沿って160mに及ぶ船着場があり、船を主な交通手段にしていたという。ここは、その船着場の一つとなる。



英語のガイドは適当に流し、部屋の造りや調度品を見て楽しんだツアーも、なかなかの時間に少々疲れ気味。昼食も食べておらず、当初宮殿から歩いて20分程度で行けそうな「スパツィオ」というイタリア料理屋を昼所と考えていたが、計画を変更することに。ちなみにスパツィオとは、イスタンブールで1,2を争うと言われるイタリア料理の人気店で、イタリア出身のシェフが腕を振るうという。本場イタリアとはいかずも、欧州人においしいと評価されるイタリア料理を食べておきたかったんだけど、そんな事情から諦める。

そして、結局妥協してお昼に選んだのは、宮殿内にあるカフェ。いや、カフェともいえないような、休憩所。昨日の昼が、食事のメニューがほとんどない中、サンドイッチを選び、軽くすませることに。


これが、選べる中で一番まともな食物だったもので。本当に、宮殿見学がてらの、休憩所だったからな。コーラと合わせて540円。






チャムルジャの丘


時間も、14時を回り、予定を大きく超えることに。ちなみに、お気付きの方はいるかもしれないが、どうやらセラムルクの観光しかしておらず、ハレムツアーには参加し損ねたよう。トプカプ宮殿より時代が新しい分装飾も豪華なため、ちょっと楽しみにしていたのに、思えば残念。ただ、この時点ではてっきりハレムも含めてツアーが行われているものとばかり思っていて(それほど豪華な部屋が多かったため)、何の疑いもなくツアーを終了したものだけど。まあ、時間も体力もなくなっていたから、例え次のツアーに案内されても、断ったような気がするが。   

ドルマバフチェ宮殿を出て、再びトラム乗場であるカバタシ駅に戻り、その目の前にあるフェリー乗場に向かう。今回練りに練った計画で、この交通手段を入れたのは、ちょっとしたヒット。ヨーロッパとアジアという二つの大陸にまたがる都市だからこそ、アジア側にもぜひ行きたいとは、当初から思っていたこと。時間に余裕がある4日目に組み込みたいが、新市街を観光すると、一般的なアジア側への渡航地(旧市街地側のガラタ橋横にあるフェリー乗場)エミノニュから遠ざかることになる。そこで調べた結果見つけたのが、ドルマバフチェ宮殿近くのカバタシ・フェリー乗場から、アジア側へのフェリーが出ているということ。それをもとに計画を立て、昼過ぎまで目いっぱい宮殿を観光することができたわけで。

イスタンブールの他の交通手段と同様120円の料金を払い船を待つ。14時30分にカバタシからフェリーに乗り、アジア側の船着場・ウスキュダルに向かう。

   
左:カバタシの船着場とフェリー。
右:フェリーから見えるドルマバフチェ宮殿。海に面した宮殿の様子がよく分かる。



ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡の距離は、最狭で約700m。フェリーで20分かけ、アジア側の町・ウスキュダルに到着する。ウスキュダルは、新市街や旧市街の対岸にあるアジアサイドの玄関口で、カドゥキョイなどの他にも桟橋のある町がある中ここを選んだのは、アジア側での目的地をチャムルジャの丘にしたことによる。

チャムルジャの丘は、イスタンブールで一番標高の高い(267m)場所で、イスタンブールを360度見渡せるという。知らない土地では、まず高所から全体を見下ろすことを目的としていて、それに最適な場所だと選んだもの。

チャムルジャの丘は、ウスキュダルの桟橋から7km以上離れた丘の上にあり、マイナースポットであるためか、ガイドブックの案内も乏しく、到着までに一苦労。ウスキュダルからバス11番で20分という情報を信じ、桟橋近くのバス停から、11番のバスに乗り込む。運転手に、チャムルジャに行くことを確認し安心するも、ここで、バスに乗るには現金ではなく、アクビルというプリペイド式のチケットがいることを知る。アクビルは、メトロ、トラム、バスにフェリーとイスタンブールの交通機関で使える、ボタン電池式の共通プリペイドチケットになる。値段も2割引になり、その度コインを買わなくてもいいという利便性から到着時購入しようと思うも、売場が分からず断念。600円程度のデポジットを払う必要もあり、残りの移動機会からもなんとなく購入をやめていたものが、こんなところで裏目に出る。

走り始めたバスの中でその状況を説明すると、バスの運転手に90円を渡し、運転手のアクビルを使うことで決着する。どのバス停で降りるかも分からず、とりあえずバスで20分程度との情報が頼り。運転手に、チャムルジャの丘に行きたいからと告げ、バス停に着いたら教えるから前の方の席に座っとけと言われたことから、最前列に腰をかけ、限られた情報の収集に努める。バスは、だんだんと急な坂を登り始め、通り過ぎるバス停の名前を確認しながら、位置を推測。隣の席のトルコ人に、チャムルジャはまだよねなんて聞いたりもしつつ。そして、何個目かのバス停を過ぎたとき、そこに書かれた名前がチャムルジャと読めるんじゃないかと疑問を持つ。ちょっと待て、万が一にも通り過ぎたら、ますます知らない土地へと突き進むことになる。何人目かの隣人に、「さっきのチャムルジャの丘に行くバス停じゃなかった?」と聞くと、「そうだよ」なんてのん気な返事が。そりゃ、まずい。なんとしても降りなきゃと、窓側の席から急いで通路に出、運転席の周りを埋める乗客を押しのけ、運転手に直談判。「さっきのチャムルジャのバス停でしょ、ここでいいから降ろしてくれ」と数十m進んだ先でバスを止めさせ、一人下車する。期待もしていなかったが、やっぱり当てにならなかった運転手の言動を思い、とりあえず無事に目的地バス停付近に降りれたことに、安堵して。

バス停付近から、チャムルジュの丘まで、徒歩で20分。どこまでも続く坂道と、山から下りてくるタクシーに何度も心が折れそうになりながら、垣間垣間で見える景色に発奮し、どうにか頂上まで到着する。頂上の駐車場に止めてある多くの車に、少なくとも歩いてくるところじゃないなと素直に思う。

チャムルジャとは松林の意味で、頂上周辺の公園では松の木立と緑の芝生が広がる姿を見ることができる。一望できるイスタンブールの姿を見つつ、妙な達成感に浸って。


ボスポラス海峡を挟み、手前がアジア大陸、向こうがヨーロッパ大陸となる。目の前の大きな橋は、ボスポラス大橋。最狭部で700mというボスポラス海峡の狭さがよく分かり、このことは、オスマントルコ帝国が、難攻不落を誇ったコンスタンチノープルを攻略するため海峡の両端に要塞を築き、海上封鎖によりビザンチン軍の補給路を断ったという戦略的な使われ方からも見て取れる。ちなみに、左側がトプカプ宮殿等がある旧市街。目の前の新市街に多くの高層ビルが立ち並ぶ姿に、イスタンブールの街の造りが分かる。



すっかり疲れ果てた状態に、帰りはタクシーでといかないのが、妙なところでケチなとこ。価値のあるとこじゃ金を出すが、自分が頑張ればいいところには、金をかけない主義なもので。おかげでここから少々過酷な帰路となる。

帰りの下りはなんとも楽で、あっという間にバス停へ。さて、ここからが問題。行きは勢いでバスに乗り込み、親切な運転手のおかげでアクビル(プリペイドチケット)を持たずに乗車できたが、そう幸運が続くわけもない。分かっていながら誤魔化すのも好きじゃなく、まずはバス停付近でアクビルを売る店を探す。周辺に人通りも少ないバス停付近に、それらしい店はもちろんなく、早々に諦め次の手段を考える。何台目かのバスが通った後にやってきたのは、ミニバス。行き先もはっきり分からないまま、とりあえず現金は使えるだろうと急いで止めて、乗り込む。「ウスキュダルまで行く?」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫」と親切そうな運転手のお兄さんからOKサインが出たから、120円を支払い、席に座る。

しばらくして、他の乗客が皆降りたため、運転手と料金回収係の二人のトルコ人と仲良く会話をしながらの移動。日本から観光で来たよなんて話をしつつ、彼らの日本知識のお披露目にしばらく付き合う。彼らの親切な振る舞いや日本への愛情に、親日家といわれるトルコの人々の一端を垣間見る。アジア側は、総じて観光客が少なく、普通の日常生活を送るトルコ人の中に混じって、トルコ人の本質に触れることができるのが、いいところ。

旧市街など観光地は、どうしようもなく怪しいトルコ人であふれ、どこまで親日的な要素から来るか分からない、ペラペラの日本語で話しかけられたりし、なんとも居心地が悪かったりしたから。仲良くなって絨毯屋に連れて行くなんて手法もあるようで、一方的に近づいてくる輩の相手はしないというどこにいても変わらぬ態度で逃げてたもので。気を発しても、ずけずけと近づいてくるのは、観光客慣れした結果か、トルコ人特有の社交的な人柄によるものかは、最後まで見極められず。どこから来たのかとの質問にちゃんと答えたのは、最初の数回。めんどくさくなり、コリアと逃げたら、韓国語で話しかけられたので、韓国人になったのも1回まで。以降は、単語程度は分かるしなとタイ人として対応していったわけで。

そんな、地元の人と触れ合ったミニバスの旅も、突然終わりがやってくる。運転手の携帯電話に着信があり、どうやら新たな目的地に行く必要が出てきたようで、悪いけどここで降りてくれと、桟橋の近くらしい地点で下ろされる。そこからの道順を説明していたが、知らない土地の動き方など簡単に分かるはずもない。せめて最後まで責任持って連れてってよなんて思いつつ、なにやらトルコ人らしさを感じて。

そんな悠長なことを思ったのも束の間。人の大勢集まる方向に歩き始めるが、一向に桟橋を見つけられない。行きのバスでの記憶を呼び起こすが、思ったところに何もなく、ここから30分ほど徘徊の旅が始まる。海の近くは歩いているが、工事中による安全用のついたてが視界を遮り、遠くまで見通せない。勘を頼りに歩き続けるが、知らない土地での勘が全く働かないことをあらためて自覚する結果に終わる。既に日も落ち、辺りも暗闇へと変わり始めたことにより、嫌な予感に包まれる。暗闇の中、自分の居場所も見当が付かない、知らない土地での迷子。これはまじにやばいと、通るタクシーを拾おうと試みるも、空車のタクシーを見かけない。せめて明かりがある内にと、ここから走って桟橋を探す。再び人通りの多い道に出、フェリー乗場をようやく発見。久しぶりに本気で焦った時を過ごす。

ウスキュダルを17時20分に出、エミノニュ桟橋に17時35分着。夜景に浮かぶ街を眺めながら、快適な船旅を過ごす。

      
左:この青いミニバスに乗り、この地点で突然下ろされることに。
中:まだ桟橋の場所が分からず、走って探している途中の様子。この暗さで、電灯も、車も通らない道にいた時は、ちょっとまずいと。
右:船から見える旧市街の夜景。エミノニュ近くのイェニ・ジャーミー(モスク)のライトアップがきれいで。






ベリーダンス鑑賞


思った以上に時間がかかったアジア側の観光。一度ホテルに帰ってひと休憩との計画を諦め、この日の夜の目玉、旅の目的の一つでもある、ベリーダンス鑑賞に向けて動き出す。

まずは、シルケジ駅からトラムに乗ってベヤズット駅まで。目指したのは、ガイドブックで紹介され、ネットでも評価の高かったオリエント・ハウス。トルコ料理による夕食が付いて12500円と少々高いが、本場のダンスが見れるとなれば迷う余地なし。20時から開演という中、予約が必須の匂いがしたから、少々早めに行動を開始する。

グランドバザール近くのプレジデントホテル地下にあるも、オリエント・ハウスを紹介したガイドブックの地図の不正確さにより、20分の探索を余儀なくされたことは、特に書かない。18時30分に到着し、オリエント・ハウスに入ると、演者の方々が準備中で、チケットはホテルで買うようにと指示。プレジデントホテルに入り、フロントで今晩の公演が見たいと伝えると、予約していないなら難しいとの返答。一応確認してみるとのことでしばし待機すると、どうやら一人なら大丈夫ということで、OKをもらう。安心してチケットを買おうと思うと、ホテル宿泊者の料金でいいよと8400円に負けてもらい、よく分からない親切を喜ぶ。開演までの1時間ちょいをホテル内の喫茶店で過ごしながら、相変わらず綱渡りの旅に妙に感心して。

20時に近づくと、続々と客も押し寄せ、大きなホールが満杯に。日本の国旗が置かれた席に案内され、まずは1時間程食事タイムを過ごす。

      
左:前菜の盛合せ。オリーブ油に漬けたピーマンのドルマや、オリーブ油と野菜のスープに浸したインゲン豆のピラキ、挽肉のキョフテであるチイキョフテなどトルコ料理を味わう。
中:前菜の後に出てきたから、てっきりメインだと思い、少々の寂しさを感じた一品。どうやらこれは温かい前菜に当たるらしい。シガラ・ボレイという葉巻型の揚げ物がおいしい。
右:この後、生野菜のサラダが出て来、メインのチキンのソテーに。普通のソテーで、ちょっと肩透かし。最後までトルコ料理にこだわり、シシケバブあたりで締めてほしかったんだけど。最後は、果物のデザートをいただく。



21時からショーが開始。まずは、トルコ発祥の軍楽隊による演奏から。戦場に響き渡った軍楽隊の演奏により鼓舞された屈強なオスマン軍に敵兵は恐れ、その後多くの国で軍楽隊を取り入れたという歴史を持つ。心を奮わす軍隊マーチに会場全体が盛り上がる。ここのショーの特徴は、ベリーダンスのみじゃないということ。メヴラーナの旋回舞踏などトルコ各地の伝統ダンスを見ることができ、いろいろと楽しませる工夫を取り入れている。陽気な司会者による会場を埋めている各国の紹介も行われ、相変わらず諸外国人のテンションの高さに圧倒されたり。目立たず生きることを糧とする日本人には少々辛く、ジャパーンなんて呼び声に全く反応しないことを不思議に思った隣のロシア人グループが、何度もこちらの国旗を確認していたのは、文化の違いということで受け入れてもらうことに。妖艶なベリーダンスショーもしっかり堪能、大いに満足し、ショーがまだ続く中、23時前に店を後にする。

      
左:会場を埋め尽くす人々。各テーブルに小さな国旗が飾られている。
中:ショーテーブルがすぐ隣だったから、見やすくて。まずは、軍楽隊による演奏を。
右:ベリーダンスを鑑賞。ベリーダンスとは、ベドウィン族など砂漠の民の踊りが発祥なんだとか。



オリエント・ハウスを出た後、宿までタクシーを利用し、無事帰宅。動き回った充実の一日を終える。





                                                                      





07年12月25日−30日  in イスタンブール
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