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12月27日
 
行程

7時56分   ピピ島より船でプーケットへ
10時15分  プーケット港到着
10時30分  食事
11時00分  イミグレーション
13時30分  手続き終了
14時20分  旅行代理店A&A到着
20時00分  渡航書交付手続き開始
23時00分  渡航書受け取り完了


宿泊代         250B
コーヒー          10B
テレフォンカード    300B
屋台軽食         25B
コーヒー          17B
渡航書発行手数料  902B
コピー代           2B

支出計   生活費602B(1806円)  渡航手数料904B(2712円)
 

 
ピピ島脱出&帰国手続き
 
プーケット着(10時15分)
少しスローペースに感じる船は、約2時間後、10時15分にプーケットの港へ到着。
助かった。そう確信した一時だ。
船着き場は、迎えの人達であふれかえっている。




日本大使館の人でもと国旗を探すがない。まあ、そんなものかと次に向かう。
下船して待っていたもの。
それは、タイの人々の温もりだった。
水、果物、炊き出しの食事。
何も期待していなかっただけに、感動した。
人々の優しさが、心からの心配が表情から伝わってくる。
24時間振りに遠慮なく飲める水、味わえる食事。
お金のない今後を考え、パンと水を余分にもらう。
バンコクに向かうため、まずは、プーケットタウンを目指す。
プーケットタウンまでは、無料バスで運んでくれるという。
行き先を確認して乗ったバスが着いた先は、別の場所だったけど。

   




プロビンシャルオフィッス(被災者緊急避難対策所)(11時00分)
バスというか、改造トラックの荷台に乗せられ、着いた先は公園内にある建物。
各国のテントが並び、それぞれのテントで仲間の所在を確認する姿が見受けられる。

  
左:建物入り口の様子
右:行方不明者の一覧表。最も情報が集まる場所であった


建物内部には、各国臨時大使館が設けられ、様々な登録ができるとか。
これは助かる。バンコクまで行く必要がなくなる。
様々な外国人のいる観光大国。その迅速な対応に、感心する。
案内所で日本の場所を聞くと、日本人スタッフを紹介され、手続きの案内をしてもらうことに。
パスポート等紛失証明書の作成、大使館の人との今後の対応の相談、出国用手続きの書類作成。
写真撮影等2時間かけて、手続き終了。

   
左:日本大使館臨時領事部
右:出国用手続き書類作成所。写真撮影と指紋採取が行われたが、効率が悪く長蛇の列ができる。




A&A(14時30分)
日本大使館臨時日本領事部が設けられたのが、プーケットタウン外れにある旅行代理店A&A。タイ日本人会の拠点でもあるようだ。
お金のない人はここで送金方法を教えてくれ、渡航書もここで作成するということで訪ねる。
イミグレーションからプーケットタウンまで無料バスが出ていることは、後から知った。
残金が限られているから、歩いて目的地へ。
結構な距離に加え、道にも迷い、50分かけ到着。
疲れた体には、ちときつい。


今後の対応方法
ここで受けたのは、日本のくだらないシステム。


現金送金方法

駿河銀行を利用し、プーケットの金融機関に送金する方法のみあるという。
駿河銀行は、新宿と大阪に店がある。そこから振り込む以外に方法はない。
いかにも期待を持たせておいて、なんでもない。地方在住者には関係のない話みたい。
新宿から振り込めるからと、一生懸命強調されるが、誰が振り込みに行くのかという前提が抜けている。結局、無理ということでしょ?本当にこっちの状況わかっているの?という気持ちに。


パスポート紛失対応
ポケットに残っているお金は、900B。
これが最後の頼みの綱、これをどう活かすか。
この希望を一瞬に崩してくれたのが、次の事務説明。
パスポート紛失時には、帰国のための渡航書が必要になる。
渡航書作成手数料が902B、個人負担だとか。
ばかにしてるの?
金も荷物も全てなくして身一つでようやくたどり着いた先で、日本に帰るための手数料をとるだって?
全財産900Bをたかが日本に帰るための費用にかけられるわけないだろと捨て台詞をはき、臨時領事部を離れることを決意。

400Bあれば、バンコクまでバスでいける。
バンコクはなくしたチケットの出発地でもある。
バンコクに行けば大使館もある。
この状況でまともな判断ができないのは、権限がないから。
普通に考えて、例外的にお金を貸すとか手数料無料とかできるだろ。
おおもとの大使館をくどき・泣き落としてやるといきごむ。
いざとなれば、バンコクなら日本人も多い。
必要な帰国費用を日本人から借りられる。お金のあるうちに行くべきと判断。
建前論しか言わない領事部&ちっとも役に立たない日本人会なんて切捨て。
「もういいよ」と、臨時領事部を出ようとした時、イミグレーションで会い一緒に行動していた日本人一家から声をかけられる。クレジットカードをなくしたなら、緊急でお金貸してもらえるかもしれないと。

VISAに連絡。
クレジットカードの再発行は難しそうだが、現金ならなんとかなりそうな雰囲気。
手数料1万円だというが、かまっていられない。
もちろんすぐ対応を求める。
チケット再発行が受けられないケースを想定し、4万円を希望。
で、いつもらえるの?
まずは三井住友銀行で承認をだって。
そんなとこからの話しですかとちょっと興ざめ。
こりゃお役所仕事。当分時間かかりそうな雰囲気で。
一応遅くとも明日の朝に受け取れるとか。まあ、よろしくね。


航空券対応
チケットはもちろん荷物とともに紛失。
新たに購入するしかないと諦めた時に気付いたのが、ほんとに偶然持ち歩いていた、航空券購入会社の電話番号。
ネットのチケット情報を印刷し、裏面をメモ代わりに、自分で立てた旅行計画を記入していた。タイでの電車の時刻を書いていたから、ダイビングや今後のスケジュールの調整で必要だからと、持ち歩いていた。その表面に印刷されていたのが、旅行会社の住所と電話番号。これが今後の事態を好転させた、奇跡ペーパーとなる。

旅行会社の連絡先へ電話。
チケットは9割諦めていた。もともと格安チケットは、紛失したら再発行不可。
電話で聞くと、事態が事態だしチケットは活かせるだろうとの答え。
お金のない状況を考え、日を早め、プーケット発で調整してみますだって。
とにかく渡航書No.が必要だから、わかったらすぐ電話をと、24時間受信可能な電話番号を教えてもらう。
チケットをいかせるだけでも感謝なのに、日にちを変更し、出発地をプーケットに。

本当に可能なの?
だって今やプーケット空港は、外国人の一大脱出拠点。大勢の人達が、空き便を探し右往左往しているのに、本当にとれるの?という正直な気持ちと、それを自信たっぷりにやってのけようというその会社に半信半疑の期待を。
渡航書発行は、VISAからお金が来る明日朝にでもと考える。


外務省公式見解
領事部の新たな発表。
イミグレで1時間近くかけ並んで撮った証明写真は、日本の渡航書とサイズが違うから使えないだって。
なんでそんなに融通が利かないの?、プラカードもって写っている姿がよくないとか。
なんのために、どの国の人も並んで撮ったのか。他の国じゃ絶対それだけで書類作っているはずよ。
さすがにこれは、サイズに合わせて写真を切り取ることで妥協を得る。
お金のない状況で、自分で店を探し写真を撮ってもらってこい。手持ちの写真がある中、神経を疑う。

待ちに待った20時前。
渡航書作成の準備が整い、順番に作業に移る。
お金がない人は、保証人を確保した上で借用書を作成し、滞在費を貸してくれることに。滞在費だけ、日本に着いてからの交通費等はだめです。
はいはい、そうですね。建前はどうでもいいです。
借用の条件に載っているんでしょうね。こっちは規則で動いてないの。
日本に帰り、家まで着かなきゃいけないの。
福岡に着いてもしょうがないの。
貸してもらえる分を使い分けるから、何でもいいから貸してくれと。

借用書付きで6000B。保証人の存在を電話で確認。
返済時は300Bの手数料を上乗せし、返すこと。そりゃもちろんそうしますよ。
まず6000Bから渡航書費用902Bをとられる。既に滞在費以外の出費ですがよろしくって、既にお宅の規則からずれているのでは?。
6000B借用、建物を出るときには手数料が引かれ5000Bになっているとは、まるで悪徳金融屋ばりと日本の素晴らしい制度に感心。

この災害で、渡航書発行手数料が無料にならなかった理由。
外務省公式見解。
「前例がないから」
お前らばかか?
「上で決まったことだから」
なんじゃ、そりゃ。
大使館があるのはなんのため?
より現場に近い場所で状況を把握し、伝え、政府や所管官庁が判断するためでしょ。
多くの人が亡くなり、荷物を無くし、命からがら必死で逃げてきた現状をどう伝えたら、前例がないからって結論になるの?
体を張ってでも、皆の話を聞いた大使館が、それはおかしいって抗議すべきものでは?
上で決まったことですから。決まる前に何をし、誰がどう決断したかぜひ気になるね。外務大臣をはじめ、政府関係者の皆さん、言葉だけの同情は絶対言わせませんよ。
何人か大使館の人に詰め寄っていたけど、当然よね。だっておかしいもん。

渡航書発行に要する時間、8時間後の22時30分。
イラク戦争では苦労されたことでしょう。
砲弾が飛び交うバクダッドで、荷物を諦め大使館へ飛び込んできた人へ、長時間かけての渡航書作成。手持ちのお金のない人は、保証人を確認後滞在費のみ貸付。書類作成手数料は別途徴収とは。
いや、前例がないっていうんだからその苦労が想像できますな。
生死をさ迷う状況でのパニックの抑え方をぜひ勉強させていただきたいとこ。


A&A(日本大使館臨時領事部)


日本時間深夜1時。
日本の旅行会社に電話し、留守電で渡航書No.と、29日か30日のプーケット発の便で帰りたい旨を伝える。
ちなみにVISAは、サービスセンター回線が混雑して全く電話が通じず。
明日朝には受け取れるとの説明もあったし、これもなんとかなるだろうと一安心。

       
これぞ渡航書。右イミグレーションスタンプは29日付。
注意書きには、この渡航書の発行により所持人の旅券は失効しましたとの記載。


出会い(inA&A)
基本海外旅行中は、ほとんど日本人とは話しをしないけど、この旅は違った。
見かけて声をかけられ、声をかけた。
お互い同じ危機を脱出し、同じ困難を抱えているという共通点があったから。情報共有・提供のために話しをした。
その被害の状況も知ることができた。

イミグレーションから行動を共にしていた日本人家族
津波の時は、プーケットの浜辺に。
突然波が引き、浜辺には魚がたくさん跳ねていたという。
タイ独自の現象と思い、地元の人達と喜びながら魚を取って遊んでいたとか。
するとしばらくしてして、大きな波が来たという。
小さな子供2人を含む4人家族皆無傷だったので、運がよかったのだろう。

けがをした日本人
宿をチェックアウトしたところで津波が来たという状況となった。
急いで部屋に戻ったが、波が部屋の中に押し寄せそのまま窓から部屋の外に流された。抵抗できずただ波に流されていると、椰子の葉があり必死で掴んだ。それを手繰り寄せ、椰子の木につかまり木の上に避難したという。

夜遅くにA&Aに来たグループ
ダイビングショップの店員と客である。津波の時は、ダイビングに皆で出かけていた。海の中は全く異変を感じず、戻る途中海にごみがたくさんあり不思議に思った。ピピ島に戻って来たら、港に近づけない状況だという。街に行っても全て崩れ入れないというから、別の安全なビーチに下りプーケットに避難してきた。荷物は探しに行ってもおらず、ダイビングに出たままの荷物のみだという。何年もこっちにおり、その思い出等を入れた荷物がなくなったのが残念だと。
ピピ島での情報を教えておいた。皆が避難しているうちに、無事な荷物も地元の人達があさったという話しを。あってももう残っている可能性は低いだろうし、きっぱり諦めた方がいいと思うから。

48年生まれの会社員。31歳くらいか?彼はさっぱりいい男。2週間くらいタイ周辺を旅しているみたい。毎年年末に休みを取るから、周りはもう諦めているんだって。周りの人達が色々不満を言う中、それを否定もせず肯定もせず何事もないようにいる。皆が集まって楽しく話をしているような雰囲気で。でも自分はもってるという。そういう人好きでね。結局その場じゃその人と色々話をしていた。先に渡航書をもらえて、じゃあお先にっていう時に、飲物が来たからどうって?誘われ、ビールを一杯。なんか仲間同士の杯みたいで嬉しかったな。
旅に出ている色々な人と話せて、この旅の本当に意義あるポイントだった。




GUEST HOUS
まずは、プーケットでの宿泊先を確保する必要がある。
渡航書作成を待っている間に街に出、偶然見つけた宿。
タイ航空プーケット支店の前にあり、掲げた看板にはGUEST HOUSEの文字が。
こういうところは安い。直感が働く。
入って聞いた値段は、250B。
うん、これは十分と納得。でも少しでも節約を。
ピピ島で金から荷物まで全てなくしたんだ。まけてくれ、200Bでだめか?
それは大変だった。でも不足分は自分が負担しなくちゃいけないから。
そういわれると無理も言えない。250Bで了承し、宿を確保した。

結局宿に着いたのは、渡航書を受け取り、少々の買物をした後の23時過ぎ。
そこからここ2日着続け、山での土がこびり付いたTシャツと短パンを洗濯し、シャワーで体のよごれを落とす。
風呂場での洗濯を前提に持って行く服は最小限。宿に置いてある石鹸を使いきれいに洗う。
でも今ある服は着ている分だけ。
帰りにコンビニで下着を一枚買ったから寝間着はいいとして、明日Tシャツが乾くか不安。
まあ、大丈夫でしょうと思うも、やはり気になり、就寝後、目が覚めるたびに確認することに。
なかなか乾いてないのよ。干す場所を変え、ファンをまわし、いろいろ手をつくす。
太陽が出てからは、効率よく乾かせたけど、なんか一仕事終えた感じに。
これから、毎日宿で洗濯の日々が続くことに。

   
左:ゲストハウス全景
右:太陽が当たるように洗濯物を干す朝の部屋、天井のファンを回しながら
 

 
 
 
 
 
旅日記(2004)