top
長崎ぶらり旅日記 4
さて、次はどこへ行ったものかと考える。
グラバー邸で予想以上の時間(2時間)を費やし、いけても後1箇所といったところか。
丸山町か亀山社中かと迷った末、ここだけは絶対に譲れないという亀山社中を優先。

大浦天主堂下電停を発し、公会堂前電停で降りる。
どの電停からも距離がありそうだからと選んだとこ。
ぶらぶらと歩くのもまた一興と、散策がてらに目的地へと向かうことに。

市民館横を抜け、中島川にかかる石橋を渡った先から坂道が始まる。
その坂を上った所に、家々を横切る寺社通りに出る。
名前の通り、道の上に多くの寺が存在し、行き掛けということで一つの寺を覗いてみる。

寺の名前は、興福寺。
明の僧真円によって建立された日本初の唐寺だとか。
本堂・大雄宝殿が国の重要文化財だとかも、入場料払うほどゆっくりできそうにないから、外観のみ見学し、いざ目的地へ。

     
興福寺入口門と中の様子をこっそりと

興福寺を過ぎ、寺社通りをしばし歩いた先に龍馬通りの碑がある。
龍馬が亀山社中に向かう時に通った道で、その名が通りに付いたというわけ。
ここから山へ向かって坂道を上った先にあるのが、亀山社中。
とまれ、ここからがいよいよ坂の町の真骨頂で、山中腹にある家を目指しいざスタート。

     
社中まで500mという言葉も、こう階段がきついと数字はあてにならん。
周りが寺だらけってこともあり、この坂道の周りはお墓で埋もれてます。
寺領の先は住宅街で、ばあちゃんが手すりをたどって家に向かってたりと、なんとも体にいいというか、厳しい通りだなと思ったり。

     
道の途中にある言葉にかなり励まされ、元気づかせてくれる。
龍馬通りって看板もなかなか雰囲気に溶け込んでていいもん。
そうそう、まだ着かないの?なんて思ったとこで見かけるのが、この看板。
「もうじきバイ 亀山社中は すぐそこバイ」
って、ちょっとうけつつ、かなり元気になったなと。



龍馬通りの下りの始まり口。
亀山社中よりさらに250m程山方面へ上がったとこにある。

興福寺横を抜け
龍馬通り
道なんてわからなくても、看板で分かりやすく示してくれてるのが嬉しいとこ。
迷うことなく、亀山社中へ到着。

     
門の前の亀山社中跡の石碑に、達成感とこの地に辿り着けたことの喜びを噛み締める。
16時前着で、門にある15時閉館の文字に焦りつつ、こっそり門の中へと入っていく。
玄関横に龍馬の像が置かれ、その雰囲気を感じつつ建物内へ。



玄関入口にあるのは、龍馬等身大の写真。
身長173cmは、当時としてはかなりの大柄だったよう。
確か当時の男平均身長153程度だったよね。


     
部屋の奥は、幕末の志士たちの写真が飾られている。
150点近くあるとかで、見たことない写真もあり結構楽しめる。
右の写真は結構有名、土佐の脱藩浪士で、薩長の橋渡し龍馬以上に維新成立へ貢献したといわれる、中岡慎太郎。
だから?っていわれそうだけど、この写真で嬉しくなったのが、はちきれんばかりのこの笑顔。

この当時の写真って、みんな気を張ってるっていうか、全身全霊を向かわせたようなものがほとんど。
明治の男は黙って付いて来いという無表情っていうイメージもあるし、ましてや幕末だと・・。
当時は、こんなに固いというか、気合入りまくりの人達ばかりだったの?と思ったもの。

小説に出てくる仲間同士の笑顔など、日常であったのかと考えたりした。
でも、この写真の表情見るとそんな考えも無用よね。
やっぱり、信頼した相手に見せる笑顔ってのは、時代を問わず変わらないって事を実感させてくれた。
時勢の緊張感はあるけど、それでもこれこそが人間関係の源だったんだなと感じさせてくれる。
藩ごとの意識が強く、あたかも一国の存在に等しいといわれた時代で、その間を取り持った人間。
その生き様が映っているようで、なんとも嬉しくなったもの。



ちょっと話がずれたから、さて本題。
この建物、亀山社中時代のまま残ってるんだけど、増改築もされている。
増えた部分っていうのが、写真が飾れている北半分で、2階も増築されたとこだとか。
そこより窓側は当時のまま残っているとこで、当時を偲びその空間をゆっくり味わう。
ここでいろんな押し問答が繰り広げられたんだろうなってね。


     
当時から残っている座敷と窓から見える市内の風景。
当時は街中まで見下ろせたそうで、その景色を気に入りここを社中の場所にしたんだったよなと思い出す。
グラバー邸や町中まで結構遠いですよねって疑問も、後で考えるとまあ町中までは行けんことないなと思ったりする。
寺社通りを抜けると、そう丸山町なんてすぐだよねと妙に納得したりして。
龍馬もこの同じ場所で、同じ景色を見たんだなって、この感覚を味わいたくてきたんですよと、大満足。


ちなみに・・・
ソフトバンク社長 孫正義が龍馬好きとは、知られたこと。
彼はダイエー球団買収前に亀山社中を訪ね、その決心をしたのだとか。
社中の旗「赤・白・赤」をモチーフに、新球団のマークを「黄・白・黄」にしたという。
気持ちもわかるし、なんか嬉しい事実よね。

亀山社中
余談: 亀山社中とは

簡単に解説すると、1865年薩摩藩などの援助により、土佐の浪人坂本龍馬が同士と共に組織した日本最初のカンパニーといわれる結社のこと。(後に土佐藩の後援を得て、海援隊となる。)
西洋のカンパニーを模範とし、支援藩が出資者という形で、今の株式会社の運営方法をとった。
メンバーは20余名で、龍馬と行動を共にしてきた志士たちが中心。
給料は龍馬を含め定額で、平等という概念が強かった模様。
海運業を中心とした商業活動のほか、 薩長同盟を基軸とした討幕運動に参画し、高杉の依頼により海軍を率い四境戦争にも参戦するなど、幕末維新において重要な役割を果たした。
亀山社中を先に龍馬のブーツ像がある。
日本人で初めてブーツを愛用したことにちなんで、亀山社中創立130周年記念として平成7年に作られたもの。今から140年程度前だもんね。ほんとちょっと前のできごとなんだよね。そのころ本当にちょんまげ付けて激動の時代をすごしてたんだよね。なんとも不思議な感覚を思わせるもんだよね。


特に景色もよくはないけど、斜面に作られたその町並みはよくわかる。
ブーツがどうしたと問われればちと辛いが、まあちょっと寄ったもんだから軽く紹介。
ブーツ像
亀山社中から500m、龍馬通りを過ぎさらに山道を登っていくと、風頭山の山頂付近にでる。
そこは公園として、長崎市内を越え海の向こうを見つめる龍馬像と、市内を見下ろせる展望台が併設されている。



凛々しい姿の龍馬像。
長崎を愛した龍馬は、ここからの景色が好きだったと言われており、眺める景色もまた一味違って見えてくるから不思議なもんよねと。

風頭公園
龍馬像隣にある展望台からの長崎市街全景
見ごたえあり、おすすめスポットよ。
眼鏡橋
山頂から今度は坂道を下り始め、龍馬通りの階段を下へ下へと向かっていく。
上りの苦労が嘘の様に、あっという間に駆け下りて中島川まで辿り着く。
来る時見かけた、眼鏡橋まで数百mの案内板を思い出し、ついでだから寄ってみようと川伝いに散歩。
通称中島川石橋群というだけあり、川には数多くのアーチ型の石橋が架けられ、それだけでも見応え十分な散歩道。


中島川石橋群


この川沿いの道をしばらく行った先に、ひと際異色を放つ眼鏡橋に出くわすことになる。
眼鏡橋とは、1634年、興福寺2代目住職が架設したもの。日本最古のアーチ型石橋だという。
川にうつった姿が眼鏡に見えるからってことなのね、あらためてこのいわれを振り返る。
光の加減で眼鏡姿には見えずも、その趣きある形状を橋の上から横から見学と。

     
日本橋、錦帯橋と共に日本三大名橋の一つで、国の重要文化財にも指定。
無駄に往復して、当時を偲んで楽しむのがまたよし。
浜市アーケード
眼鏡橋を抜け、少々疲労を感じつつ賑橋電停から電車に乗る。
さて一駅目といったとこで、賑わいある商店街に出くわし、こりゃ見てみたいとさっさと降りる。

商店街の中心を抜ける浜市アーケードは、メイン通りになるようで、百貨店を中心に多くの店がひしめいている。歩いている人もアーケード幅いっぱいにひしめいており、今時めずらしいとこだなと闊歩する。

長崎の町を考えると、住宅街の多くは斜面に作られ、市内までの移動手段は、住宅街を練るように走るバスが中心と思われる。
車社会ではあるんだろうけど、なにせ道が狭いし、駐車場も大きな道に面したとこぐらいしか見かけない。住宅街を走る大きな通りも、道幅といえばたかが知れたもので、朝の通勤ラッシュなんてとても耐えられそうにないし、バス中心と考えてそう間違いないと思う。

となると、自然バスでの移動範囲が人の動く中心地となり、60万人と言われる人々の買い物がその範囲内で行われると想像できる。
長崎中心市街は、この浜町商店街で、駅前や港方面にもショッピングセンターはあるものの、多くの人がこの商店街に集まる仕組みが出来あがってることがわかる。

背景とする人口があり、中心的な市街地へ流れる仕組みがある。
当然売れる場所へは店が集まり、相乗効果で街全体が賑わっていることがよくわかる。

メイン通りは、百貨店やファーストフード、量販店といまいち魅力的なお店は見かけない。
家賃相場が高い場所には、個店なんて出さないよなとは、どこの商店街でも同じこと。
裏通りを見てみたいが、そう元気がない&それこそ右も左もわからないので諦める。
予想以上の暑さで、持ってこずに後悔した半袖シャツを購入しようと、浜屋デパートで無難にラルポロを一つ購入。軽く長崎経済に貢献しときました。
19時から夕食だからとのプレッシャーから、18時前に商店街を後にする。
スターバックスで本を読みつつ、バスが来るのを待ち、さてとバス移動開始。
確かあった、長崎駅行きと掲げられた表示に安心し乗り込んだものの、気になる周りの風景は住宅街へと変わっていく。
こりゃ反対方向だと思いつつ、いやもしかして・・との思いも消えずにしばし乗り続ける。
大きくくねる坂道を駆け上がるバス。ここで降りても、いつ反対のバスが来るとも知れんと、半ば諦め、夕食に間に合わんなと半ば焦り、本を読みつつバスに身を任せ先に進む。

住宅街を突き抜け、高台の頂上まで来た時、バスが止まり乗客皆が降りていく。
一人残ったバスの中で、運転手に恐る恐る、「このバス駅に行きますかいね?」と訪ねてみて
ようやく確信、反対方向に進みここが終点だということを。

150円払い降りた所は、玉木女子短大前。
結局反対バス停で逆方向のバスに乗り換え、ようやく駅に到着したわけで。

結局時間にも間に合ったし、住宅事情と道路事情もよくわかり、結構面白い寄り道だったりする。
バスの利用者の多さもよくわかったしね。
てな感じで、一日目の観光行程予定以上の場所に立ち寄り、無事終了。
初日行程終了

余談: シーボルト記念館
シーボルトに興味ある方は、亀山社中から新大工町電停方面へ坂を下りていけば記念館に行けるよう。
ドイツ名門医家の生まれの医者で、極東に興味を持ち、オランダ人になりすまし日本、出島にやってきたドイツ人シーボルト。
緒方洪庵等の書物による蘭学の研究から、実践に基づき最新の西洋医学情報を日本にもたらした、その功績は図りしれんよね。
長州藩、百姓身分の医者で、日本陸軍の基礎創設者といわれた大村益次郎との淡い恋の相手だったのが、シーボルトが妻お滝との間に残した子供シーボルト・イネ。
ちなみに、滝とイネの墓は、興福寺近辺にある皓台寺にある。
シーボルト・イネの写真は、確かグラバー園内のオルト邸で見れたはず。
興味と時間があれば、訪ねてみては?
  旅計画     中華街   グラバー邸  亀山社中   夜 景    丸山花街   出 島