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長崎ぶらり旅日記 6
正覚寺までの道程
一夜明け4月30日土曜日の朝を長崎で迎える。
朝7時起床、洋食の朝食をとり出かける準備をする。
宿泊先セントヒルの不満は、大風呂がないこと。
旅先での楽しみは大きな風呂に入ることって思いも強く、部屋風呂に少々がっかりといったとこ。
まあ、2週間前に決めた旅行だから、宿の選択など2の次だったから致し方なしかな。
って感想はおいといて、さっそく史跡めぐりに出かけることとする。


まず、かつての花街丸山を訪ねる。
花街といえば、かつての志士が遊んだ場所。
なにせやつら藩の金で散々放蕩してるから、なんともうらやましい話よねと。
素人をもてあそぶ事は極端に軽蔑された時代だから、その辺ははっきりしたきれいなものよね。
まあ、今も昔も本質は変わらないことだけは確か。
とまれ、花街の史跡を眺めつつ、かつてを偲ぶとでもしようかなと。


正覚寺下電停で降り、まずは坂道を上っていく。
上った先で見かけたのが、急な階段を擁する寺の門。
これが正覚寺で、特に想いはないけどまず一発目とその特異な形状を撮影する。

で、ここで気付いた事実。
デジカメがないよ・・。
なんとも情けないが、また消えちゃったよとそのだらしなさにあきれる。
充電器から外したの覚えてるから、まあ部屋に忘れたんだなとほぼ確証するも、結構遠くに来たし、携帯電話のデジカメで撮影を続けることで気持ちを切り替える。
という訳で、少々画質が悪いのはご勘弁と言うことで。


正覚寺正門。急な階段の先にあるその造りが印象的。
つい写真を撮りたくなっちゃって。

オランダ坂
オランダ坂と名の付いた坂は多いけど、丸山の坂が最初にオランダと名が付いた坂なんだとか。
坂の多い街だけど、オランダという冠が付いただけで途端そこに趣が見えてくるから面白いよね。

オランダ坂とは
その名の由来は、オランダ(出島)へ行く遊女が通ってたから、近くに明治初年まで「福屋」という西洋レストランがあり、多くの外国人が通っていたから等諸説があるとか。他の場所では、よく外国人が通っていた道をこう呼ぶんだって聞くけどね。

オランダ坂と呼ばれる通りは、きれいな石畳が敷かれていて、歩いても見ても気持ちがいい。
長崎が好きってのは、こういう街を歩くだけで楽しめるその雰囲気にあるんだとあらためて力説。
そこに歴史的背景が付いてくるから、何度きても楽しめるってわけよね。

     
右: 電停通りからの入口で、ここからオランダ坂が始まる。
左: オランダ坂中一番景色がきれいなとこじゃないかな。
   古風な建物の間を抜ける、そんな小道をぶらぶらと。
丸山町花街
坂道をうろうろ歩いてると、花街近辺に行き着く。
名もない道だけど、そんなとこでもなんとも情緒があったりね。


この景色が気に入ったから、一枚程。


花街は、戦後の売春禁止法の厳しい取締りの末、すっかり形を見せず。
でも名残はまだまだ残ってますよ。


この階段下に続く道右手が、花街となる。
花街の境界に、長崎丸山花街跡の碑が建てられている。


     
階段を下から見たらこんな感じ。階段さえいい雰囲気持ってるよね。
階段を上った先に、老舗の料亭「青柳」がある。
入口の門が右写真で、木造建築の趣きある建物です。
史跡料亭「花月」
江戸の吉原、京都の島原と並び官許の遊女町として繁栄を極めたのが、長崎の花街・丸山。
その面影を残すのが、料亭「花月」というわけ。
花月は、1642年に創業した丸山随一の奴楼・引田屋の庭園に設けられた茶屋が始まりで、現在は明治時代の丸山の大火で焼け残った敷地で卓袱料理専門の名店として営業中。
木造2階建ての本館には9部屋あり、勝海舟が好んだ「月の間」、坂本竜馬が付けたという刀傷が残る「竜の間」など多くの文人と幕末の志士達ゆかりの部屋が残っている。

ちなみに、室内は食事をしなけりゃ見せてくれないとか。
予約で空きありませんって説明も、ここの卓袱料理20,000円近くするから、そう気軽にって訳にも。
無理に入り込んでそんな説明受けつつ、入口軽く見てきたんで簡単に紹介。

     
メイン通りから料亭へ向かって、数十メートルの入り口。
その石畳を越えた先の門をくぐって中に入る。


     
門を入ると、木造の立派な建物が待ち構えている。



そして、その先が玄関。
やっぱり建物の中をゆっくり見学&その雰囲気を味わいたかったな。
いつか卓袱料理食べに訪れてみようと思ってみる。
梅園身代り天満宮
不幸や災難の身代りとなってくれる言い伝えがある神社。
1700年創建で、丸山町の安田治右衛門が道端で襲われ槍で刺されたという。しかしどこにも傷がなく、自邸の祠の天神様が血を流して倒れていたとか。それを祀り、身代り天満宮として町の人々から親しまれているとか。
花街に近いことから、遊女もここを訪ね幸せが続くようお祈りしていたとか。
遊女や芸者衆が、梅干の種を入れ、苦労がないようにと願掛けをした梅塚も健在している。


     
住宅街の中、看板に従い坂道を進むと天満宮に出る。
鳥居をくぐると境内に石橋が。ちょっと変わってるから、まずは歩いてみる。



これが梅塚。未だ梅干の種は捨てられ続けられてて、なまめかしいので外形のみを。
中の茶屋
寄合町の妓楼「中の筑後屋」の茶屋。見所は庭園で、江戸時代中期に築かれ、今も当時のまま残っている。建物自体は、新しく建てかえられたようだけど。
今は長崎出身の清水昆氏の展示館を兼ねてるから、見学がてらに眺めてみるのも。
ということで、庭にこだわり紹介。


まず入口の門を。

江戸時代から残る庭全景を。この季節はどこもつつじがきれいだね。
福砂屋本店
丸山町最後の締めは、カステラ専門店「福砂屋」で。
料亭花月の近くにあって、思案橋電停から徒歩2分の距離。

カステラとは
16世紀中期、スペイン、ポルトガルの宣教師達によって伝えられた焼き菓子。もともと「カステラ国のパン」といわれてたものが、たっぷりの砂糖と卵を使った甘い菓子へと改良されて今のカステラになったのだとか。

3年前の職場旅行だったかな。カステラのお土産は福砂屋よと念を押されていわれたもの。
そう、一うまいカステラ屋が、ここ福砂屋なんだとか。
確かにうまいよ、自分用に一本購入しました。
(というか特にお土産買う人なく、自分用のみ、しかも他にお土産は買わずでしたが)


     
福砂屋本店外観。店内は従業員さんが5,6人とかなりの配置。
お茶を出してくれるけど、味見にカステラもらえませんので要注意。
サービスはしっかり行き届き、さすがは老舗。お客さんも多いとこです。
丸山町界隈ほぼ見尽くしたということで、思案橋電停から路面電車で次の目的地へと向かう。
そう、もう時間ないし最後にと出島へとね。
ということで、続きは出島編で。

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