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海外旅行を思い立って2日後、タイ往復の航空券を入手。
5年振りの一人旅へ出かけることとなった。
今までの貧乏旅行ではなく、少しリッチにおいしいものを。
宿に金かける気ないが、ガイドブックに載るおいしい料理を食べようかなと。
目的としたのは次の3つ。
1.きれいな海でダイビング
2.スラーターニー − バンコク間を鉄道で横断
3.バンコク満喫(ムエタイ&大学訪問)

いざ出かけてみたら、旅どころじゃないそんな経験も。
でも結局思ったこと。
旅ってやっぱり楽しい。
そして、タイってほんとにいい国です。
旅行記

 
旅を終えて
 
多くの経験と出会いがあり、自分が考えていた以上の旅となった。
普段味わうことができないことを経験できるのが旅だとしても、今回は輪をかけて二度と経験できないことの連続だった。

タイの優しさ、懐の深さを再び感じることができたこと、普段出会えない人達と知り合えたこと、様々な国の人達と知り合えたことが大きな収穫。
生死を実感する経験ができたことが、自分にとって今後の大きな糧となるだろう。

いろいろあったけど、実感したのは自分はやはり東南アジアが、タイが大好きだっていうこと。
いろいろなものを与えてくれたタイにいつか恩返ししたいという気持ちは、より一層強くなったし、もちろんまた再びタイを訪れタイを満喫したいと思う。

このスマトラ島沖地震による津波で、タイを愛し、ピピ島を愛す中亡くなられた方々の冥福を心より祈るところである。
ピピ島が復興するその時、またタイを訪れその美しさにもう一度触れると共に、この時の記憶を思い起こしたいと思う。
自分の行動により、心配をかけた方々への謝罪とお礼はこの場を借りてさせていただく。
いろいろご迷惑をおかけしましたが、無事戻ってきました。
いろいろ心配していただき、ありがとうございました。

それでは、また次の旅日記で会うこととしましょう。
 

 
インド洋大津波に思う
 
生還ポイント
知れば知るほどこの津波の大きさと被害に驚くと共に、無事だった自分に感心する。

第1ポイント
 −安宿を探そうと早めに移動し、港で長居しなかったこと
港での客引きの話を聞いていたら、まだまだ港周辺にいたはず。
北と南2方向から津波が来たという。もちろん港ものみこまれた。

第2ポイント −宿を探し街の奥へと歩いていったこと
結果的に、海との距離はそう離れていなかったけど、少なくとも海辺のすぐそばにはいなかった。
客引きに紹介されるがまま、海辺周辺の宿に連れて行かれていたらアウトだった。基本安い宿は、浜辺のぼろバンガローということが多いから。

第3ポイント −宿で休まず、すぐ行動に移したこと
早朝出発でもあり、歩き回りようやく宿を決めた後は、少し部屋で休みたいところ。
でも、ピピ島滞在時間が限られることから、ダイビングをはじめ、その日のうちにいろいろ詰め込もうと早めに行動を開始。
もう数分宿に滞在していたらどうなっていたか・・・、後になってはわからないけど。

第4ポイント −山へののぼり道の近くを歩いていたこと
宿から4,50m歩いたところ、そこで気付いた異変。
津波が来るほんの数分前、船型をした変わった造りの飲食店と、そのそばから山へと向かうのぼり道を確認していた。
身の危険を感じた時、すぐに引き返して坂道を駆け上がり、山麓の高台に登ることができた。そこは山沿いの斜面に建ち並ぶ宿につながるメインロードで、ここ以外に高い場所へ行くまともな道はなく、避難する人で溢れかえる前に、ほぼトップ集団で駆け上れた。
等々、様々な偶然が重なり合い、無傷の生還となった。



心配事
大津波を体験するために出かけたような旅だった。自分の安全を確保した後、まず気にしたのが、日本にいる人達に心配をかけていること。「親は夜眠れずににいるのでは?」、「このHPを見て、僕を知ってる人が心配しているのでは?」、と。

基本、だめな時はだめだし、大丈夫な時は大丈夫という考え。何かが起きても、日本にいて何かできるわけでもなく、心配だけかけることになるから、旅のことは誰にも言わずに出かけたいと思うタイプ。

そのため、会社で旅に行くことを知っていた人はごくわずかだし、結局親にも、出発2日前にタイに旅行に行くことを簡単に話した程度だから、まさかプーケット周辺にいるとは思っていなかったようで、ようやく連絡手段を確保し、無事の連絡を入れたときにも家を留守にしていたほど。これはこれで、余計な心配をかけずによかったけど。

このHP見ていた人は、行程から、まさにその時ピピ島に到着したことを知っていたから、一番心配をかけたと思う。翌日プーケットに戻ることができ、緊急避難対策所で必要な手続きを終えた後、まず最初にしたのが、その場の無料インターネットを使い、ここの掲示板に無事を書き込んだこと。日本語に対応していないパソコンのため、掲示板に書かれた内容を読むことはできなかったけど、まずは、自分が生きていることを伝えようと。

結局、日記だけを読んでいた人には、いつまでも心配をかけることになったけど。言い方は悪いかもしれないけど、心配してもらえたことが素直に嬉しくて。自分なんて安全が確保できた時点で後は楽しむだけだったから、いつまでも心配をかけた方々に申し訳ないなと。



マスコミ
この度の大津波は、1月2日時点で12万人の死者が出ている大きな事件だけにマスコミの扱いも大きい。特にチケットのみ取得している個人旅行者の安否の確認に苦労している様子。

それはそう、飛行機で入国後、どこにいくかは本人でさえはっきりしてないんだから。またそういう人達だけに、決まった連絡先はなく、自分からもあまり連絡しない。新聞でもツアー客の安否状況は掲載されたが、個人旅行はいつまでも全体像が見えてこない。それは、数限りないから仕方ないと思うが、現時点発表の20程度の被害で済むはずがないない。ピピ島だけでも1、200人以上は日本人がいたと言われてるのに。そのことは皆の情報でわかってたことだし、もっと政府・マスコミは迅速に動くことができたのではと思うところ。簡単に入手できる情報だけに頼りすぎ。もっと視野を広げなきゃ。

1月3日の毎日新聞情報。
外務省に家族らから問い合わせのあった日本人旅行者のうち、2日現在所在が未確認なのは、個人旅行を中心に790人に上っているという。プーケット周辺だけでも百数十人の安否が未確認だという。

共同通信だったかな。
チケットだけをとりタイに入国した人を全て洗い出し、把握していたみたい。12月27日の新聞一面に、山口県は3人タイ入り、内ツアー客2名の無事確保、1名は不明との記事がある。表題は、山口県も一人行方不明と。これ、自分のこと。その後、旅行会社から安否を確認したということだから、旅行会社に連絡入れた27日午後6時以降に把握したと思われる。もし旅行会社に連絡入れていなかったら、いつまでも安否確認ができず、新聞に名前が出るところだったわけで。
こじんまりおとなしく生きていくことが目標なのに、くだらないことで目立つところだった。ほんとによかったと思うとこ。



荷物
旅に出る時は、いつも荷物は盗られることを前提に用意している。不要なもの、大事なものは持っていかない。旅行するのに必要なものだけを持っていく。バックパックのファスナー2箇所に鍵をかけ、下から切り裂かれてもすぐに取られないところに、パスポートや現金は入れている。

現金は、4箇所に分散。ズボンの前ポケットに日頃の生活費を裸で入れ、買物などでは、基本そこからしか現金を出さない。ズボンの後ろポケットに入れる第1財布には、少し大きめの現金を入れ、宿泊代など必要な時に現金を出す。ズボンのベルトに付ける第2財布には、カード・パスポートのコピーと併せ1万5千円程度の日本円、当面生活できる額の大きい現地通貨を入れている。そして、最も大きな金額を入れているのが、バックパックの底辺部分で、日本円で2万円程の緊急時用の現金。これは手を付けない、万が一のためのお金。財布の現金が足りなくなれば、ATMからクレジットカードで現金を引き出せるし、必要以上には持って歩かない。

最悪のケースを想定しているから、脅かされても、カバンを盗まれても、旅が続けられるようなお金の持ち方としている。海外ではそう頑張る気がなく、身の危険を感じたらお金は諦めることにしているから。



荷物を無くして思ったこと
とにかくパスポートと現金・クレジットカードを確保したくて荷物を探しに行った。何か大事なものを入れていたかなと必死に考えたけど、特に思い出せない。

デジカメの充電器をなくしたことは、その後の旅行に支障をきたし、結構ショックだったけど。パスポートはどうにかなるだろう、現金は大使館が貸してくれるだろうと勝手に判断した時、荷物がなくてもそう影響はないなと思え、がれきを掘り起こしてでも探そうという気分ではなくなった。

普段から余計なものを持ち歩いていなかったのがよかったと、その時思った。
持ち歩くかどうか悩み、盗られたらいやだからとバックパックに残した、クレジットカード入りの第2財布が悔やまれる。ダイビング支払いに必要だなとクレジットカードを取りに帰ることを考えたけど、めんどくさいからとそのまま歩き続けた直後の出来事。あの財布さえあれば、カード&現金に余裕があるし、全然違う状況になったのになと。

ただ、現金分散のかいがあり、少し多めのお金が入った第1財布を持ち歩いていたことは幸運。これで移動や当面の生活ができると心に余裕を持つことができた。無一文だったら・・、そう考えただけでもちょっと恐ろしい。
 

 
旅の経験から
 
利用旅行会社
潟Aロハウェーブ(アロハウェーブインコーポレイテッド)
福岡市博多区博多駅前3丁目19−18アルディコンテ21 303号
рO92−481−9748
URL:http://www.aloha-wave.com

ネットABロードのチケット検索でひっかかった旅行代理店。売り文句は、「アメリカ・ハワイ・グアム・サイパンの専門会社です」。まずこの一言で、アジアに弱いと感じ、同じ価格で掲載された他の会社に連絡。結局、希望時間のチケットをこの会社しかもっておらず、ここを利用。

ただ、話を聞くと、担当の北村さんはアジアに強く、中国・台湾はお手のものとのこと。強力なチケット入手ルートがあるようだから、まずは希望を伝え、色々相談しながらチケットを探してもらい、旅行計画たてるのがいいと思う。

この旅行で、なにより感心したのは、その営業(サービス)姿勢。少々の無理は聞いてくれる。小規模の小回りの良さがいい面で出ている会社じゃないかと推測。全て荷物を無くした時に、たまたまこの会社の連絡先が載っている紙を持っていたことが、この旅の幸運の一つ。無くしたチケットの対応、予約日時の変更、親等への連絡、全て対応してもらいました。

海外ではいつ困難に出くわすかわからない。その時どういう対応をしてくれるかが、その会社の能力であり、最も利用者が求めていることだと思う。そういうことを考慮しても、信頼して任せられるところだといえる。この自分が感心するんだから、たいしたもの。

帰国時福岡空港にまで来てもらい、お金を貸してもらった北村さん。
あなたがこの会社にいる限りまた利用させてもらいますよ。(次が何年後か不明ですが・・)
いや、はつらつとした魅力的な女性でした。
見たまんま25歳じゃないかと思ったもので。(フォローしときます)
彼女が活躍できる会社の雰囲気が想像できました。
とと、ほめ言葉もこの辺で。いや、本当にお世話になりました。



担当:北村さん

アロハHP見た感想
ちょっと事務的すぎ。会社概要・・、まあその通りでしょうが。
もっとアットホームさを表にだしていけばいいのに。
話に聞く会社の雰囲気が全然見れない気がしますよ。
リピーターのみのターゲットにしても、少し寂しいような。
本当に力入れると費用対効果のバランスが難しいですが、
顔の見えるページになれば信頼というか安心感という面では、
大幅にアップすると思いますよ。
最後まで好きなこといいますが、ちょっと残念だったので。
せっかく宣伝しましたが、うちのページはほとんど訪問者がいないんで、それ程影響ありません。
誰かこのページ見てなんて奇跡が起きたら、教えてくださいね。





クレジット会社
三井住友ビザカード
学生時代以来7年間利用してきた、三井住友VISAカード。
緊急時の対応等非常に不満。
緊急で現金受け取る手数料に1万円。
JCBだと受取額の3%程度だとか。まあ、それはいいとして。
対応も、三井住友の承認に1日かけたうえ、アメリカの銀行がどうだとかとにかく遅い。
つながらない連絡先は、話にならない。というかしゃれにならない。
もともとサービスに疑問のある会社だけに、新進気鋭のJCBを選択すべきではと真剣に考える。
海外でそう不便はないと思われるし。
今後の課題である。




外務省
まさか、いや予想通り外国でも日本の行政システムらしかった。
緊急事態に対応できない、いつまでも普段のシステムに固執し、柔軟な対応ができない姿。

日本だけでしょうよ。
この災害で、自分達のやり方に固執し、効率とか現場に併せた対応を取らなかったの。
素晴らしい日本のシステム。
どんな状況でもジャパニーズマニュアルを押し通してください。
日本の災害時に、自衛隊が活動するにはどこそこの許可が・・、等と言ってる国ですから。

なんのために君達存在してるの?なんの金で動いてるの?
君達が見なきゃいけないのは、法律でも省令でも霞ヶ関でもないでしょ。
国民よ。
背中向けてるよ。あなた達の判断基準。

目の前の状況で国民を守るためにどうすればいいのか。
それが緊急時の対応だと思うけどね。
その上で、皆が公平になるようバランス取るのが、行政の仕事ですよ。
どこか責任を擦り付ける事務的な作業に、期待しない中想像を超え、さすがに少々立腹となった。


もともと人に頼らず生きてくことをもっとうに、自分で何でも解決しようとするタイプ。
でもどうしようもない時は、利用させてもらいます。
相手がすべきこと、当然の要求が行われない時は、強く求めます。
もちろん自分がその担当をしたと想定して、できないことは求めません。
自分ならするけど結構頑張らなきゃ難しいだろうなと思うこと、自分の思う以上のことをしてもらえたら、感心し素直に誉めます。

行政なんて初めから期待してません。
必要な作業さえすれば非難されない立場にいる人達だから。
逆に言えば、必要以上の作業もできるし、その裁量を与えられた人々。

言えば結構動くもの。
必要以上の作業をしないことをマスコミ等力にあるところに叩かれるのが弱みです。
この緊急事態に、多くの理解不能な対応への不満は日記に書いたとおり。
不満を担当者にいうことはもちろん大切。彼から変わるきっかけになることもある。
まあ、見込み薄ですが。
その場さえ逃れればいいというなら捕まえなきゃいけない。
まあ、マスコミという最終手段もありますからね。
 

 
 
 
2004年12月25日〜30日
IN  THAILAND
12月25日     旅立ち → そしてTHAILANDへ

12月26日     ピピ島入り → 津波 → 山中避難(津波被災記)

12月27日     ピピ島脱出&帰国手続き

12月28日     プーケット散策

12月29日     プーケット脱出(台北滞在)

12月30日     日本帰国(福岡着)
旅行記(2004)