top


左写真:江戸期毛利雛。顔は貝殻を粉にしたものを研いだつくりで、数百年前とは思えない艶をいまでも発している。手にも特徴があり、きれいな長めの指のつくりである。
中写真:全部揃ったものじゃないけど、単発の雛や雛つくりの羽子板が並ぶ。
右写真:明治、昭和等3つの雛壇が並ぶ。作りが豪勢だったり、顔つきや服装などいろいろ違いを見つけるのも楽しい。
こう一斉に並ぶと普段じっくり見ない雛壇もちょっと違って見え、いつもと違う楽しみを味わうことができる。
数多いそれぞれの部屋に、市民から借りたというお雛様を飾るというイベントが行われている。
萩の歴史の中で受け継がれたお雛さまを一覧することができる。
江戸・明治・大正・昭和とそれぞれの時代のお雛様に目の前にし、この祭りの伝統を感じれる。
城下町の古き雛たち(17.2.3〜17.4.3)
土間は広く、炊事場等再現されている。
梁の立派さに圧倒される。
菊屋家より建築時期が異なるため、比較してもおもしろい。


藩主が参勤交代の際などに通った御成り道。
その道にある名所を紹介。
御成道
6年間総額3億円の費用をかけた旧久保田家の改修が終わり、一般公開されている。
旧久保田家は江戸時代後期の建物で、主屋(おもや)、離れ、土蔵、表門の四棟から成っている。
近江から移り住んだ初代当主が呉服商を開いた後、明治三十年代まで造り酒屋を営んでいた。部屋数が多く、明治時代には萩を訪れた名士の宿として利用されていた。
旧久保田家住宅
リンク(菊屋家内部)
毛利家御用達の豪商菊屋家。
関ヶ原合戦後萩へ移った毛利家と共に、広島より萩へ移った。
江戸期防長4白と呼ばれた「米」「塩」「紙」「蝋」を取り扱う豪商として栄え、幕府からの使者の接待を行うなど毛利家より高い信頼を得ていたことがわかる。
現在当時の設計に基づき再現された建物内部を見学できる。
また中には、萩焼など当時の美術品なども揃えられている。
菊屋家住宅
菊屋家
三横丁 御成道 食事

外堀から東側一帯を指し、碁盤目状の町筋に、豪商や藩士が住んでいた。
中の総門からの通りは御成り道で、表通りから南に向かい三本の小路が通っている。
それぞれ角の豪商の名をとり、東から江戸屋横丁・伊勢屋横丁・菊屋横丁と呼ばれる。
維新の英傑のゆかりの地が点在するその街。
昔の雰囲気を残す建物と共に、その空気を味わうことができる。
城下町
全体景色 笠山 食事処
堀内 城下町 旧松本村
top